12月17日






12月の潮風は痛い程冷たく、冬の独特な匂いも夜の潮の薫りで打ち消されてしまう。

港を挟んだ繁華街は煌びやかで、今流行りのLEDの明かりが突き刺すように明るかった。

大阪の鮮やかなネオンの明かりとは違う、昔に比べて一段と洗練された街の雰囲気が

なんだか妙に白々しく感じた。

埠頭まで乗って来たタクシーを返し、手持無沙汰に煙草を吸おうか逡巡している間に

ライトを消したセダンが近づいて、静かなエンジン音が停止した。



「よぉ。」



普段自分で運転すること等ないくせに、渡瀬の運転は癖が強い。

サイドブレーキを力強く引く音が聞こえてくるような気がした。



「おめでとうございます。」

「やめぇ、他人行儀や。」



振り向いて祝いの言葉を述べるなまえを、渡瀬は笑いながら手で制した。

渡瀬から八代目襲名の報告を聞いた時はあまり驚かなかった。

跡目争いで他の派閥とやりあっていた時も、彼なりに躍起になっていたようだが

傍から見れば近江の器は渡瀬しか居ないことは明白に思えた。



「安心したわ、相変わらずで。」



隣の県までの運転は身体に堪えたのか、大袈裟な伸びをした渡瀬がなまえの隣に立つ。

騒がしい潮風の音にも負けない彼の声の張りこそ相変わらずだと思った。


「あなたも、相変わらず。」



潮風の中で渡瀬の香水の匂いがした。

暗い埠頭にも関わらず、そこに居るだけで華やかな雰囲気もそのままだ。

つい昔のようにふと手を伸ばして、あの低い声でどうしたと問われたくなる。



「寒ないか、車、入るか。」



寒さを案じる優しさも、そのままだった。

なまえが目を伏せて首を横に振ると、渡瀬はそれ以上強いることはなかった。



「話っちゅう程のモンでもないねんけどな。」



話があると呼び出されたのは数日前だった。

跡目を継いだことを告げたその番号は、ずっと削除できずにいた。

住む世界が違うと自分から身を引いた癖に、渡瀬と別れて以来どんな男も味気ない。

忘れようと心の奥に追いやり続けて、ちょうど1年が経とうとしていた。



「戻って来んか。」



なまえを手放したことを、後悔しているという渡瀬の言葉に嘘はないように思えた。

だからこそ、目を見るのが怖くて

暗い海を見つめたまま、返答に窮していた。



渡瀬から電話を貰ってから今日まで、何度も自問していた。

別れてから日が経つのに一時も忘れさせてはくれない彼の存在は

陳腐な言い方をすればきっと運命の人だったのだろう。

離れたことを後悔していたのは、なまえも同じ気持ちだった。

その男が今、戻って来いと自分を求めて居るというのに。



「ううん。」



潮風に消えてしまいそうな大きさで首を横に振ると、一瞬の間の後に

そうか、と何でもなさそうな声で渡瀬が呟いた。

生きる世界が違うというのは、とても悲しくとても強大なことなのだと身をもって知った。

愛しているという言葉だけでは、彼に寄りかかることは出来こそすれ

彼を支えていくことはできない。



「なまえ。」



あのよく通るしゃがれた声が、あんまり切なく自分の名前を呼ぶものだから

見ないようにと努めていた渡瀬の顔を振り返ってしまう。

きっと泣きそうな顔をしているに違いないなまえの頬を、渡瀬の大きな手が包み込んだ。

冷え切った頬に、彼の掌はやっぱり暖かかった。



「ええんか。」



慈しむようになまえの頬を撫でる掌は硬く、懐かしかった。

幸せだった日々を懐かしむようになまえは目を閉じて、ほんの少し

ほんの少しだけ、その掌に頬を摺り寄せた。

彼もほんの少しだけ、その指先に力を込めた。



「うん。」



愛だの恋だの、そんなちゃちな表現で一緒に居られる時間はとうに過ぎたのだ。

強い目で返答するなまえの頬を撫でる手がゆっくりと離れていく。

親指で優しく唇をなぞる指が離れて、潮風が冷たく当たった。



「幸せになりや。」



渡瀬の体温の消えた頬に涙がひとつ流れると、彼は車へ向かっていった。

きっとこの先お互い以上の相手が見つからないことはわかっている。

大切な人を永遠に失ってしまうことの喪失感がどれ程のものかも

この決別が生涯自分を苦しめることになるであろうことも

痛いほどよくわかっている。



来た時と同じような、静かなエンジン音がゆっくりと去って行くのを見送りながら

あぁ来週はクリスマスだと気づいた。










戻れい場所まであと数時間







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