昼
正午まであと13分。
午前中一度も喫煙室に向かわず、黙々と仕事をこなし続けた甲斐あって
高々と積み上がっていた左側の未処理書類の山の9割は右側の処理済ラックへ収まった。
空気の読めない新人には悪いけれど、話しかけるなオーラを全力で出して
なんとか今日こそは12:00になる前に、あそこに辿りつかなければ。
「うわぁ、並んでるなぁ…」
韓来に到着した時刻を腕時計で確認すると、12時ぴったりからちょうど分針が1分動いた所だった。
財布片手にオフィスを飛び出して一目散にやって来たというのに
列をなすサラリーマンたちの昼休みの定義というものがわからない。
仕方がないので列の最後尾に回ったけれど、焼肉弁当が手に入るかどうかは微妙だった。
契約社員の女の子たちがこぞって絶賛していた韓来の焼肉弁当は
なまえの会社でちょっとしたブームを巻き起こしていた。
皆が思い思いに仕事を切りあげて、ちょっと早めの昼休憩を取って買いに行っては
据置の電子レンジで温めると、食欲をそそる良い香りがしていた。
毎度毎度、世の中の昼ごはんの時間に昼食を摂れた試しがないなまえの目の前で
後輩が美味しそうに焼肉弁当を食べる様が腹立たしかった。
今日こそは、今日こそは。
「あ、落としましたよ。」
「あぁ、どうも。」
なまえの前に並んでいた男がポケットから手を引き抜いた拍子に落ちた
100円玉を拾って渡す。
背が高いなぁとは思っていたけれど、笑顔でお礼を言ってくれた顔は
ちょっと見ないくらいに格好良かった。
(こんなイケメンも、焼肉弁当食べるんだ…)
自分のことを棚に上げて、なんかちょっとショックな気分になる。
派手目なスーツは会社勤めではない雰囲気がビシビシと伝わってきたし
無精髭も長髪も、昼の仕事の模範姿とはかけ離れていた。
ホストというには年齢が行き過ぎている気もするし、もしかしたら俳優さんか何かかも。
じろじろと見ていたのがバレたのか、ふと男が振り返る。
ヤバいと即座に顔を背けたけれど、苦笑いで男が話しかけて来た。
「買えますかねぇ、今日。」
「どうでしょう、人気ですから。」
顔も格好良い人は声も素敵なのだろうか。
いわゆるイケボというものに初めて出会ったことに少し感動しながら
あぁ、午前中仕事頑張って良かったと自分自身を労った。
立ち止まる隙なく消化されていく長蛇の列に着いていくと、店頭に設けられた弁当売り場の長机がどんどん近づいてきた。
なまえの前の男の番にもなれば、店内で肉を焼く美味しそうな匂いが胃を刺激する。
「弁当2つね。」
「2つですね。お客さん、申し訳ないですがこれで売切れです。」
男の向こうからひょいと顔を覗かせた店員が、残酷な宣告をしてくる。
この人意外に食べるなぁなんて考えていた頭が一瞬動かず、
売切れという言葉の意味を飲みこめた瞬間にはきっと近年稀に見る絶望顔をしていたことだろう。
「え、これでおしまいなの?」
「えぇ。残り2つで。」
男が驚いたような、申し訳ないような顔で店員に問いかけている。
なまえの後ろに並んで居た客たちは、ぞろぞろと解散していった。
きっとコンビニか、牛丼屋に向かうのだろう。
めちゃくちゃ楽しみにしていたけれど仕方ない、そういう運命なのだ。
パシってるみたいで嫌だったけれど、今度誰か早めに出られる社員に頼んで買ってきて貰おう…。
そうですか、と気落ちした笑顔を店員に向けてなまえも最寄りのコンビニへ向かった。
「ちょっと待って、お姉さん。」
今日一の感動と落胆をくれたイケメンボイスが呼び止める声が、自分の気落ちした猫背だと気付く。
戦利品を2つ持った男が、その長い足で駆け寄って来た。
「1つあげるよ。」
「いえ、そんな、大丈夫です。」
ビニール袋に入った弁当をひとつ押し付ける男に全力で遠慮してしまう。
イケメンは声も素敵なら性格まで素敵に出来ているのか。
天は二物も三物も与えるなぁ。
それならきっと神様も、ついでに焼肉弁当くらい与えちゃうかもなぁ。
「いいよ、いいよ。遠慮しないで。」
「いえいえ、そちらこそお気になさらず。」
何度にも渡るやり取りの末、事務の子が食べる分だけあれば良いんだという男の主張に負けて
結局弁当はなまえの手に握らされてしまった。
謎に満足気な男がひらひらと手を振りながら、なまえの会社と反対方向に歩いていくのを
今度はなまえが追いかける番になってしまった。
「あの、代金お支払いします。」
「良いって、それくらい。」
「いえ、そういう訳には…」
またあの無駄なやり取りが再発してしまうことを、お互い悟ってぴたりと止まる。
1000円札でも渡して去ろうと財布を開けたけれど、運悪く万札しか入っていなかった。
「うーん、じゃあ今度お茶でも飲みにおいでよ。」
男が胸元から取り出したものが名刺だと判断すると、両手を差し出してしまう条件反射が
あぁ私社会人長いなぁと、ちょっと寂しくなった。
すぐ近くの住所の書かれた名刺に記載されている肩書に少し驚いた。
モデルさんか俳優さんか、とは思っていたけれどまさか代表取締役には見えなかった。
うちの老齢な代表とは大違いだ。
「近い内に、必ずお伺いしますから。」
「どうぞどうぞ、いつでもおいで。」
今度こそじゃあね、と笑いながら手を振る彼に背を向けてなまえも会社へ向かった。
秋山さん、と知ったばかりの彼の名を口の中で呟くと
なんだか身体の中心がキュンとして小恥ずかしい。
手土産はどうしようかとか本当格好良かったなぁとか考えている内に食べ終えてしまった、
焼肉弁当の味は、ほとんど覚えていなかった。
夢見ればスージー・ウォン
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