林檎がいと云うだけで









それはたまたまそこに硬いものがあったからとか

偶然手に持っていた物が尖っていたとか

そんな、ちっぽけな理由。



「・・・パートナーの方から、暴力をふるわれている、なんてことはありませんか?」



ついちょっとだけ風邪気味で訪れた近所の内科に通報されて

何故か非営利団体の運営する女性相談施設の職員と対談している。

恐らく身体中にある打撲痕とか擦過傷を見て、DVか何かだと思ったのだろう。



中年の女性は幸福そうに太り、目尻の皺が如何にも人の良さそうな顔立ちをしている。

田中だか鈴木だか覚えていないが、彼女は子供をあやすように問いかけると

それっきり私の顔を見たまま微笑んでいる。



「・・・いえ。」



真意を測り兼ね、とりあえず返答してみる。

怪訝そうに眉を下げた中年の女性は、そう、と呟いてお茶を飲んだ。



そもそもパートナー、という曖昧な範疇の定義が解り兼ねる。

暴力と呼ばれるべきものの程度も人によって変動があって然るべきだ。



「それじゃ、その怪我はどこで?」



ぼんやりと中年女性の目尻の皺を見つめる私に、彼女は問いかける。

先程から質問されてばかりだ。



「・・・忘れました。」





真島と私は、パートナーと呼べるのだろうか。

恋人、仕事仲間、夫婦、友人、その他諸々の人間関係において

対を成す対等な関係にある人物をパートナーと呼ぶのであれば

きっと私は彼をパートナーと呼ぶことはできない。



真島はたまにふらりとやってきては、暴れて去っていく。

まるで台風か迷い込んだ野良猫のように

部屋の中も、私も、めちゃくちゃにする。



キッチンのフライパン、仕事用のノートPC、重いお皿

どこからか持って来た金属バット、大切にしていた植木鉢、ワインのボトル。



日常に於いて平然と一般的に存在するものが、真島の手にかかると

何故か私の身体中に傷をつける。

まるで手品師だ。



「・・・いつでも電話してらっしゃい。」



小さくため息をついた中年女性が、名刺を置いて去っていく。

あぁ、間違えた。

田中でも鈴木でもなく、斎藤か何かだ。





1週間程、真島は顔を見せなかった。

私も私でいつも通り、きちんと朝早く起きて歯を磨き

仕事をして定時で帰宅する日常を送っていた。



時々脇腹にバッグが当たって鈍く痛む他は、目立つところに外傷もないし

特段誰にも心配されることなく毎日を過ごした。



火曜日、深夜2時。

ピンポーンと間の抜けたインターホンの音で目を覚ます。

1時間程眠って居ただろうか、頭はすんなりと醒めて

筋肉が渋々動くところを見るとやはり熟睡していたようだ。



のろのろと玄関に向かうと、再度インターホンが鳴る。

深夜に無遠慮なのは今に始まったことじゃない。



「寝とったか、なまえ。」



すまんの、と口先だけの謝罪をして勝手にずかずかと上がり込む。

夕御飯のシチューの匂いや、部屋干ししている洗濯物の柔軟剤の匂いが残る部屋に

真島のピンと張り詰めた匂いが割って入る。



「・・・どうしたの。」



そう問いかける内に、リビングのソファーを陣取ると

灰皿もないのにタバコに火をつける。

仕方がないので、友人の結婚式の引き出物で貰った

使う予定のない悪趣味な小皿を差し出した。



「どうしたも何もあれへん。」



目も合わせずに相変わらずタバコを蒸す真島を見ながら

あぁ、出窓を細く開けようかと逡巡する。



「ワシが来るのに、理由がいるんかい。」



冷たいやっちゃのう、と独りごちると

悪趣味だが値の貼りそうな小皿にグリグリとタバコを押し付ける。



「・・・いつからそんな偉うなったんや?」



ゆらりと近づいてくる長身の影が、やたらと大きく見える。

身じろぎもせずに見つめ返せば、あっという間に革手袋が髪をつかみあげる。



「ワシの質問にも答えられん、ってか。」



否定の言葉を吐こうと口を開いた瞬間、左顎に強烈な痛みを感じる。

殴られた、と理解するより早くフローリングの床が頭蓋を揺るがす

慣れた痛みが鼻へと抜けた。



顔に手を出すなんて珍しい。

よほど今夜は鬱憤が溜まっているのだろうか。



私を見下ろす大きな影を見上げる間もなく、痛烈な感覚が腹部を襲う。

この痛みはなんだろう。

あの長い足の爪先だろうか。



人間というのはよく出来ているもので、腹に喰らうのはごめんだとばかりに

条件反射的に体を丸め、小さく蹲る。

予想通りノーガードの背中へ移った痛みと衝撃は

柔らかい腹部へのそれよりもずっとずっと耐えうるレベルだった。



殴打の連続。たまに当たる、異常に強い衝撃は

恐らくあの小皿や、その辺に置いてあった目覚まし時計。

何が壊れたか解らない大きな音と、真島の荒い呼吸。



1時間程だろうか、それとも、やっぱりもっと長かっただろうか。

ようやく落ち着いたのか、真島がひっくり返ったソファーを乱暴に戻し

先程と似たような仕草でタバコに火を付ける。

恐る恐る顔を上げると、前髪が少し乱れた真島が苛立たしげに

舌打ちしながらフィルターを強く噛んでいた。



「・・・痛かったか。」



ゆっくりと首を横に振ると、首筋がギリギリと音を立てて軋む。

随分と恐怖に固まっていたらしい筋肉を無理やり動かす。

なんだか下半身に不快感があるなぁと思ったら

背中の傷から流れ出た血が、下着にまで染み込んでしまっているようだ。



形の歪んだソファーの上で片膝を立てて胡座をかいている真島が

こちらに来いと言うように腕を伸ばす。

言うなりに近づくと、その長い足の間に抱きすくめられ

すっぽりと囲われてしまう。



「せやけどなァ、なまえがアカンのやで。」



埃まみれの指で髪を梳かれ、綺麗に洗ったはずの髪がキシキシと痛む。

抱きしめるように回された真島の指の先が、背中の傷に食い込んで甘く痛む。

ズルズルと相変わらず吹き出し続ける血は革の手袋に弾かれて

真島の指を汚すことすら叶わない。



ゆっくりと、一定のリズムで髪を軋ませながら

真島がつらつらと私がいかに悪い子かということを話している。

そのどれもが、全く身に覚えがない事実だということは言わない。



「真島さん。」



カラカラに乾いた喉はひくつき、口の中は錆びた鉄の味で充満しているけれど

できる限り優しく名前を呼んだ。



少し顔を離して覗き込む真島の眉が悲しそうに下がっていて

口元も心なしか申し訳なさそうにしゅんとしている。



「・・・大丈夫だよ。」



食い込んだ指の先が更に傷を抉るものだから

今度こそ私の血が少しでも真島の指を汚してくれるんじゃないかと期待する。



革手袋を伝って流れたそれが、ちゃんとあの白い肌に届いたのか

それともやっぱり撥水性の高いジャケットにするすると滑ったのか



知ったところで、どうしようもないのだけれど。










誰がそを愛でないと言えよう




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