Un bon rêve






「・・・ぁふッ」



助手席から聞こえた小さな吐息に、

運転中にも関わらず目を向けてしまったのは

恐らくそれがなんとなくセクシーだったからだ。



「ごめんなさい・・・」

「いえ。」



高級車、と呼ばれる部類なのだろうか。

東城会の社用車を走らせながら神室町を横切るが

普段の雑音は一切遮断されている。

なまえがあくびを咬み殺す息ですら、聞こえてしまうほどに。



「ここ最近はお疲れでしょう。」



即座に視線を前方に戻し、相変わらずタラタラと進む交差点を走る。

峯としてはなまえを労ったつもりだったのだが

なまえはただただ萎縮するだけだった。



お抱えの弁護士であるなまえは、ここ数日東城会本部に缶詰になっている。

心当たりが多々ありすぎて、一体どの案件がそんなに大変なのか解らないが

多忙を極める六代目の空き時間を狙い、会議をし、

それ以外は本部に与えられたなまえ専用の書斎で何やら書類を作っていた。



法務関連は峯の管轄外なのでよくわからないが

外部に持ち出せない資料の為、本部内で朝を迎えることもあるくらいだ。



「峯さんこそ、お忙しいのに申し訳ないです。」



なまえを送っていけと指示したのは、六代目だ。

生憎下の者が出払っておりましてと返答したにも関わらず

結局峯が運転させられることになってしまうのは、今回が初めてではない。







なまえに対して、好きだとか嫌いだとかいう感情を抱いているわけではない。

ただ仕事に真面目に取り組む、実直そうな人柄だと評しているだけだ。



確かに容姿は万人受けするような、整った顔立ちで

常に清潔感の漂う着こなしや髪の纏め方は、峯でなくても好印象を持つだろう。

神室町の男たちは、なまえのように爽やかな美人と遭遇する機会に恵まれない。

煌びやかなドレスに身を包み、ガチガチに固めた髪を歌舞伎のように振り立て

酔ってしまいそうなほど香水を振り掛けた女に飽きてきた頃に

なまえのような春風を彷彿とする正統派美人は、デザートのように輝かしい。




確かに、峯の嫌いなタイプではないが

女性として峯がなまえを見ているかというと、それは別の話だ。



「今日は家でいいんですか。」

「いえ、事務所に一度戻ります。」



他の仕事も溜まってまして、と笑うなまえの目は心なしか落ち窪み

隠しきれない疲弊感が漂っていた。



「・・・ちゃんと睡眠は取っていますか?」



カッチカッチとウィンカーが鳴る。

大きく右折しながら、なまえに問いかける。



「はぁ・・・ あんまり。」



へらへらと答えるなまえは、どこか申し訳なさそうだ。

車は大通りを抜けて、少し交通量の少ない路地に入った。



「移動中くらい、眠っていても構いませんよ。」



先ほどのあくびを思いだし、峯なりに気を使って声をかける。

よく冷たいと言われる態度もあって、きっと文字通りには受け取ってくれないだろうが。

いえいえそんな、と否定とも謙遜ともつかない返事をしていたなまえではあるが

その後の会話が続かない所を見ると、恐らく相当眠たいのだろう。

以前送った時は、簡単な打ち合わせを兼ねた雑談や担当案件の顛末確認がある車内が

今日はしぃんと静まり返っている。







しばらくすると案の定、視界の端にうつらうつらと船を漕ぐなまえを捉えた。

起こさないようにと発進・停止に気を配り

性能の高い車を更に慎重に運転する。





30分程車を走らせると、神室町から少し離れた

白いビルの立ち並ぶオフィス街へ到着した。

何度か訪れたことのある、なまえの所属する弁護士事務所の看板が掲げられたビルは

もう完全に消灯されているようだ。

恐らく、なまえは一人で朝まで仕事をするつもりだろう。

始発の走る頃、走って帰宅し、シャワーを浴び、また出社するだろう。

なまえの疲れた寝顔に、そう書いてある気がした。



「・・・着きましたよ。」



起こすのが忍びなくて、到底起きそうもない音量で声をかける。

肩に頭を載せ、すうすうと寝息を立てるなまえの唇は薄く開き

細くて色素の薄い髪がその頬を半分隠している。



「・・・みょうじさん」

「う・・・ん・・・」



少しだけ身じろいだなまえは相変わらず夢の中のようだ。

閉じられた薄い瞼の下で、眼球がコロコロと動いている。












特別、好きだとか気に入っているとか、そういう感情を抱いていたわけじゃない。

周りの男たちが騒ぎ立てるのを、むしろ冷めた気持ちで見ていた。











少しばかり綺麗だからといって

少しばかり仕事ができるからといって

少しばかりすぐ無理をしてしまう性格だからといって

少しばかりなまえの笑顔を見ると鼓動が早くなるからといって








本部で見かけられたら嬉しくて

『峯さん』と呼ぶなまえの声が、ぞわぞわと神経を撫でるように興奮して

時たま見せる、普段の無理を伺わせる疲れた顔を見れば心配にもなって








恋愛感情はとうの昔に捨てたものだから

これがどういう関係を指し示す好意なのか、峯には全くわからない。













「なまえさん」



さっきより強めに呼びかける。

夢現の今なら、きっといつもの“みょうじさん”でなく

もっと近しい名前で読んでも判断がつかないだろう。



「なまえさん・・・」



上質なワインを飲むように、じっくりと舌の上で転がしながら

愛しい名前を呼ぶ。









聞こえて欲しい。

聞こえて欲しくない。








矛盾する欲求が峯の胸をキリキリと甘く突き刺す。



「・・・みね、さん」



譫言のように呟くと、なまえは何度か唇をモゴモゴさせ

再び眠りの淵に落ちていった。



こうも無防備に安心されると、なるほど、逆に手が出しづらい。



苦笑しながら、暗い車内で発光する備え付けのデジタル表示の時計を見やる。

あと10分だけなら眠っていても大丈夫だろう。

路肩に停めた車の中で、この忙しく愛しいなまえに僅かでも休息を与えられたら。



峯はそっと音の鳴らないようシートベルトを外すと

健全な寝息を立てるなまえの、柔らかい頬にくちづけを落とす。

触れるか触れないかの、優しいキス。



あと10分、きっちり10分で

また現実があなたを忙殺してしまうから









それまでは、無防備なり姫のままで



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