一人暮らしも長くなると、部屋の中のものは自分に必要な最小限のものだけで構成されるようになった。

キッチンには珈琲と酒を飲むためのグラスだけ。

ベッドと、仕事道具のPC、そして背の高い小さなテーブル。

テレビは不要だと気付いた次の日には売ってしまった。

ソファだって座る暇がないと知った日の夕方、職場の誰かにあげてしまった。

それでも2LDKの部屋を引っ越す労力までは沸いてこなくて

白いクロスと、白いPC。

高層階の窓辺にカーテンはなかった。

物のないリビングには仕事用のバッグが転がっているくらいだった。



「お腹、空かない?」



夕方の暗い部屋の中で、ベッドの中から這い出してきた秋山が

隣で同様裸で寝そべるなまえに明るい声で問いかけた。

空き巣にでも入られたのかと思うほど物がないなまえの部屋には、そんじょそこらに

灰皿と煙草が点々と置かれていた。



「なんか、肉な気分。焼肉でも行こうか。」



昼過ぎから繰り返し健全な生物の運動をしてきた秋山の腹がぐぅと鳴った。

なまえは物ぐさに髪をかき上げると、ベッドサイドの煙草の箱を手に取って

残り本数をちらりと確認しながら火を点けた。



「嫌い。肉は嫌い。」



なまえと食事にでかけたことは度々あった。

それでも秋山はついぞ、彼女が物を食べる様を見たことがない。

大体が酒と煙草だけでお茶を濁して、コース料理の有名なフレンチの店よりも

薄暗い地下のバーに行きたがった。



「そっか。じゃあ、何が食べたい。」

「何も。別に。」



素っ気なく告げるなまえの声は、先程までの甲高い声とは比べ物にならない程低い。

なまえはうつ伏せで煙草を蒸かしながら、つまらなさそうにその火種を見つめていた。



「あれ、どうしたの。珍しい。」



殺伐としたキッチンのカウンターには、残り少なくなったウィスキーのボトルと

不似合いな、枯れかけた花束が置かれていた。

メッセージカードのようなものも見受けられるけれど、四角の紙は花の枯れた汁で汚れて

ぐしゃぐしゃになっていた。



「貰ったの。会社で。」



年度末の社内表彰で貰ったという花は、少なくとも1週間はあそこに放置されているようで

次のごみの日にでも捨てられるのが目に見えていた。

よくわからない、似たか寄ったかな花弁の中に見えるあの種類はかろうじてわかる。

たぶん、チューリップだ。



「花は嫌いなのに。」



なまえが呟きながら煙草の灰を落とした。

その爪はきれいに整えられているけれど、何も塗られてはいなくて

いかにも彼女らしい、素っ気ないただの皮膚のような表情をしていた。



「嫌いなものばっかりだね。」



そうね、と答えたなまえの声は血が通っていないのかと思われるほど冷たくて

果たして本当に人間の出した音なのかと疑われる程一瞬で消えた。

携帯の音声認識ソフトの人口音だってもう少し温かみのある声をしている。



「好きなものはないの?俺とかさ。」



秋山が肘枕をつきながら揶揄い気味に問うと、なまえはフィルターから唇を離して

馬鹿を見るような目つきでほんの少しだけ振り返った。



「好きなものは、ないの。」



この世のすべての男と女の関係性を、恋人か、身体のお友達かで振り分けるとしたら

秋山となまえはたぶん他人に属する。

秋山の与り知らないところで、なまえが誰かに抱かれているのかは知らない。

同じようになまえも、秋山がどんな生活をしてどんな女に惚れているのかは知らない。

やぁはじめまして。性行為をしよう。

シンプル過ぎる関係は現代にも、そしてこの女にもとても似合いだった。



「煙草は、好き。これなら。」



なまえが指先で弄ぶ銘柄はとてもメジャーな、古くからあるような銘柄だった。

健康を気にしながらちまちまと蒸かすような煙草ではなく、

若者が酒の席で調子に乗って吸うような煙草ではなく、

中毒症状も末期になろうかという、緩慢な自殺を試みる人間が好む銘柄だった。

なまえはこの何もない部屋の至る所に、それらをぽつぽつと配置している。



「それだけ?」

「それだけよ。」



明日、彼女が死んだら部屋の片づけはとても楽だろう。

たぶん2時間もあれば彼女がこの部屋に住んでいた証拠は綺麗さっぱりなくなって

せいぜいヤニのついたクロスを張り替えればすぐに次の入居者を受け入れられるだろう。

それはそれでとても悲しいことのようにも思えるし、

とても身軽で、理想的なことのようにも思えた。



「棺に、たくさん入れてあげる。」



短くなった煙草を灰皿にこすりつけるなまえの裸の肩に手を伸ばして

秋山が優しく呟いた。

肩に口付けると、髪からシャンプーの匂いと煙草の匂いがした。



「なまえちゃんの死体の周りに、いっぱい敷き詰めてあげるよ。」



花や故人の思い出の品々を入れるべき場所に、ひとつひとつ煙草のパッケージを開封しながら

流れ作業のように遺体の周りに煙草を敷き詰める様を想像した。

きっと途中から涙も枯れて、ビニールのパッケージが煩雑だとか

なんでよりによって値上げ後に死ぬんだよ、とか思うのだろう。

なんとか敷き詰められた、煙草でいっぱいの棺が燃やされて

あり得ないくらいもくもくと煙が出たら、きっと笑ってしまう。

あぁ、最後までなまえらしいなと、少ない参列者は思うのだろう。



「素敵。」



なまえが秋山の首に手をまわしてキスをせがむ。

血の色の唇は煙草の匂いがして、きっと彼女の骨はこんな匂いがするのだろうと過った。









不可欠とは。






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