arbitre








高層ビルの屋上は、地上とは比べものにならない程寒い。

冷たい風はピンヒールの足元を救わんと吹き付けて、びゅうびゅうと喧しい。

コートの脇に挟んだささやかな花束から手を離すと

風に飛ばされて東京のどこかへ飛んで行ってしまった。



「ご無沙汰しております。」



いつの間にか現れていた革靴の音に振り向くと、年に一度だけ会う男が立っていた。

生きて会えたことが忌々しく思いながら軽く会釈をすると

男は会釈を返しながらなまえの隣へ立った。



「毎年ご苦労様です。」

「そちらこそ。」



墓を持たない孤児の死に場所に、花を手向けて何年になるだろう。

彼の好きだった銘柄の煙草に火を点けて、それも風に流した。

神経質そうに煙草の煙を細く吐きだす、あの細められた目が今でもまざまざと蘇る。



「峯も、浮かばれます。」



堂島会長は穏やかにそう呟いて夜空を見上げた。

きっと彼は天国へなんか行っていない。行けるわけがない。

死後の世界に裁きがあるとするなら、彼は許されないことをたくさんしてしまった。



「そうですか。」



顔を見ることなく返事をすると、堂島会長の視線が横顔に突き刺さるのを感じた。

命日になるとここへやってくる、なまえだけの密かな弔いに

この男が現れるようになったのも何年前だっただろう。

峯の訃報に泣き崩れたあの頃より、なまえも堂島会長も歳を取った。

お互い相応に顔に皺が刻まれていくのに対して、記憶の中の峯は

いつまでもいつまでも強く、美しい。



「私の責任です。申し訳ありませんでした。」



毎年同じ台詞を吐きながら、堂島会長は深々と頭を下げる。

許しを乞うているのか、それとも彼なりの贖罪のつもりで毎年堅気の女に頭を下げるのか。

愛した男を奪った男の謝罪を、未だに受け入れられないでいる。

この男に出会わなければ今でも彼は生きていたのだろうか。



なぜ彼の人生をむしり取って行ってしまったの

なぜ私の人生から彼を取りあげて、今もなおこんなに苦しめ続けるの

なぜ彼は死ななければならなかったの

なぜあなたはのうのうと生き延びているの



投げかけたい純粋な質問を、今年もまた胸の奥にしまう。

赦してしまったら、終わってしまうと思ったから。

罵ってしまったら、この男は楽になると思ったから。



「いいえ。」



毎年変わらない問答をして、弔いを終える。

屋内へ通じる扉へ向かう背中に、会長の声が掛けられた。

なまえさん、と静かで落ち着き払った、憎い男の声がする。



「私が言えた義理ではないかも知れませんが、あなたもそろそろ自由になった方が良い。」



会長を妄信していた峯がこの言葉を聞いたら、どう思うだろう。

彼の言う通りにしろと言うだろうか、それともただつまらなさそうに

脚を組み直して、遠くを見つめて、鼻先で笑うだろうか。

峯を失ってから何年もの間、彼以外の男と寝たり言い寄られたりもした。

けれど、死んでしまうとはなんてズルくて尊いことなのだろう。

日に日に美化されていく思い出に、あれ以上の男は居ないことを思い知らされる。



「いいえ。」



それ以上の会話を避ける様に、なまえは屋上を後にした。

風で少し乱れた前髪を掻きあげ、大きく溜息をついてうずくまった。

思い出に捕らわれて、前へ進めないことが如何に不健全かなんて

言われるまでもなく分かっている。

それでも、きっとなまえがこの枷を外したら堂島会長もほんの少し楽になる。

それが許せない。



薄暗いエレベーターホールの蛍光灯を見上げながら、あの男も天国には行けないだろうと祈る。

そしてきっと自分も地獄に落ちるのだ。






赤い疑、辛い罰





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