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どんな理由があれ損失を出してしまうということは犯罪と同じで

例え原因が自分になかろうとも、僅かでも利益を損なえば即刻首を切られる会社は

悲しいことに今時少なくはないのが日本の現状なのだ。

今までそうして何人もの同僚を切り捨てて生きて来たのだから

自分がいざ切り捨てられる側の立場になっても、特に何も感じたりはしない。



「―…君が切られるとは、思わなかったな。」



引継ぎと退職の挨拶を兼ねてクライアント先を回る、最後の最後に一番厄介なクライアントを訪れた。

実入りは良いが訳のある、なまえの持つ最大手のクライアントの会長職は

ちっとも驚いていないような声色で珈琲を啜った。



「社内での引継ぎは万全に済ませてあります、ご安心ください。」



無表情な峯の感想には反応せず、なまえははっきりと言い切ると

新しい担当の名刺を置いていった。

引継ぎの挨拶に関しても、新担当は顔を見せにすら同行しない。

自分だってそうだった、徹底した成果主義の賜物だ。



「ミスをするような人間には見えなかったな。」

「私も人間だったということです。」



第三者的要因があろうとも、得られる利益を損なったということはミスに違いない。

どんなに日々の業務を完璧に遂行し、綿密な計画を立て、完全に履行したとしても

遠い国の株価の暴落や、取引先の不祥事なんかは防ぎようがないのだ。

そして、それらはひとつも免罪符になんてなりはしない。

なまえが言い訳をしなかったのは、一社会人としての矜持がそうさせたからで

きっとこれ迄会社を去って行った少なくない数の人間たちも

誰一人自己弁護を口にしなかったことだろう。



「そうか。」



なまえが差し出した名刺を興味なさそうに一瞥し、受け取りもしない峯が

煙草に火を点けて応接用のソファに悠々と腰掛けた。

なまえの所属する…正しくは今月末までは所属している組織もなかなかの成果主義だが

峯の経営手法はその上を行くものだった。

完璧主義で几帳面な彼からしてみれば、なまえの会社のやり方は合法的で効率的で

共感に値するものだったのだろう。

どことなく同じ空気を持っていると感じていた、峯が随分遠くに思えた。



「これからどうするか、決めたのか。」



薄い紫煙を吐き出しながら問う峯に、なまえは居心地悪そうに顔を傾げた。

業界トップクラスの年商を誇るなまえの会社は、同じく離職率でもトップクラスだ。

そういった人間をスカウトする同業他社は数多くあるし、実際なまえにもスカウトの話は来ていたけれど

やはりここでも矜持が彼女の邪魔をする。

これまで去った人間の中に誰一人同業で成功者が居ないのは、きっとなまえと同じ理由に違いない。

大人しく田舎へ帰るか、異業種へ転職するか、人生の大きな分岐点を強いられる。

どちらにせよ、敗者の烙印は一度押されたら消えることはないのだ。



「いえ、これからゆっくり考えようかと。」



目線を逸らしたなまえが首を振って答えると、やっぱり彼は興味なさそうな無表情のままだった。

多忙で激務でストレスの多い仕事だったが、やりたいことはまだまだ沢山あった。

去り際になってやっと、この仕事が好きだったのだと気づく程には

なまえは人生のほとんどすべてを仕事に捧げて生きて来た。



「独立するかと思っていた、君なら。」



静かに呟く峯に、なまえがひとつ瞬きをする。

勿論考えなかった訳では無い、一本立ちをするに十分な知識や技術は身に着けていた。

免職処分を言い渡されたその夜気づいた、まだこの仕事がしたいという純粋な気持ちに

どうにか出来ないものかと色々策を練ってはみたけれど

朝日が昇る頃に達した答えはひとつ、資本力が足りなかった。



「簡単に仰いますね。」

「実の所、私は案外人見知りでね。」



指の間で煙草を挟んだまま、彼は窓の外からなまえへ視線を移した。

瞬きひとつしない彼の目が薄い茶色だと気づいたのは、初めてだった。

彼は脇に詰んだ書類の下から小切手を取り出し、なまえの万年筆を奪い取って署名欄だけを記入すると

金額欄は未記入のままでなまえの前へスライドさせた。



「パトロンならなってやる、好きに書け。」



言い捨てて再度喫煙に戻ると、彼はまたソファへ深く腰かけた。

先程と違い足を組んだ彼の目線はなまえを見つめたままだった。



「あなた程の完璧主義者が、救済措置を差し出すなんて。」

「先行投資という言葉を知らんのか。」



ペン先を峯の方へ向けて置かれた万年筆には手を付けず、なまえも峯を見つめ返した。

振り返れば先任の担当者から引き継がれて以降、峯とはそれなりに長い付き合いになる。

彼等の怖さも、十二分に知っていた。



「嬉しいお申し出ですが、理由がありませんわ。」

「君の優秀な業務処理能力に期待、とでもしておこうか。」



少し短くなった煙草を灰皿に押し付けた峯が応えるのを、なまえは無言のまま眉を上げた。

それなりに長くなる付き合い、先を促すなまえから一度視線を外して

峯はゆっくりと深い溜息を吐いた。



「君を一度抱きたいと思っていた。」



薄々感づいていた、彼の自分に対する性的好奇心は

人間的な魅力そのものではなく、なまえという入れ物に対する興味であって

特別な意味等何一つないことはわかっている。

なまえはゆっくり万年筆を手に取ると、小切手に指をかけて峯を見つめた。



「流石、お金で抱けない女は居ないんですね。」

「安い女は抱かない主義なだけだ。」



それ以上言葉を交わすことを許さない、彼の表情にはつまらないことを訊くなと書いてあった。

手早く9桁の金額を記入して峯の前へスライドさせると、彼は小切手を一瞥しただけで

特に何も返答はしなかった。

会長室を辞する、ドアの向こうからちらりと振り返る彼の無表情で機械的な横顔が

本当は何を求めて居たのか、もう誰もわからない。

















ご覧あれが沼の










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