マの追随









ウォーターサーバーが水泡を立てる、ごぶりという音で目が醒めた。

つい一瞬前まで虚ろな夢の中に居たはずの瞼は酷くスッキリと持ち上がって

額の中央奥深くからしんしんと爪先まで覚醒していくのが分かった。

午前4時、まだ街はまどろみの中。



眠っている渡瀬を起こさぬよう注意を払いながら上体を起こせば

シーツの中以外はひんやりと冷たくて、気怠いような事後の気配が

髪の隙間を縫ってなまえを撫でては通り過ぎる。

そろりとフローリングに足を下し、適当なシャツを羽織ってリビングへ抜ける。

先程睡眠を妨げたウォーターサーバーは嫌味なランプを点けて活動している。

出しっぱなしだったグラスにめいっぱい水を注ぐと、一瞬にして指先を冷やし

なまえは喉を鳴らして水を身体にしみ込ませた。



気紛れに部屋を訪れては、渡瀬はなまえの生活に荒々しく侵入した。

それが夜中だろうが平日だろうが、連休中だろうが彼には関係ないようだった。

渡瀬の好きな時間に、好きなだけ、好きなように

彼はなまえを蹂躙した。

リビングのソファの背もたれには渡瀬が脱いだジャケットが、簡易に折りたたまれて

皺にならぬよう掛けられている。

彼が部屋に入ってきてからベッドへ向かうまでの記憶は、そんなにない。

カラカラだった喉が潤って、覚醒した脳がゆっくりと血液を全身に回す。

なまえは空になったグラスを置くと、ソファに深く腰かけて

そっと渡瀬のジャケットを上からなぞった。



間接照明を点けると、細く開け放した寝室の扉が照らされて

今頃寝室には一筋、白熱灯の明かりが差しているに違いないと分かった。

物音ひとつしない、渡瀬は大柄な壮年の男性の割に

眠る際は身動ぎひとつしない男だった。

抱き締めることも、続きを強請ることもない情事はとても簡素であっけなく

もしかしたら今日、一言も会話を交わしていないようにも思えた。

つつ、と綿と化繊の混ざった派手なジャケットの表面を指でさらっていくと

やたらごつごつした、硬いものが隠されている感触がした。

そっと引っ張って中身を探ると、夜の外気に染まった冷たい金属が現れて

銀色のグリップが物々しく寝起きの指を威嚇した。

弾倉には弾が込められている様だった。



髪を耳にかけると、サイドの髪が少し零れて頬にかかった。

もっと大きいのかと思っていた、ピストルというものは思ったより小さくて

なまえの小さな掌でも充分扱えそうな代物に見えた。



ふと、渡瀬はこれをどのように扱うのだろうかと頭を過る。

何かを守る為に使うのだろうか、何かを奪う為に使うのだろうか。

守るのであれば何を、奪うのであれば何を。

取り留めのないことを考えながらしばらくピストルを眺めていた。

窓の外で揺れる、車のヘッドライトが滑らかにベランダの天井を舐めるのと同期して

白っぽい光がぬるりとバレルを、東から西へと撫でていった。

そっと片手で構えてみると、なるほどやっぱり扱い切れない。

私はやはり一般人で在らねばならぬとなまえはキッチンへ向かい

冷凍庫の氷の隙間にピストルを入れて、ゆっくりと閉めた。



「なぁ。」



低いしゃがれ声がしたのは、午前6時を目前に控えた

まだ空に星が残る、早い時刻だった。

なまえは下着と大き目のシャツだけを身に着けて、テレビも点けないまま

煙草を挟んで頬杖をつきながら、明日に迫ったコンペの資料を読みこんでいた。

渡瀬の顔からは、熟睡していたのかずっと起きていたのか

それすら伺うことはできなかった。



「おはよう。」

「おう。」



渡瀬の視線がちらりと彷徨い、何かを探していた。

何も言わずなまえはグラスを手渡そうと手を伸ばして、それから何も言わず

つい、とウォーターサーバーへ向き直って水で満たして手渡した。

欲求を口に出すことはない癖に、意に沿わないことに酷く苛立つ彼の性分は

自分によく似ている。



「出るわ。」

「うん。」



言いながらシャツのボタンを締め、ネクタイを片手で掴んだ渡瀬に

なまえは顔も上げず返答した。

灰皿からつまみあげた煙草は随分短くなって、指の間でじりじりと燃える音が

耳に掛けた髪を通り抜けて鼓膜に響いた。



「なぁ。」



最後にジャケットを軽く持ち上げた渡瀬が、これまでと違う声色で投げかけた。

きっと彼が思っているより軽い感触がその筋肉に伝わったことだろう。



「何。」



全く何も知らないようななまえの声色は平坦で、渡瀬が水のお代わりを欲した時だって

同じようなトーンで返したのだろう。

ピアノの鍵盤をひとつ、ぽんと弾いたような短い返事の間にも

なまえの目はA4の紙の上をなぞって居た。



「いや、ええわ。」

「そう。」



叱責することも疑問を投げかけることもなく、あの不条理な武器の存在を

渡瀬程の男がまさか無視をするとも思えなかった。

なまえの返答は先程と同様、ピアノを弾いたような一瞬の音だったけれど

その目が意外性に揺れる様を、渡瀬はじっと見つめていた。



「何。」



やっとなまえがコピー用紙から目を離して顔を上げると

身支度を整えて出て行こうとしている渡瀬の背中にベランダから朝日が差していた。

騒がしい一日の始まりは、二人にとっては終わりでしかなかった。

何か言おうと渡瀬が口を開き、また閉じて、束の間酷く静かな時間が流れた。

結局彼は何も言わずなまえの背中を通り過ぎて玄関を出て行くと

防音設備の充実したマンション内の頭が痛くなるほどの静寂の中で

ごぶり、とウォーターサーバーが雄たけびを上げる。













可及的速や






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