イライラするのは精神的に、そしてなにより美容に宜しくない。

ブラックのコーヒーをがぶりと飲んでPCに向き直る。

なんだってこんなに忙しいのに飛び込みの仕事を最優先しなくてはならないのだ。

事前連絡もなく事務所に飛び込んできて珈琲を強請り、途方もなく面倒な案件を置いていく。

確かに佐川の仕事は金になるけれど、なまえが日々食っていく為には彼以外の顧客の仕事も当然あるわけで

佐川の指定した締め切りに間に合わせる為に犠牲となったのは、なまえの体力と集中力だった。

苛立ちを隠しきれないキーボードを叩く音がやむと、BGMはもう3周目に入っていた。

大急ぎで出来上がった書類を出力し、ファイルに閉じるとバッグに突っ込む。

電気も何もかもつけっ放しでデスクの上の鍵の束を手に取ると駐車場へ向かい

車のエンジンを掛けながら携帯を鳴らした。

案の定、佐川の応答はなかった。



「できたけど。」



佐川の事務所までは車で20分。

その間佐川からの折り返しは一度だってなかった。

事務所に到着すると強面な彼の部下か何かが威圧的な態度で身元を探ったけれど

なまえは端的に名前だけを述べ、佐川が半分寝床扱いしている執務室へ押しかけた。

不機嫌そうな表情を隠しもしないなまえがバッグからつい先ほど出来上がったばかりの書類を取り出す。

複合機から出てきたばかりの時はほんのり暖かかったコピー用紙は

ファイルの中で冷えていた。



「早いじゃないの、お疲れさん。」



早いもクソも、今日中といったのは佐川の方だ。

壁掛け時計をちらりと見遣る、日付が変わるまではあと2分だった。



「本日中というご要望でしたから。請求書は後日郵送で。」

「おいおいおい、ちょっと待てよ。」



では、と踵を返すなまえを佐川が呼び止める。

煙草を挟んだ右手をなまえの肩に乗せ、彼女が手を掛けた扉をゆっくりと閉めると

佐川はソファに座るよう促した。



「中身の確認くらいさせてくれよ。何そんな急いでんだよ。」



普段中身の確認など興味もない癖に、彼は応接ソファの向かいに腰かけると

さて、なんてわざとらしい口ぶりでファイルから書類を取り出した。

公的機関に提出する対策用の申請書だ、彼が見たところで分かりっこない。

大人しく判子だけ押してくれりゃあ良いものを、今日に限って佐川は重箱の隅をつつくようにコピー用紙に目を通している。

いや、目を通しているふりをしているだけか。



「どうした、えらく不機嫌じゃねぇか。」



間違いなく機嫌の悪い理由を理解していながら、鼻で笑うような口調で佐川が問う。

なまえは壁の時計をもう一度、今度はこれ見よがしに睨んでみた。

仕事を投げる際は事前に打診をするようにと咎めた数は、100では足りないだろう。



「なんだ、デートかなんか、あったのか。」



なまえの視線の先を追った佐川が、コピー用紙を机に放りだした。

10数枚程度の書類の中で、彼が手を止めていた箇所は

思った通り、本題に入る2枚手前だった。



「そうですね。」



当たり前だけれどデートの予定なんてない。

それでもなんだか悔しくて、なまえが冷たく肯定すると

わざとらしい態度で口先だけの謝罪を述べる佐川がウィスキーを勧めた。



「そいつは良かった。お前の浮気を阻止できて何よりだ。」



ラベルを見せる佐川の勧めを手つきだけで断った。

確かに一刻も早くアルコールを摂取したい気分だけれど、今日は車で来てしまっているし

何より何が悲しくて苛立ちの張本人と酒を呑まなければならないというのだろう。



「私をいじめるのが、相当お好きなご様子。」



佐川と寝たことなど一度もない。

何度も誘いを受けたことはあるけれど、冗談の延長のようなものだったし

何よりいつも佐川の仕事が突発な所為で、余裕がないというのが本心だ。

それに、その気になれば佐川は力づくでもなまえを抱くことは簡単なのだから

きっと彼からしたら毎度、からかって遊んでいるだけなのだろう。

なまえが酒を呑まないと解ると、今度は煙草を一服していくよう勧める。

今度は断らせない威圧感が漂っていた。



「あぁ、大好きだよ。」



なまえが煙草をくわえると、対面で大股を広げた佐川が身を乗り出してライターを差し出した。

彼の左手で覆われた炎はオイルの匂いがした。



「惚れた女を虐めるのは、クソガキの特権かと思ってました。」



憎々し気に吐き捨てるなまえに、佐川は困ったように眉を下げた。

口の端を酷く歪めて笑う、人を見下したような笑い方は心底神経を逆撫でするけれど

嫌いではないのだと自覚し始めているのが最近の自己嫌悪だ。



「俺からすりゃ、お前も十分クソガキだよ。」



ウィスキーを舐めた佐川が脚を組んで見下ろす。

その狡猾そうな目の中にあるものが嫌悪感と性的好奇心だと知ってしまった時から

なまえの苛立ちの根源に名前がついた。






















同族








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