泡影のカゥーラ






















角の乱れたシーツの中で目を醒ますとまだ外は暗く

夜明けまで時間があるのは一目瞭然だった。

同時に、隣で寝ていたはずの尾田の姿がないことに気づくと

なまえは下着だけの姿に薄いシーツを巻きつけて

スリッパも探さず裸足のまま、慌ててリビングへ向かった。



「起こしちゃった?」



リビングの間接照明だけを点けて、尾田は何やら仕事をしていた。

彼の側にはいつも、革のファイルとペンが常備されていた。



「尾田さん…」



ホッと胸を撫で下ろしたなまえにこっちへ来いと手招きする、ソファに掛けた尾田の手元には

なまえのリビングの棚に並べてあるウィスキーが一本出してあった。



「どうしたの、そんな格好で。」



夏とはいえ、エアコンをかけっぱなしの室内は寝起きの肌には冷たかった。

尾田の隣に座ったなまえを、彼は片手でかき抱くと

ずり落ちたシーツをなまえのむき出しの肩へそっと掛けてくれた。



「どこかへ行っちゃったのかって。」

「ふぅん、可愛いこと言うじゃないの。」



尾田は馬鹿にしているのか、それとも本心で可愛いと思っているのか

判断のつかないレベルで笑いながらウィスキーを傾けた。

ウィスキー用に誂えた氷は冷凍庫に入っているのに

彼はストレートで茶色い液体を舐めていた。



「誘いに来たの?」



肩に回された尾田の指がゆっくりとなまえの顎のラインをなぞりあげた。

なまえの左耳に髪をかけながら、彼は低い声で囁いた。



「ううん。」



もう一度肌を重ねるのが嫌だったわけじゃない。

それより、テーブルの上のファイルの中の文字がうっすらと霞掛かって判読し辛いことや

先程から頬を預けている尾田の胸が酷く冷たいことが気になっていた。



「ここにいても良い?」

「勿論。」



優しい口調で許可した尾田は、なまえの頭のてっぺんから毛先まで一度髪を梳くと

肩に腕を回したまま、もう片方の手でテーブルの上の書類を手に取った。

ソファの上に両足を持ち上げたなまえは、先ほどからの違和感の正体を打ち消そうと

尾田の胸にぴったりと頭をくっつけた。



「今日は珍しい、甘えてくるなんて。」



苦笑いで呟く尾田の声は酷く克明に耳に届くのに

その胸はいつまで経っても冷たいままだった。

本当はいつもこうしたいのよ、と優しく答えようとしたなまえの喉は

ひゅうひゅうと息が漏れ出でるだけで、全く音を発しそうにない。



「…、…!!」



一生懸命口を動かし、喉を振るわせようと努めているのに

水の中に居るようにどんどん息が苦しくなってくる。

そんななまえの様子に気付きもしない、相変わらず書類に目を通している

尾田の横顔は間接照明の明かりに縁どられて、次第に白熱灯の色に溶けて行った。

胸にくっつけた耳には、いつまで経っても心臓の音が聞こえない。



ぜぇぜぇ、どろどろ、ひゅうひゅう、どろどろ。



酷い汗で目を醒ます、外はもう明るかった。

夢の中で目を醒ましたベッドはそのままだったけれど、隣に尾田が居たなんてことは

なかったのだと即座に理解した。



「…はぁッ!はぁ、はぁ…」



髪の中まで嫌な汗をじっとりとかいていた。

下着だけを身に着けて眠る習慣は、尾田の存命時から変わらないけれど

今度はシーツすら身に着けず、しかしちゃんとスリッパを履いてリビングへ向かう。

間接照明もついていないリビングのテーブルには、ウィスキーのグラスの代わりに

出しっぱなしにしていた煙草と、なまえの仕事の書類が置いてあった。



出勤まではまだ長い時間がある、なまえはシャワーをいつもより熱めに設定して

勢い良く全身の汗を洗い流した。

肌を滑る液体の感触が現実的であればあるほど、あれは夢だったのだと思い知った。

尾田とは身体の関係がある程度の交遊関係で

束縛も契約も何もない、非常にドライな大人の関係だった。

愛していたのかと訊かれると首を横に振らざるを得ないけれど

嫌いだった訳でもない、尾田が死んだと知ったのは彼の死後数か月経ってからだった。



「意地悪な人。」



シャワーの流れにそって髪を撫で、湯を止めるとなまえは溜息を吐いた。

ぴちゃん、ぴちゃんと身体から滴が落ちて浴室の床を叩く。

もう逢えないのならせめて忘れさせて欲しいという望みを、彼は聞き入れる素振りもない。

ならば、口に出して伝えたかった言葉を言わせて欲しいのに

言いたいことはいつも、声に出せないまま目が醒める。

尾田の触れた指先の感触が少しずつ、少しずつ思い出せなくなって来ているこの頃

もうすぐ彼の死んだ季節がやって来る。























醒めないなら




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