見てゐる








冬が好きになったのは何時からだっただろう。

まだ薄暗い朝の空を見つめながら、なまえはコーヒーを注いだ。

白く泡の立つコーヒーからは、豆の良い香りがした。

下着すら着けない身体に大き目のシャツを羽織ると、肩までずり下がる。

冷えた指先でコーヒーカップを包んだ頃に、やっと気づいた。

そうだ、冬が好きなんじゃなくて、夏が嫌いなのだ。



「えらい早いやん。」



寝室の扉が開いて真島がのそりと姿を現した。

起き抜けのまだぼんやりした顔に、抜けきっていないアルコールが香っている。

特に何も返さずまたコーヒーを口に運ぶと、何かに気づいたように真島が口を開いた。



「寝てへんのか。」



ローンの審査が通りにくい代わりに、時間に縛られない自営業。

明け方の静かな時間に一人だけの時間を持てる代わりに、昼夜逆転生活を手に入れた。

何年もダラダラとただ仕事をこなすだけの日々を送っている内に

不眠症なのかどうなのかさえ、判断がつかなくなってきていた。



「珈琲。」

「ええわ。」



シャワーを浴びに起きただけであろう真島はなまえの申し出を断ると、

その長い足をぶらぶらとさせた後、リビングを横切って

なまえの座る、弱々しい朝日の差し込む窓辺のスツールへ近づいた。

小さなスツールの上で膝を抱えてぼぅっと窓の外を見るなまえの横顔を見ながら

真島が煙草に手を伸ばす。



「…忙しいんか。」

「んー…」



ふぅ、と真島が紫煙を吐く音が聞こえた。

別に忙しいわけじゃない、忙しいのかも知れないけれど慣れてしまった。

ちゃんと食べてるのか、ちゃんと寝てるのか、ちゃんと休んでるのか。

そんな色々な質問を、真島は続けなかった。

聞かれてもどうせ答えない。

彼が喫煙をする音、なまえの前髪が細く開いた窓の隙間から吹く風に揺れる音。

時折遠くの交差点で車が発進する音、何処かの部屋の室外機の音。

とても静かで暗い朝だった。



「貸してみ。」



スツールとセットの、同じくとても小さいテーブルの上に出しっぱなしだったマニキュアは

真島の掌の上ではとても小さく、華奢に見えた。

灰皿と煙草とライターしか置かないと決めたテーブルの上に

真赤なマニキュアはとても雑然として目に煩かった。



「優しいのね。」



スツール上で抱えていた膝の先を少し伸ばして、足を差し出すと

なまえの前で跪く真島が左手でなまえの右足を受け取った。

シンデレラってこんな気分だったのかな、と思いながら

もしそうなら、とても退廃的で悲しい気分なのだろうとアルコールの残る頭が答えた。

なまえの揶揄いに何も答えない真島の指先が、おもちゃのように小さいマニキュアの筆で

たっぷりと赤い塗料を取って、なまえの親指に乗せる。

どろどろした液体が塗り広げられていく様が、あんまりにも官能的だった。



「御上手。」



右足の薬指を塗り終えた手が、少し止まったような気がした。

彼の過去に何があったのかよく知らない。

何故日陰の道を選んだのか、怪我の理由も大切にしていた物は何なのかも

好きな食べ物も生まれた場所も、嫌いな季節も昔の将来の夢も。

なまえの知り得る真島の情報なんて、見ただけで解るような当たり前の視覚的情報と

下着を剥ぐ時の癖と精液の味くらいのものだった。



「動きなや。」



きちんと10本塗り終えて瓶の蓋を締めると、真島はマニキュアをテーブルの上にコトリと置いて

なまえの横をするりと通り抜けて浴室へ向かった。

シャンプーもボディーソープも、なまえのものは一向に減らない。

真島はなまえの香りをひとつも持ち帰らない。



白々明けて行く空が、太陽が高くなりつつあることを教えている。

風が生温く、排気ガス臭くなって街が起きたことを知る。

シャワーの水音が止まったのを聞くととても寂しくなる。

このまま真島はどこかへ出かけていくだろう。

またなまえの元へ来るのだろうか、それとも生きては帰らないだろうか。

昼日中に起きて待つ哀しさに耐えられず、ベッドへ戻ろうとフローリングへ足を下すと

真島の左手と大差ない温度が足先を包んだ。



















明日は如何生る身知れず







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