的サンドリヨン




神室町最寄り駅の、私鉄路線から北口へ向かうのは意外に面倒だ。

登ったり降りたり、ラッシュでなくても人が多いし。

冬でも夏でもむわっとこもった人熱れの匂いが甚だしく不快で

急いでいる時に限って、前方にちんたら歩く女子大生が居たりする。

半ば駆け足気味に人をかき分けながら進み、乱暴に改札を通り抜ける。




「―――ッ!?」





突然の衝撃に驚いて前のめりになる。

すんでのところで転倒は免れたものの、

ちょうど目の前を通りかかった年齢も職業も不詳の男の人が眉を顰めた。



「あー・・・」



一歩進んで気づく。

左足の靴のヒールが折れてしまっているようだ。

素早く周りを見渡すけれど、波のように殺到する人々の足元は忙しなく動き

もうどこに行ってしまったのか見当もつかない。



仕方がないので極端に高さの違う靴をなんとか引っ掛けながら

人の邪魔にならなさそうな柱の影にたどり着く。

お気に入りだった黒いパンプスのヒールは、根元からそっくり折れてしまっていて

情けないヒールの形状を残したまま完全に破損している。



靴屋へ向かおうにも、この人ごみの中をヨタヨタと歩くのは至難の業だし

それに何より、この先に待っている階段が面倒だ。

いっそ、どちらも脱いでしまってストッキングのままなら歩けるだろうかと

無謀な作戦ばかり思いついてしまう。




「・・・待ち合わせか?こんなところで。」




周囲の雑踏はかなりの音量になるけれども、それでも一層ちゃんと届く声に振り返る。

聞き慣れた、低くて渋みのある声は予想通り遥か頭上から降っていた。



「待ち合わせに見えます?」



相変わらずグレーのスーツ姿で髪をバッチリ決めた桐生の姿を認め、

なまえは指で引っ掛けた、パンプスだったものをぷらぷらと揺らす。

一瞬何か解らず眉を顰めた桐生だったが、それが破損した靴であることを認識すると

あぁ、と小さく納得したような声を漏らした。



「壊しちまったのか。」



大きな掌で壊れたパンプスを取り上げると、破損箇所をいくつかの角度から見つめる。

23.5という平均的なサイズのなまえの靴がおもちゃのように小さく見える。



「壊“れ”たんですよ。でも良かった、桐生さんにお会いできて。」



絶え間なく流れ続ける人を横断して、構内にある売店へ向かうことは

桐生が現れるまで絶望的なミッションに思えていた。
人のいい桐生に頼んで、その辺にある雑貨屋で安価な靴の一足でもお使いしてもらえば

あとは神室町ヒルズに入っている行きつけの店で

破損したパンプスと同じものを出してもらえば良いだけ。



「で、どこに行くつもりだったんだ?」



少しばかり面倒だが難易度の低いお使いを頼もうと口を開いた瞬間より

桐生がなまえに問いかける方が早かった。



「あ・・・、えっと、タクシーを拾って七福通りまで行こうかと。」



七福通りある少し洒落た居酒屋で、昔の同期と久々の食事の約束をしてある。

既に結婚し、寿退社を果たした友人の愚痴兼のろけ話を聞く予定だ。



「よし、タクシー乗り場だな。」



桐生がしっかりと頷いたかと思うと、急に視界がぐるりと揺れる。

周りの通行人が驚いた顔をしたのが見えたが、それも束の間

すぐになまえの眼は普段気にも止めない白っぽい天井に付けられた簡素な照明を捉えた。



「き、き・・・ 桐生さん!?」



脚で感じていた地面の反発力が無くなったのは、身体が浮いているから。

その代わりがっしりとした胸板を頬に感じ、

鼻の奥にツンと甘い桐生の香水の香りが喉を満たす。



「タクシーに乗せればいいんだろう?」

「ち、違ッ あの、靴を、そのッ!!」



あんなに混雑していた構内の道なのに、桐生と横抱きにされたなまえの周囲だけ

バリアでも張られているかのように人が避けていく。

突然のことに動揺を隠しきれないでいるなまえは慌てふためいているが

桐生は平然と、その長い足で着実に北口を目指している。



「靴を、買ってきて欲しかったんです、けど・・・」



耳まで真っ赤にしながら、なまえの声は尻すぼみになってしまう。

安定感のある腕の中で頭はグルグルと高速回転しているのに

こんなに目線が高いのかと、視界の端に写る通行人の頭部を見て思う。



「そんな恥ずかしいことできねぇよ。」



男のプライドってものは、よくわからない。

女物の可愛らしい店に入るより、お姫様抱っこで往来を闊歩する方が

よっぽど恥ずかしいと思うのだけれど。



昨今では数ヶ月に一度寄るか寄らないかの券売機を通り過ぎ、

常に人だかりのできている駅前の喫煙所すら、横抱きのまま通り抜ける。

途中、何かと勘違いしているのか、

やたらテンションの高い若者が数人、物珍しそうに携帯で写真を撮っていた。



タクシー乗り場に着くと、先頭車両の運転手が驚いたようにドアを開け

わざわざ車から降りてなまえと桐生を迎えた。



「七福通りまで、頼む。」



なまえを優しく後部座席に降ろすと、緊張気味の運転手にお札を渡しながら桐生が言う。

乗り込んだ運転手にウィンドウを開けてもらうと、なまえは桐生を見上げた。

皺一つないジャケットから香っていた香水が今もまだ喉に焼きついている。

なまえの香水の香りは移ったのだろうかと、頭の片隅が少し気にかけている。



「あの、ありがとう・・・ございました・・・。」



本当に、靴があれば良かったのにと、しどろもどろになりながら付け足す。

恐らく桐生が運転手に渡した金額は安物の靴であれば10足は買えるだろう。

先程までなまえの背中から回され、肩を包み込んでいた大きな掌は

桐生の後頭部へ気恥かしそうに添えられている。



「俺はどうも、王子様ってタイプじゃあないみたいだからな。」



何の合図もなく、タクシーが走り出す。

見送る桐生に大声で礼を言ったが、神室町の雑踏で聞こえたかどうかは定かではない。



ただ、どんどんと小さくなっていく桐生の佇まいが駅の明かりでぼんやりとしていく程に

幼い頃読んだあのおとぎ話の王子様は、やはり甘い香りが似合いそうだと考えた。











解けない法にかけられた?





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