病的ルンレースヒェン











もう2週間は碌に休んでいない。

お風呂だってゆっくり入っていられない、もちろんテレビを点けてもいない。

やってもやっても終わらない仕事に追われて、最後にキチンとベッドに入ったのはいつだったか

考えるだけの脳味噌の容量が勿体無いくらい。



「あぁもうほんと勘弁してぇ…。」



リビングにノートPCと、色々プリントアウトされたコピー用紙を放りだして

弱音を吐きながらでもキーボードの上に置かれたなまえの指は止まらない。

何を打ち込んで居るのかわからないけれど、こっそり覗き込んだ画面には

エクセルの画面にグラフと何かの数字、それに関数がたくさん踊っていた。



「いいじゃねぇか、景気の良いことで。」



ソファでなまえに背を向けるようにしていた大吾が呟くと

適当な声で間延びした返事がなまえの喉から漏れ出た。

久々の休日、会いに行くと電話した際になまえの答えた『別に良いよ』の向こうでは

今と同じように彼女の目線は液晶か、コピー用紙の上にあったに違いない。



「そりゃ、まぁ、うん、まぁね…」



たぶん自分でも何を口走っているのか、頭は回って居ないのだろう。

なまえの仕事は専門的過ぎて、時折大吾には彼女が何をしているのかわからなくなる時があった。

それでも、呑みの席でぽろりと零れる仕事の話は面白かったし

彼女がどれ程の情熱とプライドを仕事にかけているのかは十二分に知っていた。

久々に会えたというのに、訪れた恋人にコーヒーを淹れさせる程には。

なまえが姿勢と目線を崩さぬままマグカップに手を伸ばし、口へ傾ける。

一瞬訝し気に目を細めた指先が、再度マグカップをテーブルに戻した音で

ついさっき淹れたばかりのコーヒーが空になってしまったのだと知った。



「なくなっちゃった。」



淹れろ、と言いたいのだろう。

どうやらなまえが大吾の来訪を許可したのは、恋人に会いたかった為では無く

アシスタントが欲しかっただけのようだ。

ついでに淹れた自分のコーヒーがまだたっぷり残っているのを見遣りながら

大吾はなまえの傍へ寄ると、空のマグカップを取りあげて溜息を吐いた。



「もうやめとけ。何杯目だ。」



大吾が到着した頃には、コーヒーメーカーに何杯も淹れられた形跡があった。

乾いた出涸らしはゴミ箱の中に溜まって居たのに、食事を摂った形跡はなかった。

そういえば少し痩せた気がする頬を見ながら、なまえの目がするすると液晶を滑るのを追った。



「無理、寝ちゃう。」

「少し寝ろよ、効率悪いだろう。」



んー、と駄々っ子のような声を出しながらなまえの目がやっと液晶から離れた。

大吾と目が合うと、その目は少し充血しているような気がした。

しぱしぱと何度か瞬きをする睫には少しばかり涙が滲んで居る。

現代社会人の新三大疾病のひとつ、ドライアイだろう。



「なまえ、お前、最後に寝たのいつだ。」

「んー?」



伸びをしながら天井を仰ぐなまえは少し考えたあと、わかんない、と呟いた。

衣食住に於いてはこだわりもなく、ぽけっとしている性分の癖に

仕事となると取り憑かれた様にすべてを忘れる、なまえは以前自分を病気なのだと嗤った。



「ちょっと寝ろ、倒れるぞ。」

「うーん…」



両手で髪を大きく後ろに梳かして、なまえの指先がマウスを操作した。

何かを保存したのを確認すると、電源を点けたままぱたんとノートPCを閉じて

なまえがもう一度大きく伸びをした。



「わかった。」



閉じられたノートPCの側にあった煙草をチラリと見遣りながらも

それを吸う気力すら残って居ないようだ。

こんもりと積もった灰皿のことを考えると、まぁ、わかる気はする。



「10分経ったら起こしてくれる?」



先ほどまで大吾が寛いで居たソファにどさっと横になると、右手の指先で瞼を揉みながら

なまえが眠りの体勢入っていた。



「あぁ、10分な。」



ついでにブランケットを取ってきて掛けてやりながら、大吾が自分のコーヒーを飲み干す。

先ほどまであんなにカフェインを摂っていた癖に、もう眠れるのか。

カフェインが眠気を取り去るというのは嘘なのか、それともそれ程疲れているのか、

それとももうこの細い身体には、耐性が出来てしまっているのか。

隈が出来ているようにも見える目を閉じながら、なまえの寝息が整っていくと

あの火山のような灰皿を片付けておいてやろうとか、マグカップを洗っておいてやろうなんて思いながら

ふと腰を浮かす大吾の袖を、なまえが指を引っかけて制した。



「ごめん、出来ればここに居て。」



苦笑いをしているようにも見える口元はすぐに閉じられて、目元は腕で多い隠されている。

なまえを包むぽやぽやとした眠りの気配が、静かなリビングに満ちていく。



「はいよ。」



袖に引っかかった指を解いて握り返してやると、掌は暖かかった。

かけっぱなしだったBGMは、もう何周目に入っているかわからない。



「10分ね、10分だからね。」

「はいよ。」



お願いよ、と口の中で呟いたなまえが眠りの淵に沈んでいく。

閉じられた睫にかかった前髪をそっと退かしてやると

部屋は時が止まった様に静かになった。














醒めない悪夢から束のの逃避を









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