Egli è forte e coraggioso





1時間前までは、全くそんな気配もなかった。

遅い昼食を松屋でかきこみ、さぁ終業まで頑張ろうと店の自動ドアをくぐると

そこはいつもの神室町ではなくなっていた。



ぞ ん び。



映画やゲームのポスターくらいなら、見かけたことはある。

怖いものが全くダメなので、その手のものには詳しくないが

うーうー唸りながらよたよた歩くそれは

確か死んでいるのに生きているという、よくわからないモンスターだった気がする。



とりあえずそのゾンビのような人たちが大通りを歩いていて

ゾンビよりも普通に見える人たちがキャーキャー騒ぎながら走っている。

さっきまで排気ガスと雑踏の匂いでいっぱいだった街中が

何かが燃える匂いと腐ったような匂いに溢れている。



「あんたも早く!逃げるんだ!!」



見ず知らずの男の人が大声で叫んでいる。

たぶん私に叫んでいるんだろうけど、一体なんのことやら解らない。

胃に入れたばかりの牛丼を戻しそうになる。



走り去る人々にぶつかられたり、突き飛ばされたりしながら

なんとか事態を把握しようと頭を巡らせる。



えっと、ゾンビに噛まれると吸血鬼になっちゃうんだっけ・・・?



おとぎ話と映画の宣伝がごっちゃになってしまって困る。

うんうん唸りながら考えていると、また人にぶつかられそうになる。



「あ、ごめんなさ・・・」



謝ろうと咄嗟に振り返ると、鼻が曲がりそうな腐敗臭がむわっと襲ってくる。

そこには明らかに常人よりも血色の悪い男性が、左右に揺れながら歩いていた。

眼は日本人らしからぬ真っ赤な色に光っていて

デロンと今にも剥げ落ちそうな皮膚が、辛うじて顔にひっかかっている。

服は汚れてボロボロで、所々破けてしまっているが

その破れた箇所からも同様に、腐り落ちそうな皮膚がズルズルと見え隠れする。



「・・・ゾンビの人ですか?」



ゾンビらしき男性はうんともすんとも返答をせず

ただよくわからない声で苦しそうに呻きながら近づいてくる。

思わず後退りすると、その背後はもちろん

四方八方から同じような症状を発症している人が歩み寄る。


神室町によくいるタイプの服装をした男性らしき人

露出の多い服を着た、金髪の女性らしき人

ヘルメットをかぶった子供程度の背丈の人

でっぷりと太った、不気味なお腹のスキンヘッドの人。


皆一様に変な声を出しながら、スローモーションで近寄ってくる。

1秒ごとに、耐え難い匂いがじわじわと迫ってくる。


「え、あ、あの・・・ 何かご用ですか・・・?」


相変わらず返事はない。

匂いだけでなく、その呻き声までどんどん近くなって

ぎゃあと叫んだ一人の指先がスーツの裾を掠りそうになる頃、やっと思い出した。



ゾンビに食べられると、ゾンビになっちゃうんだっけ。



「ネェちゃん、何してんねん!早よ避難せんかい!!」


聞き慣れない方言で、少し高い声の男性の声が聞こえた。

間違いなく私に向けて投げかけられていた声の主は、逃げてゆく人々に逆行して

スタスタとこちらへ近づいてくる。



ガガガ、と大きな音が聞こえたと思ったら

私を取り囲んでいたゾンビたちが次々に倒れていく。





大きな武器のようなものをブラブラさせて、眼帯に派手なジャケット。

手足は長く、その身長は近寄ってくる一歩ごとにとても高いことを推測させるその人は

血色や歩く速さからして、たぶんゾンビではないのだろう。

それでもそのジャケットの間からチラチラ見える綺麗な色は

たぶん関わっちゃいけない世界の人。



「あ・・・ありがとうございます。」

「おう。ゲートはあっちや。走れるか?」



右手に持った武器がとても危なそうなものであることはすぐに解るのに

それを振り回して出口の方向を教えてくれた。

彫りの深い顔立ちのその人の肌はとても白いが、ゾンビのそれとは違う。

通った鼻筋も、きゅっと薄い唇も、切れ長の目も人間のそれだった。



しかも、たぶん、私この人のこと知ってる。




「・・・真島くん?」



面倒臭そうに首をグリグリ回していたその人の頭がぴたっと止まる。

随分と身長差のある目が私を見下ろす。



「誰や、お前。」

「なまえ! みょうじなまえだよ!!! 同じクラスだった!!」



テンション高く自己紹介してしまうと、知らんと開きかけた口が半開きで止まる。

あ、覚えてるみたい。



「なまえて、あの、泣き虫の・・・」



泣き虫だったかどうかはさておき、切れ長の眼がくるりと丸く開かれている。

驚いている顔って、こういうことを言うのかな。



「そうだよ!うわぁー、久しぶりだね!!」



久々の同窓生との再開にきゃっきゃと騒いでいると、舌打ちをして睨まれる。

怖い顔。



「ちょっと黙っとれ。こいつら、声とか音とかに反応すんねん。」



知らぬ間にまたゾンビに取り囲まれてしまっている。

先程よりもずっと多い数のゾンビたちは、恐らく20、いや、30人は居るかもしれない。



「なまえ、ピッタリくっついとけ。」



