fiore










昔はもっと物事が単純だった。

朝起きたら昨日とは違う日になっていたし、好きな人に好きだと伝えることも

相手の事情やら構築してきた関係性について考えることもなかった。

大人になるって、意外とつまらない。



あ、あのスカーフ花柄。1。



小さな、今時小学生でもしないようなくだらない願掛けをしている。

退社して最寄りの駅から家まで歩く間に花を10コ見つけたら、というもの。

10コ見つけられたら、きっと秋山に気持ちを伝えようと心に決めてもう1年。

なかなか達成できない願掛けに、正直安堵している。



まだ開いてたんだ、2。



残業続きだったので久々に定時で退社した。

思えば定時で会社を出たのは何年ぶりだろう。

駅ビルに入っている花屋がギリギリ閉店準備をしようとするところだった。



ここ今度は何が出来るのかな、3。



ロータリーを通って歩いていると新装開店準備の花輪が並んでいた。

大方パチンコ屋か何かが建つのだろうか、この辺りの入れ替わりは激しい。



あのキャンギャルの衣装、花つけるんだ…。4、5。



通りでティッシュか何かを配っている若い女の二人組が、奇抜な制服を着ている。

胸につけられた花のコサージュが揺れている。

彼女たちが差し出す小さなチラシをやり過ごしてコンビニに向かう。

昼に煙草が切れてしまって、もうニコチン不足で禁断症状が出てしまいそう。



秋山とはそれなりに長い間一緒に居ると思う。

初対面は仕事絡みだったけれど、あの飄々とした雰囲気と余裕のある態度が心地よくて

少しずつ心の中に巣食っていった。

へらへら力なく笑って、事務の女の子にいつも怒られている癖に

話が詰まっていざ決断となるとキッと細められる目は、とてもセクシーだと思う。

時折困ったように頭を掻く、その腕を動かす胸筋はちょっとしたもので

一体どんな温度がするのかと、仕事中にも拘わらずいけない妄想をしてしまう。

なまえちゃん、と呼ぶあの低い、よく通る声で呼ばれて

背中を舐め上げられたら、どれ程興奮するだろう。



あ、CMやってたシャンプー。6。



コンビニを出て待ちきれないように煙草を点けた。

普段寄らないコンビニの喫煙スペースの向かいに貼ってある新商品のポスターは

流行りの女優が背後に花を合成されて笑っている。

そういえば洗剤が切れそうだ、ついでに買って帰ろうかな。

いつも使っている洗剤にパッケージに小さくプリントされた模様も花柄だった。



店を出ると、少し俯いて歩いた。

いつもこうだ、カウントが嵩んでしまうと下を向いて歩く。

もう目に花が入らない様、注意しながら歩いてしまう。

勇気がない自分にほとほと嫌になっていると、電柱の街灯が点滅していた。



あ、やば、見つけちゃった。8。



電柱の下には小さな、名前も知らない花が咲いていた。

白い花は風に揺られる程の高さもなく、ただそこにある日突然生まれたかの様に

俯くなまえを嘲笑うかの様にその花弁をいっぱいに広げて見上げていた。

あぁ、早く帰らなければ。



コートのポケットで携帯の振動を感じて取り出す。

会社からの着信に応えると、後輩の女子社員からだった。



「どうしたの?」

「あ、なまえ先輩。デスクのファイル確認して頂けましたか?」



夕方頃に彼女の作った企画書を確認するようお願いされていたのを思い出す。

明日の朝までとのことだったので、家に帰ってからやろうと持って帰ってきてしまった。



「まだだけど…急ぎだった?」

「いえ、ですが一応附箋をつけておいた箇所だけ今見て貰えたらなって…」

「附箋?」



立ち止まって肩に携帯を挟むと、バッグを探った。

あぁ、あった。このファイルだ。

えぇっと、附箋は―――



「その、お花柄の附箋の所なんですけど…」



その場で返答をして、携帯をポケットの深くにしまいこんだ。

9つ目の花を見つけてしまったのは初めてだ。

もしかして、なんて期待よりも焦燥感が勝ってしまう。

こんなに臆病な大人になるはずじゃなかったのに。



マンションの手前の角を曲がり、足早に往来を横切る。

あとはエントランスの自動扉をくぐるだけ。

最後の花を見つけないように、ぐっと俯いて歩幅を早める自分が意気地なしで嫌になった。



「なまえちゃん。」



呼び止める声に振り返る。

どうしたの、と秋山が少し驚いた顔で立っていたけれど

振り返ったなまえの方が、ずっと驚いた顔をしていたに違いない。



「どうしたの、そんな俯いて、急いで。」



いつもの余裕のある口調で、秋山がへらへらと笑っている。

その手元を、目をぱっちりと広げて見ていると気づいた彼が口を開いた。



「あぁ、これ?店の女の子がお客さんから貰ったらしいんだけど、いらないって言うもんだから。」



捨てちゃうのも可哀想でさ、と指す手の中には

あたかも女性が喜びそうな、小さなブーケが握られていた。

10。



「ちゃんと前向いて歩きなよ。じゃあね。」



すれ違う秋山の香水の匂いがした。

ぶらぶらと長い足を緩慢に動かしながら、彼はどんどん離れてしまう。

10コ目の花束を持って。



「あの、今度」



予想以上に大きい声が出てしまって、自分でもビックリした。

振り返る顔は、やっぱり好きだなと思いながらも

一瞬にして色々な事情が頭を駆け巡った。

だけど、くだらない願掛けが叶ってしまうならきっと今だから。



「今度、ご飯でもいきませんか。」



精一杯の、こっぱずかしい全力の告白に、彼は優しく笑ってくれた。

取引先の重役が出揃うプレゼンだって、こんなに緊張したことはない。

友人代表で結婚式のスピーチをする時だって、いつも背筋を伸ばしてピンとしていたのに。



「勿論。」



にやつく顔を必死で抑えながら、デートの日には花柄の何かを新調しようと決めた。











恨むまいぞ 小夜嵐




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