光合








大学を卒業してこの方、仕事一筋に生きてきた。

仕事は嫌いではなかったし、趣味と呼べるようなものは貯金くらい。

細身のパンツスーツ、ピンヒールのパンプス、使い勝手の良い大きなバッグが戦闘服で

先日、会社の若い女の子たちが「なまえさんってちょっと近寄りがたいよね」と話しているのを聞いてしまった。

その反面、上司からは「君はしっかりしているから、頼もしいよ」なんて言われてしまって

たぶん今の私は昔描いた、夢のキャリアウーマンとしての理想像を確立している。

言い寄ってくる男も居たけれど、なんだか仕事の邪魔になるような気がして適当にあしらっていた。

そんな私が、一目惚れをした。



「きーりゅーうーさーん!!」



桐生がタクシーから降りてきた瞬間、なまえが大声で名前を呼ぶものだから

周囲の人々は何事かと彼女を振り返る。

バリキャリ然とした、如何にもクールな東京の働く女性が満面の笑みで手を振りながら走っているのだ、驚きもするだろう。



「…なまえ。」



桐生は心底うんざりした顔でなまえを認めると、それでも走って逃げたりはせず

彼女が走り寄ってくるのを待った。

背中で結んだトレンチコートのベルトが揺れて、犬の尻尾のように見えた。



「桐生さん!会いたかった!今日もかっこいい!」

「わかった、わかったから、うるせぇ。」



歩き出す桐生の背後でちょこまかと動きながらついてくるなまえは、やはり周囲の目を奪った。

黙っていれば美人なのにな、と桐生に言われてからもずっと喋り倒すなまえは

桐生の位置情報を、花屋に金を払って教えてもらっている。

初めこそ呆れた花屋は、なまえが諦めざるを得ないような大金を提示して断ろうと思ったそうだ。

なまえが首を傾げて考え込むのを、早く帰ってくれと思いながら見つめていたが

顔をあげて、カード使える?と答えた突拍子のなさに面白くなって

つい承諾してしまったと、最近桐生に吐露した。



「ストーカーっていうんだろ、こういうの。」

「ストーカーじゃない、偶然よ。運命の悪戯よ。」



しれっと言ってのけながら、なまえは当たり前のように桐生の隣に並んで歩いた。

低くないはずのなまえの身長でも、桐生は見上げるほどの身長があって

たまに年末の道路工事で出来たちぐはぐな段差にひっかかってよろけていた。



「お前もよくもまぁ、飽きねぇ奴だな。」



桐生が呆れたため息を吐くと、なまえははぐらかしたような笑顔を浮かべて曖昧に頷いた。

気が向けば連れだって呑みに行く、忙しければ、例えばそれが危ないことだとしたら

桐生はさっとなまえを巻くくらいのことはできた。

なまえもそんな時は、あぁ、これは邪魔をしてはいけない件だなと判断して

素直に巻かれたふりをするくらいの秩序は持ち合わせていた。

桐生の足音を聞きながら、今日は構って貰えそうな雰囲気がして

ちょっとスキップでもしそうな足取りで、なまえは街を歩いた。



「今日は、一杯くらい呑めるの?」



なまえの問いかけにぴたりと桐生の歩みが止まり、危うくぶつかるところだった。

ギリギリ彼のスーツに鼻頭のファンデーションを付けないで済むと、振り返った顔に

怒られるかも、と首をすくめたけれど

内心、怒った顔もかっこいいなぁなんて思っていた。



「…一杯だけな。」

「わっはーい!!!」



両腕をバンザイしてジャンプすると、鞄の当たりそうになった通行人が大きくよろめいた。

慌てて謝りながら、桐生の遠ざかる背中を走って追いかける。

以前彼は、何故俺はこんなテンションの輩にばかり好かれるのだろうかと気落ちしていたことがあったけれど

今ならきっと、あなたが人をこんな風にしてしまうのだと胸を張って言い切れる。

言い切られても、困るだろうけれど。



「あ。」



しばらく人込みを歩いていると、バーの近くの歩道で向かいから同僚が歩いているのが見えた。

比較的仕事のできる後輩で、なまえの事を怖がりながらもそれなりに懐いてくれている。

一緒にいる男はきっと恋人か何かだろう、笑顔で会話をしながらこちらへ歩いてくる。

幸い、桐生の後ろでちょこまか動くなまえにはまだ気づいていないようだった。

ぴたりとなまえの足が止まるのを、桐生は訝し気に振り返った。



