枕の上に頭を置いて、じぃっと暗がりに目を凝らす。

冬は隙間風の入る板の隙間の向こうに月明かりが差しこんで居る。

とうとう根負けした土方と打ち合わせた時刻はもう直ぐ、蕎麦屋が家の前を通り過ぎた後だ。

遠くからゆっくりと蕎麦屋の呼子が聞こえ、木製の車輪が砂利道を通り過ぎる。

ガラガラと粗暴な音が離れて行った頃になってなまえはゆっくりと床から抜け出すと

後ろ櫛を少し整えて、勝手口から表へ回った。



「土方さん!」

「おう、寝ちまったかと思った。」



てっきり反故にされるかと思って居た、土方は律儀に約束の場所に居た。

なまえが駆け寄るのをしぃ、と諌め乍ら、彼は件の川岸へ歩みを進めた。



「何だか人情本みたいだねぇ。逢引って、こういう風にするんだろ。」

「馬鹿なことを言うんじゃないよ。」



違いない、となまえは笑いながら歩調を速くした。

背の高い土方とは、並んで歩いて居るとあっという間に置いて行かれてしまう。

彼が歩調を緩めてくれているのに気づいたのは、川岸に着いた頃だった。



「うわぁ、蛍!」

「そりゃあそうだろう、お前さんが見たいって強請ったんじゃねぇか。」



長屋の周辺じゃひとつふたつ、ふらふらと見かけるのがやっとの蛍は

川岸に着くとそこいらが一帯昼になったかのように明るかった。

不規則に飛んでは消えて行く光の正体が虫だとはとても思えない程美しく

目を細めて思い出話をする母の気持ちが少し分かった。



「なんだか悪いねぇ、礼のひとつもさせておくれよ。」

「気を遣うな、町娘風情で。」



今日出会ったばかりの土方は、口がきつく角の立つ物言いをする。

けれど面倒見の良い、世が世なら人の上に立てる男になった筈だ。

出自を問うと少し悲しそうな顔をする、彼のことを深くは聞かなかった。



「あたしの器量じゃ買っても面白くないだろうし、サテ如何したもんかねぇ。」



なまえのできることと云えば炊事に針仕事、掃除はてんで向いて居ない。

幼い頃から近所の子供たちに混じって着物を汚しては怒られる、人はなまえをじゃじゃ馬と呼んだ。

蛍が飛び交うのに目を奪われながら、それでもしぃんと静まり返った往来は新鮮でそら恐ろしくて

やっぱり一人では無理だったな、と思い返す。



「お前さんは器量より、其の気性がいけない。」



川岸に座りこんだなまえの隣に土方も腰を据えた。

彼の側の蛍が一斉に飛び出して、束の間一層明るくなった。

此れ迄あの長屋から離れたことなんてなかったものだから、器量を理由に言い寄ってくる男は居なかったけれど

器量を否定しなかった、土方の言葉に少し頬が赤らんだ。



「針は出来るんだろう。なら、羽織を一重誂えて貰おうか。」

「羽織?お前さん、この暑いのに羽織なんて着るのかい。」



陽が差すと門前の打ち水で咽返る様な昨今、羽織を付けるなんてそれこそ侍か

お役人か商人か、どちらにせよある程度立場のある人々だ。

なまえが思わず問い質すと、彼は返答しなかった。



「着るんだよ。お前さんの知らない町で、お前さんの知らない理由でね。」



蛍の光が反射する、ゆらゆらと黒い水面を見つめながら土方が呟いた。

其れ以上食い下がるのは野暮だと、なまえは口を噤んだ。



「丁寧に作っておくれよ。死に装束になるかも知れねぇんだ。」



然う言うと、ふいに土方が立ちあがって砂を払った。

屈み込んだ時と同様に蛍がわっと飛び立った。



「それは一体如何云う…」

「行くぞ。」



なまえが口を開いた時には、彼は既に一歩踏み出していた。

慌てて後を追いかける、その時見た背中と土方が江戸を去る背中は

全く違う物だった。








鳴か蛍が身を焦がす






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