BLAGUE






















不倫だとか金銭授受のある肉体関係だとかは

この世界にあまりにも日常的に存在している。

なまえが女だてらに会社を持ち、東城会という一大クライアントを抱えているのも

全て一重に、人より少し美人で、人より少し賢くて

そして人より大幅に、倫理観とか貞操観念だとかを持ち合わせていないからだ。

既婚者の癖に、堂島組長は打ち合わせと称して頻繁になまえをホテルへ呼び出しては

当たり前のように抱き、仕事を回す。

月に少なくて3回、多い時は数えきれない程。

そうして彼出て行ったきっかり一時間後に迎えの車を寄越すのだ。

組長の肝いりである渋澤とは、毎度そうして顔を突き合わせる。



「どうです、仕事の方は。」

「お陰様で。」



ホテルの玄関に停められたセダンに乗りこみながら会話を交わす。

ゆっくりと発進したエンジン音は静か過ぎる程に静かだ。

行先はなまえの事務所、身体と引き換えに手に入れた大型の案件を

とっとと形にしてしまいたい。

ウィンカーを出して大通りに出るまでの間、それ以外に二人は会話をしなかった。



「お疲れでしょう、親父との”商談”の後は。」



両手でハンドルを握り、シートに深々と腰掛けた渋澤が一部嫌味な強調を漂わせて

小さな溜息を吐いたなまえを労った。

自分がどう思われているかくらい知っている、なまえはギロリと彼を睨み

そうね、と答えて窓の外に目をやった。

初対面で若頭と名乗った渋澤は、本来ならこんなくだらない仕事をやる身分ではないはずだ。

堂島組長が直々に指名したと思われた人選に、彼が非常に渋澤を信用していることと

自分がそれなりに大事にされているのだな、ということは判断出来た。

そりゃそうだ、なまえが騒げば様々なイケナイ事が白日の元に晒される。

一人身の女と、直系の最有力組組長じゃ失う物の大きさがあまりにも違い過ぎる。

フランクな身体の付き合いだった組長となまえは、いつしか泥沼の最中に居た。

滑るように走る車窓の外は日付も変わりそうな東京、相変わらず馬鹿げたインフレと

何者かに騙されているような熱気でむせ返りそうだった。



「まずいな、先生。渋滞だ。」



渋澤が呟くのを受けてなまえが視線を進行方向へ向ける。

新宿から山手線沿いに南下した先へ向かう305号が、こんな時間に渋滞なんて珍しい。

特に急ぐ用事もないが、悠々とドライブを愉しむ間柄でもなくて

迂回しますかと問う渋澤に、短く頷いて返答した。



「どうします、青山の方から回って行きますか。」

「任せるわ。」



なまえが疲れた眉間を擦りながら答えると、少々強引に割りこみを重ねて

セダンが東の脇道へそれた。

煌々と明るい大通りから一変して、車も少ない通りを縫うように進んでいくと

やっぱり深夜なのだと、視覚で痛感した。



「…随分迂回するのね。」



ほんの数本、路地を行けば十分迂回できるルートのはずだ。

東京に住んで長くなる、多少の土地勘はあるつもりだったけれど

渋澤は無言で車を東へ、東へと進めて行った。



「親父がね、先生の事を酷く気に入っているようです。」



先程までの大通りと違って薄暗い通りに入ると、運転席の渋澤の表情は見えなくなった。

彼はいつも、なまえを先生と呼ぶ。

違いない、国家資格を持っている職業なら大抵が先生扱いされるものだけれど

彼の言い方にはいつも嫌味な含みがあった。



「そう。」



努めて動揺を隠しながら、なまえが短く呟いた。

どちらも饒舌なタイプではない二人が、こんなに会話をしたのは初めてかも知れない。

なまえが知っているのはせいぜい渋澤の名前と、肩書と、香水の匂いと運転の癖だ。

外苑前を過ぎ、新宿とは違う空気のする東京の東部まで車を走らせる。

その間一度もなまえは渋澤を止めなかったし

渋澤もなまえに何かを問うたり、表情を伺ったりすることはなかった。

ただ時折遠くのクラクションが鳴らされるのと、タイヤがアスファルトを蹴る音が

静かに、静かに流れていた。



「先生は、こうは思ったりしたことありませんか。」



随分走った、ともするとここは千代田区あたりかも知れない。

唐突に渋澤が口を開いて顔を見つめたけれど、彼は相変わらず正面を向いて

ハンドルを両手で握っていた。



「こう、とは。」

「親父の女でも良い、いっそこのまま浚って囲って、独り占めしたい、なんて。」



渋澤の口調に、少しの動揺も感じられなかった。

淡々と、例えば留守番電話に用件だけを吹きこむように

数十センチ隣にいるなまえとの間に何か壁を作りながら、彼は車を運転した。

もう少し行くと、もう東京駅が見えてきそうだった。



「いいえ。」



たぶん、あそこが今夜の終着点だったのだろう。

他の街とは違う瀟洒な街灯が徐々に増え、行き交う人が疎らになり、走る車の値段が跳ね上がる。

渋澤には新宿より、こちらの方が似合いに見えた。



「俺は、思うんですがね。」



こちらの意見は聞いていないような口振りで渋澤が返す。

堂島組長のことを愛している訳が無い。

金、出世、贅沢、勝利。

それ以外はあんまり素敵だと思わない、勿論渋澤のことも。

無表情のままの渋澤が駅の近くで車を停め、ハザードを付けた。

サイドブレーキを引かず、ぴたりと路肩に停止した彼の横顔は街灯に照らされていたけれど

やっぱり表情が読める程には、底の浅い男ではないようだ。



「止めて、似合わないわ。」



強い否定をにじませながらなまえが言い放つと、少しの間を置いて

苛立ったような渋澤が乱暴にサイドブレーキを引いた。

それでも表情は少しも変わらない、大した役者だ。

彼は無言のまま運転席を降り、助手席側に回ってドアを開けると

白々しく手を出してエスコートの真似事をした。

渋澤に訝し気な目線を向けたまま、ぎっと睨んでなまえは彼の手を取ると

わざとゆっくり下車する間、ずっと渋澤はなまえの目を見て離さなかった。



「冗談ですよ、先生。」



なまえの重ねた指を握ったまま渋澤が意味深に笑って見せる。

なまえはもう一度渋澤を睨んで、ゆっくりと彼の手から指を引き抜くと

更に眉間の皺を深くした、その眼付きは困惑や疑問なんかより

嫌悪感の方が勝っていた。



「今夜は随分、似合わないことをするのね。」



もうすぐ終電の時間が来てしまうけれど、なんだか電車に乗る気分でもない。

ロータリーの逆側の、タクシー乗り場に向かう背中に渋澤の視線を感じながら

次の立ちまわりを考える、なまえが男を利用しているのか

男がなまえを利用しているのか、もう少しで答えは出そうだったけれど

大して意味のないことだと気付いて、くだらなくなる。










気温はうに









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