目の奥がぼんやりと霞掛かったように野暮ったいのは

連日続くすっきりしない天気の所為か、人生に差した嫌気の所為か。

下着も身に着けないまま立ちあがれば、股の間からどろりと精液が流れ出た。

温く、次第に冷たくなっていく精液が独特の粘度で太腿から膝までを濡らす。

ベランダのカーテンを細く開いて外を見れば、雨の気配がした。



「…降ってますか。」



ベッドの上で同じく裸のまま、上半身を捻って馬場が身を起こした。

少し疲れの滲んだ眼窩が暗い部屋で鈍く光っていた。



「うん。」



連日80%を超す降水確率を何とか潜り抜けてきた昨今も、限界が来たようだ。

重く湿った雲がもう耐え切れないというように水を滴らせる様は

溜まりに溜まった性欲が漏れ出す様にもよく似ていた。

裸のままのなまえの肩にそっと柔らかいブランケットをかけ、馬場は寝室を抜け出した。

コポコポと液体の音がしたと思ったら、両手に暖かく湯気の立つコーヒーを持って

ひとつをそっとなまえに手渡した。



「熱いですよ。」

「うん。」



陶器から伝わる熱は冷え切った指先をちくちくと刺して温めた。

先程までなまえの上で激しく蠢く、馬場の背中に回されていた指先を。

そっと唇を付けて一口飲み込むと、背後で馬場がライターを点火した音がした。



「…寒く、ないですか。」



なまえが隣に腰掛けられるよう、すこし中央よりずれた位置に腰を落とした馬場は

いつの間にか下着とパンツを身に着けている。

引き締まった腹筋が揺れる度彼が呼吸をしていると知り、

馬場が生きているということを知った。



「うん。」



アスファルトを一層濃く染めていく雨垂れを見つめながら、ぼんやりと

夫は今朝、傘を持って出たかと考えた。

或いは洗濯物が濡れてしまうかと、或いは子供たちが早く帰宅するかと。

一般的な主婦が考える心配事を、一般的な主婦が居てはならない場所で

温かいコーヒーを飲みながら、なまえは馬場の隣へ腰掛けた。



「1本頂戴。」

「はい。」



煙草を強請ると、馬場はソフトケースの中から1本取り出して手渡した。

なまえが咥えたのを確認すると、左手で囲って点火してくれる。

結婚して数年、今の夫が煙草を嫌うと知ったのは婚姻届を提出した後だった。

知っていたら結婚しなかったのか、今となってはもうわからない。

静かに紫煙を吸いこむと、懐かしく優しいニコチンの味がした。

満たされていく快感は、セックスのそれと大して変わらなかった。



「シャワー貸して。」



不埒な性的交遊関係を、どちらからともなく持ち掛けて

ずぶずぶとハマってしまって、今に至る。

別に後悔もしていなければ、満足もしていない。

琴線が張りつめるような緊張感と背徳感、それと少しの達成感があるだけだ。



「泊まって行けば良いのに。」



性急に喫煙を終えたなまえに灰皿を差し出しながら、まだゆっくりとフィルターを唇で弄ぶ馬場が苦笑いで告げる。

彼の掌の上に置かれた小さなガラスの灰皿で煙草を押し潰しながら、なまえの目が馬場を見据えた。



「無理。」



家庭を愛しているかと問われれば、わからない。

守るべきだとは思うけれど、自分の女としての尊厳が理性を軽んじている。

夫に隠れて喫煙をする、その行為と

馬場と不倫をするという行為に、何の違いがあるのかなまえには興味もなかった。

立ちあがってシャワーへ向かおうとするなまえの細い手首を掴まれて足を止める。

BGMのひとつもない部屋の中では、通りを渡る車のタイヤが湿ったアスファルトを走る音が

嫌味な程に聞こえていた。

毎回毎回、嫌なんですよ。と馬場の押し殺した声がした。



「次いつ会えるかとか、なまえさんが旦那にどうやって抱かれてるのかとか、考えるの。」



飄々とした笑顔が気に入ったのに、このザマは如何だろう。

掴まれた腕を辿って見れば、苦し気に恋をしている男の顔がそこにあった。

くだらなくて気持ち悪かった。



「どうして。」



携帯にはロックを掛けていない、それでも馬場は自分から連絡をして来ない。

家だってその気になれば突き止められる、それでも馬場は訪ねて来ない。

そういう関係が気に入っているのだと思っていたのは

なまえの買被りだったのかも知れない。



「帰らないでください。」



手を掴まれたまま細く開けたままのカーテンへ近寄ってみると

雨は一層強くなっているようだった。

ビルの隙間から見える灰色の空が、ますます黒く重みを増している。

この部屋から見える空は、たったあれっぽっちなのか。



「どうして。」



独り言とも取れる程度の音量で呟いたのに、肩からブランケットがするりと落ちた。

膝の裏に垂れた精液は、そろそろ固まろうとしていた。

どん、と衝撃を背中に感じて、次いで馬場がなまえの背後から鎖骨へ左手を回す。

抱き締められたと気づいたのは、刺されていると気づいたのより先だった。



「雨、酷いですよ。」



冷蔵庫の中身、子供たちの塾の時間、夫のクリーニング、濡れている洗濯物。

背中に刺さった包丁、脇腹から腰へ流れる体温と同じ温度の赤い血。

湿っていくフローリング、血液に上書きされる精液の痕。

そのいずれも、なまえを引き留めるものではない。



「うん。」



馬場が右手に握った包丁の柄を、なまえに刺しこんだまま強く握った。

痛かったけれど、別にどうでも良かった。

ここを去らない理由はただひとつ。















雨が降っている






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