méchant









仕事が出来ない方ではないと自負は少なからずある。

多忙を鼻に掛けるのは滑稽だと思うクチだけれど、暇より幾分マシとは思う。

なまえひとり相手に、中小企業の冴えない中年男性を一括りにしたって敵わないだろう。

それでも、上には上が居るとは上手く言ったものだ。



『四ツ谷のテナントビルの進捗はどうなっている。』



フロント企業の会長室の、ひとつ下の階に与えられたなまえのオフィスには

お洒落なオフィスにありがちな、洗練されたデザインの電話機が置かれているけれど

大概峯は携帯に直接掛けてきては、要件だけを唐突に述べるスタンスだった。



「…お戻りだったんですか。」

『今戻った。早く持ってこい。』



金の力がすべてだという日陰の世界で、その金を儲ける才覚は確かにある。

けれど、人を使うセンスというものに於いては

致命的に欠けているのが、峯という男なのだ。

午後一で帰社すると秘書に聞いたのに、平気で無視しておいてこの態度。

最初こそ少し苛立ったけれど、もう随分慣れたものだ。



「失礼します。」



ノックをして会長室に入ると、ちょうど煙草を点けようとライターを点火する峯と目が合った。

シンプルなZIPPOは、遠目からではよくわからないけれど

きっと0がたくさんつく高級品なのだろう。

高価そうな調度品のたくさん並べられた会長室で、平気で喫煙をする

きっとものづくりに対する情熱も、絶望的に持ち合わせていないのだろう。



「1件目に関しては、概ね順調です。2件目はスケジュールが前後しますが、月末にはカタがつきます。」



何も言わずに手を出す峯に渡した書類を、眺める目線に合わせて説明を加えた。

聞いているのかいないのかわからないけれど、とりあえず自分の仕事をした。



「わかった。」



善いとも悪いとも言わない、彼はきっと何かを労わったり

慈しんだりしたことがないのだろう。

名のある有名企業からなまえを引き抜いた見返りに、割りの良い給料だけを払って

労いの言葉ひとつないのは、経営者としての器に些か疑問を感じる。

別に感じるだけで、わざわざ口にして教えてあげたりはしないけれど。



「次の青山の件も、お前がやれ。」



最後のページまで斜め読みした資料をシュレッダーに掛けながら

峯が煙草を挟んだ指の先で瞼を少し押さえた。

この人でも疲れることがあるのだと、少し関心した。

灰皿に煙草を押し付ける、その隣に置かれた珈琲はもうほとんど空なのに

添えられたチョコレートの欠片には指を触れた跡さえ見当たらなかった。



「効くそうですよ。」



仕事の進捗以外のことで口を利いたのは何年ぶりだろう。

意味を図りかねている峯から目線を逸らし、チョコレートを見遣った。



「甘い物は口に合わない。」

「私もです。」



かつてまだ初々しい社会人だった頃、今の峯と同じような仕草をするなまえに

世話になった先輩がチョコレートを勧めてくれた日を思い出す。

彼を追い抜いて出世をし、後ろ足で砂をかけるように退社した時の

嫉妬を含んだ目を、今でもまざまざと思い出しては悦に入る。

皿に手を伸ばそうともしない峯に軽く一礼して会長室を出ようと背を向けると

2本目の煙草に火を点ける音が聞こえた。



「…俺はそんなに君を酷使しているか。」



つい足を止めて振り返ると、窓の外を見つめる横顔を認めた。

いつもと変わらない無表情はその質問の真意を巧妙に隠している。

傷つかずに愛情や信頼を確かめる術を持たない可哀想な男。



「好きで此処にいますから。」



毎月与えられる、表の企業では考えられないような給与が仕事の対価ではなく

なまえを引き留める為でしかないということに、きっと彼は気付いていない。

人の在処を金銭でどうこうしようという愚かさにいつか飲まれてしまうことも

彼に教えてくれる親切な人はきっと絶滅したのだろう。

会長室の扉を閉め、飾りたてられた瀟洒な廊下を歩きながら

峯を憐れむ権利すらない、自分も大概同類だと気づいた。











無言と云う






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