ブーガ




















いつ見てもスーツに皺ひとつない、完全無欠とは彼のことを言うのだろう。

多少年齢の見られる肌質だけれど、キチンと鍛えてあるような肉体には張りがあって

わずかに香る香水の匂いを下品だと思ったこと等一度もない。

彼の事務所の執務室、応接セットの対面で書類に押印をする彼の動作を見ながら

本当に生きているのだろうかと不安になった。



「これで終いか。」

「結構です、ありがとうございました。」



計3枚の契約書に割り印をした峯が確認を取った。

速乾性のインクを念の為一度息を吹きかけて乾かし、なまえが重ねてまとめた。



「申し訳ないです、急かしちゃって。」

「いや、急に頼んだのはこちらの方だ。」



着信があったのは先日の夜、陽もとっぷり暮れて街も静まり返った頃だった。

いつも通り深夜まで働いたなまえが帰宅してシャワーを浴び、

髪を乾かしながらテレビを点けようとリモコンを握ると

ソファの上に投げ出していた携帯が震えた。

今週中に対応して欲しいという案件を、掻い摘んで短く話した峯の声は

昼と変わらず疲労も、アルコールの気配も漂っておらず

電話の向こうから静かにエンジン音がしていた。

今週中、ということは遅くても明日には判子を貰って書類を揃えなければならない。

他の案件はそっちのけになってしまうけれど、まぁ、峯の仕事は割が良いので

なまえは二つ返事で請け負った。



「昨夜は遅くに済まなかった、もう終業後だったろう。」



初対面では厳しそうな、度の過ぎた几帳面そうな印象が強かった。

今でもやはり四角四面な印象は変わらないけれど、見た目程怖い人ではないことはわかった。

なんせ、他の組と違ってここの組事務所は怒号が聞こえないのだ。

時折痣の出来ている人や、包帯に血が滲んでいる人なんかも居たりするけれど

彼等は存在するだけで別に害があるわけじゃない、仕事は随分やり易かった。

なまえは彼の意外な気遣いに、首を振って応じた。



「会長さんこそ随分遅い時間まで。ちゃんと休まれましたか。」



峯は返事はせず首を縦に振るだけで、なまえが書類を鞄に仕舞ったのを見届けると

二人の間のテーブルに重量のありそうな灰皿を置いた。

商談の後はいつも、彼はなまえに煙草を勧めてくる。

そうして他の組の金回りや、次に金になりそうな案件を探っているのだ。

守秘義務がある、なまえもそう易々と何でも話してしまう訳では無いけれど

彼の仕事は回りまわって結局自分の懐に入るので、それなりに情報は流すことにしている。



「君も人の事は言えんだろう。」



バッグからシガレットケースを取り出して唇に咥えると、峯は音もなくライターを点けて寄越した。

目線だけで会釈をして煙草を近づけて点火すると、彼は自分の煙草にも火を点ける。

1本を吸い終えるまでの、ほんの他愛ない世間話が世の中を裏から動かす。

一般人の目に見える形でこれらが形になる頃には、旨い汁は吸いつくされているのだ。



「何か、最近面白いことはあったか。」

「そうですねぇ。誰とは言いませんが、最近横浜の方がやたら賑やかで。」



ほぉ、と興味のなさそうな相槌を打った峯が煙草を短く吸いこんだ。

この所不穏な東城会内部でも、浜崎組の振る舞いはそこそこ目立ってきている。

出入りする内に何となく感じる事務所内の雰囲気と、回される案件を注意深く見ていれば

誰が何をしようとしているのか、こちらは結構分かってしまうものだ。



「横浜へは数年ぶりに行ったんですが、あちらも随分日本語以外を聞くようになりました。」



これ以上は話せない、次はあなたの番だとなまえが煙草を深く吸いこむと

少し左上を見上げた峯が、言葉を構築するように思案して眉間の皺を深くした。

そして、おもむろに手を口に当てて

くしゃみをした。



「…。」

「すまん。そうだ、横浜の件だったな。」



暗号の様な会話の続き、峯は何事もなかったかのように昨今の情勢を話し始めた。

防衛省がうんぬん、と動く口元をぽかんと見つめていると

不意に彼の口が止まり、何か、と語気強く問い質すように動いた。



「いえ、会長さんの人間らしい所、初めて見たと思って。」



我ながら阿呆なことを言っている、なまえは鼻で笑って話の腰を折ったことを詫びると

峯もまた鼻で笑って口を閉ざした。

そりゃあそうだ、彼も生きている。

体温があってくしゃみもして、排泄もすれば睡眠だって食事だって摂るのだろう。

そんな当たり前のことがなんだか斬新に見える程、峯もなまえも

ミスの許されない世界に生きていることを実感した。



「君の笑う顔も、初めて見た。」



主要な情報はもう頂いた、これ以上話すことは今の所もう無い。

それでも何となく、峯が煙草を消すまでは

なまえも煙草を揉み消せないで居る。









く留まって








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