「どうした、行かねぇのか。」

「あ、いや、ちょっと…」



頼りになる、都会の働く女性。

23区のトップスにICBのパンツ、青山の美容院、高級スポーツジムの会員証。

会社の人間に、今の姿を見られるわけにはいかない。

確か彼女と最後に交わした会話は今日の夕方だった。

『よく出来たじゃない。あとは任せて。』みたいなカッコいいことを言った気がする。

無表情のまま軽くパニックになっているなまえに、桐生は心配そうな眼差しを向けた。

あぁ、カッコいいなんて思っていると、後輩とバッチリ目が合ってしまった。



「あれ、なまえさんじゃないですか!」



後輩が浮かれた声で呼びかける、隣の恋人も彼女に引きずられて会釈をしながら近寄ってきた。

会社でのスタイルを貫くか、それとも桐生の前でのスタイルを持ち出すか。

いぶかし気に眉間に皺を寄せた桐生と、笑顔で近づいてくる後輩の間で揺れ動く。



どうしよう、どうしよう。



「デートの邪魔しちゃ悪いかしらって、思ったのに。」



ちょっと低めの声、前髪をかきあげながら唇の端で微笑んで見せる。

会社でのキャラがなまえの表面を覆った。



「あなたがなまえさんでしたか。こいつ、いっつもなまえさん素敵、憧れるってうるさいんですよ。」

「あら、そんな…」

「もう!内緒にしてよ!そうだなまえさん、今日も本当にありがとうございました!」

「良いのよ、可愛い後輩だもの。」



爽やかさと姉御肌を全面に押し出しながら、頭皮に汗が滲んでいる。

やってしまった。やってしまった。

桐生の顔を碌に見上げられないでいると、後輩がおずおずと上目遣いで桐生を見上げながら

恋人さんですか?と可愛らしい声で問うた。

明らかに怯えているのはわかるけれど、なまえの首は寝違えたように固定されて

とても桐生の方を見上げられなかった。



「いや、その…」

「いや、恋人じゃねぇんだ。」



低い声がバッサリと二人の関係を言い切った。

好きな人にそう言われてしまって傷ついた反面、自分の二面性が嫌になる。

恰好悪いな。



「口説いてるんだが、一向に落ちねぇんだ。本当にいい女ってのは難しいもんだな。」



気づかれないようにしょんぼりと落とした目線が思わず上がる。

見上げれば桐生は後輩にそう言い切ったあと、な、となまえに同意を求めていた。



「そうだったんですね、先輩、モテますもんね。」

「いや、え、ちょ」

「そうなのか、そりゃ俄然張り合いがあるな。」



戸惑うなまえを尻目に、和気藹々と話は進む。

最終的に後輩は桐生に頑張ってください、なんて言いながら

出会った時と同じ笑顔で、恋人と街の雑踏へ消えて行った。



「…。」

「…。」

「何にやにやしてるんですか。」

「してない。」



今になってやっと、なまえの顔が赤くなる。

桐生はにやにやと笑いながらなまえを見下ろしていた。



「とりあえず、ありがとうございました。言いたいことあるなら言ってください。」

「いや、別に。」

「別にとかじゃなくて。」



耳まで真っ赤になったなまえが、桐生の背中についてちまちまと歩き出した。

その大きな背中は笑いを堪えるように小刻みに震えている。



「いや、まぁ、会社ではああいうキャラなのか。」



くつくつ笑う口元を手の甲で隠しながら、隠し切れない含み笑いで桐生が問う。

目的のバーはもうすぐだ。

恥ずかしさで爆発しそうになりながら、なまえは縦に首を振るのがやっとだった。



「いいんじゃねぇか。TPOっつーもんがあるんだろ、たぶん。」



うつむいたままのなまえの頭を、桐生の大きな掌がぽんぽんと2回叩いた。

ハッと顔を上げると、もうバーの扉の前まで来ていた。



「桐生さん、やっぱり大好…」

「なまえの奢りだな、今日は。」



フライングハグをしようとした腕を華麗に躱されて、いつものバーに桐生は吸い込まれて行った。

色々な意味でドキドキする心臓を鎮めようと深呼吸して、早く来いと呼ぶ声にまた心拍数を乱されて

思わずまた桐生さんと大声で呼んだら、マスターにさえ怒られた。













い暇を








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