有無を言わさぬ口調で指示されると、つい言うなりになってしまう。

仕方がないのでその派手なジャケットの裾に捕まらせてもらうと

ぎゅっと目を閉じて背中に顔をくっつけた。



何も見えないはずなのに、閉じる直前に見えた、ゾンビの頭が飛んでいく景色が離れない。

真島くんの背中越しに、大きな銃が何発も発射される衝撃が伝わる。

やっぱり真島くんは強いな。












小学校5年生の夏まで、東京に住んでいた。

父親の仕事の都合でそれ以降は違う街に引っ越してしまったのだけれど

家から歩いて15分の公立小学校の教室を、未だに覚えている。



当時、身体があまり丈夫でなかった私は学校をよく欠席していたし

体育の授業に参加した記憶はほとんどない。

内気な性格が災いしてほとんど友達もできず、今で言う『いじめられっこ』というヤツだった。


昼休みは大体本を読むか保健室に居るかで、

久々に登校してくると、クラスメイトたちは遠巻きにジロジロと見つめてきた。

物がなくなったり、突然ひどい落書きがあったりなんてことはしょっちゅう。

辛かったけど、そんなもんだろうなと思っていた。



確か4年生の春だったか、クラス替えがあった。

そのとき初めて私は『真島吾朗くん』という男の子に出会った。

真島くんはクラスの皆から少し浮いていて、でも私みたいな浮き方じゃなくて

怖がられているというか、そんな感じだった。



始業式からずっと体調を崩していた私が、一ヶ月ぶりに登校した日

相変わらずクラスメイトたちは打ち解けてくれなかった。

いつものことだと思いながら淡々と席に着き、教科書の用意をする。

遅刻ギリギリにやってきた、隣の席の男の子が真島くんだった。



理由はわからないけど、真島くんは私をよく助けてくれた。

給食を食べきれない時は、残った分を全部食べてくれたし、

わからない問題を答えられずに恥ずかしい思いをしている時は

「せんせー、そんなことより俺トイレ行きたーい」と矛先を変えてくれたりした。



物が無くなったときは、できる限り貸してくれた。

一度上履きを隠されたときは、真島くんの大きい上履きを貸してくれた。

そんなことしたら真島くんの脚が汚れちゃうよ、と突き返そうとすると

するりと靴下を脱いで、洗えばいいんだなんて言いながら一日裸足で過ごしていた。



あれからずっと月日が経って、お互い大人になったけど

真島くんは相変わらずヒーローなんだなぁとつくづく思う。













「・・・こんなもんか。おい、なまえ。もう大丈夫や。」



関西にいたのだろうか、昔と違う方言に少し戸惑う。

それでも振り返って笑うと見える歯並びが綺麗なのは、昔と変わらない。



「ありがと。真島くんは、やっぱり優しいね。」



感謝を告げると、怪訝そうに眉を顰める。

そういうところも少年時代から変わらない。



「さよか。ほら、早よ逃げ。」



しっしと犬でも追い払うような手であしらわれてしまう。

けれど、その顔は大きく口を広げて笑う、あの懐かしい笑い方をしている。

くるりと踵を返して私に背を向けると、真島くんは独特な歩き方で

まだまだ大量にいるゾンビの軍団に向かっていった。



「真島くん!!」



大声を出して呼び止めると、右肩越しに振り返る。

眼帯がない方の顔だけ見ていると、本当に面影が残っている。



「今度、お礼しに行く。」



今日もそうだけど、今までいっぱい助けてもらったから。

せめて何か私に出来ることがあるなら、そうしたい。

生きてここから出れたらの話だけど。


キシシ、と肩を揺らして笑いながら、真島くんが内ポケットから何かを取り出して投げつける。

小さな長方形の紙は名刺らしく、よくわからない肩書きとマークがついていた。


住所は・・・ミレニアムタワー。

すごい、真島くん、あんなおっきなビルで働いてるんだ。



まだいたずらっぽく笑いながら、来れるもんならなと真島くんは笑う。

昔と違うところを挙げるならもう一つ。

タバコを取り出しているところだ。



「なまえの嫌いなコワいヤツ、いっぱい居るで?」



言われて、ぐっと息詰まる。

小学校の思い出が少し蘇る。



真島くんは私が男の子たちに虐められているのを見つけると、すぐに飛んできて

いじめっ子たちをめちゃくちゃに殴るひとだった。

そしてその子たちが泣きながら走り去っていくと、背中で小さくなっている私に言うのだ。



「怖いやつ、追っ払ったぞ。」



まだ意地悪く笑う真島くんを見ながら、その名刺をぎゅっと握り締める。



「大丈夫。絶対行くから。」



ほーか、と心ここにあらずな返答をして、真島くんは今度こそゾンビの大群に向かっていった。



何の確証もないけど、たぶんあの人はこの騒動を生き抜いて

平和を取り戻した神室町のミレニアムタワーで、ちゃんと待ってくれている気がする。



そしたら今度はちゃんと、強くなった私を褒めてくれるかしら。









い続けた背中





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