impromptu












集金に出掛けてくると言い残し、街へ出たものの

なんだか面倒事をする気にもなれずぶらぶら歩いた、時刻はもうすぐ深夜になる。

花が退社してから事務所に戻りひと眠りでもしようかと時間を潰すのにも慣れた。

週末の街はいつもに増して騒がしい。

往来の人々のアルコール交じりの高い声が、もうこの街ではBGMになって

時折聞こえるパチンコ屋の騒がしい音、居酒屋の呼び込み店員の若い声なんかが

ある種和音のように耳へ流れ込む。



「マァくんッ!偶然じゃない、こんなところで!」



一層はしゃいだ女の声が背後から聞こえたと思うと、腕にドンと重い衝撃があった。

驚いた秋山が振り返ると、肩から腕にかけてしなだれかかった女が

伺うような上目遣いで秋山を見つめていた。



「迎えに来てくれたの?相変わらず優しいわね。あなたと結婚して良かった!」



女は異様に大きな声ではしゃぎながら、秋山の腕を掴んでずんずんと歩いた。

両手で腕を掴んでいる左手をこっそり『ごめん』の形にしているのを認めて

秋山はごく自然に女の進行方向と逆側を振り返った。

一人のスーツを着た、中年の男がぽつんとふたりを見つめているのが目に入る。

女は構わずに秋山を連れたまま、大通りから少し入った中道へ曲がるなり腕を離した。



「すみません、急に。」

「ビックリしたよ。別に良いけど。」



曲がった瞬間、女は頭を深々と下げ通常の音量で謝罪を口にした。

前髪から覗く額は美しく、伏せられたまつ毛は長い。

ベージュのジャケットにカーキのトレンチコートなんていかにも社会人らしい服装の女は

どう見ても美人局や、そんな感じには見えなかった。



「接待だったんですけど…しつこい男で。」

「だろうね、なんとなくわかった。」



大方、食事のあとにホテルにでも誘われていたのだろう。

女の表情はアルコールを摂取したことを伺わせる程には赤味を帯びていたけれど

その言動や仕草からは全く酔っていないことは明らかだった。

何かお礼くらい、とバッグを探る女のつむじを見つめながら

秋山は大袈裟に手を振って彼女を制した。



「別に良いよ。それより、旦那さんの名前を正しく覚えて帰って貰おうかな。」



名刺を取り出そうとしたけれど、内ポケットには生憎小銭とガムが1枚、それに残り少なくなった煙草が入っているだけだった。

まぁ、見たところあまり金貸しに縁のある人種でもなさそうだしと

徐に煙草を取り出して、秋山駿、とフルネームを名乗った。



「マァくんじゃないんだ、惜しかったね。」



フィルターを噛みながらふざけて笑ってみせると、女はぷっと噴出した。

真面目で気が強そうだと思っていた眉は、笑うとハの字に曲がって

人好きしそうな、コロコロ笑う笑顔は思っていたより幼く見えた。

全然違いましたね、と笑う女の赤い頬につい見惚れてしまう。



「なまえ、みょうじなまえ。一瞬だけあなたの奥さんだった女よ。」



なまえがバッグを担ぎなおして右手を差し出した。

背筋を伸ばした背は高く、全体的に社会人らしいキチンとした印象を受けたけれど

秋山が手を握り返してやると、満足そうに笑った彼女からは女の皮膚の感触がした。



「ねぇ、秋山さん。迷惑ついでで申し訳ないんだけど、近場で良いバーを知らない?」



普段は中央区辺りの住人だというなまえは久々の新宿に、あまり土地勘がないようだった。

残業代も出ない好きでもない男と美味くもない酒を呑んだ自分を労わって

少しくらい呑んで行っても、バチは当たらないだろうとなまえは笑った。



「新しいナンパの仕方だね。」



秋山が揶揄すると、一瞬驚いたような顔のなまえはすぐに笑顔に戻った。

こっそり秋山が曲がり角から件の男の姿を探したけれど、彼は見当たらない。

諦めの良い男と呼ぶべきか、意気地がないというべきか。

ちらりと秋山に目線を投げたなまえに、彼が居ないことを伝えるように無言で頷くと

肩に手を回す秋山の腕を払わずに、なまえはすんなりついてきた。



「イイ所に連れてってあげるよ、奥さん。」

「楽しみだわ、旦那さん。」



腕の中のなまえからはほとんど取れかけた香水のにおいと、クリーニングのにおいがした。

革靴の音とパンプスの音が不揃いにアスファルトを鳴らしながら

一晩限りの夫婦のデートが始まる。















なかっことになる夜を










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