thorax












互いに触れあうこともなくなって久しい。

誰かに触れて欲しいと思う夜に、携帯を弄り探し出す番号の候補に佐川は挙がらない。

セックスをしたいなら、他の男に求める。

楽しく食事をしたいなら、やっぱり他の男をあたる。

それでも別れられないのはたぶん情と惰性と、年に数度の相性がとても良いから。



「あの辺りで良い、交差点曲がった所で。」



唐突に佐川が口を開き、手を伸ばす。

視界の端に映った指の動きが左を示し、ウィンカーを出しながらゆるゆると速度を落とし

1台のセダンが通り過ぎた辺りで車線を変更した。

帰宅後、悪いが車を出してくれと佐川からの電話があったのはギリギリ酒を呑む前だった。

どこかで見ていたのかと思う程タイミングよく鳴った電話の開口一番は珍しく殊勝で

結構面倒な事態に巻きこまれて居るんだろうなということはなんとなくわかった。



「真直ぐ帰るんじゃねぇぞ。一旦高速乗って、幹線道路使って帰れ。」



組の車を使うと都合が悪いのだろう。

詳しくは訊かないし、知りたくもなかったがとりあえずこの後増えそうな荷物の運搬まで頼まれなかったことだけは

不幸中の幸いと云えるのかも知れない。



「わかった。」



今日二度目の台詞を口にして信号が青になるのを待った。

ちらりと横目で佐川を見遣るといつも通りの、どこにでも居そうなスーツ姿だったけれど

下に防弾ベストくらい着ているのかと心配になった。

なるだけで、口に出したりはしないけれど。

信号が青になり、目の前の車のブレーキランプが消えると景色はゆっくりと動き出した。



「そこで良い、停めてくれ。」



交差点を左折し、低速のまま細い脇道をゆっくり進んでいくと

何かを見計らうように佐川がシャッターの下りた商店の前を指示した。

何の変哲もない一般道、これから何が起こるかは知らない方が良さそうだった。



「助かったよ、じゃあな。」



投げやりに別れの挨拶をし、ドアに手をかける佐川になまえは首を縦に振るだけで答えた。

バックミラーを見ても周囲に人の気配はない。

次いでサイドミラーを確認しようと目線をずらした頃、佐川がまだ下りないことに気づいた。



「どうしたの。」

「いや。」



助手席で一度身動ぎをした佐川が手を伸ばしてなまえの後頭部を掴んだ。

足をブレーキから離さぬよう留意しながら、求められるままに唇を差し出すと

彼は一度鼻で笑って、すれすれの距離でキスをしなかった。

怪訝な表情で目を開けたなまえと目が合うと、彼は目を細めたまま首筋へ頭を落とし

ならばと首筋を差し出せど、やっぱりすれすれの距離で唇は皮膚に触れなかった。

肌を這う吐息に身体の中が熱くなりそうな頃にやっと、佐川と接したのは

鎖骨のずっと下、開いたシャツのボタンの隙間、情事と戯れの瀬戸際だった。



「直帰はすんなよ、わかったな。」



顔を上げた佐川の表情は固く、念を押すように言う声は冷たかった。

瞬きだけで返事をしたなまえを認めると、彼はそれ以上何も続けず車を降りた。

久々に触れあえたキスの感触は、記憶に留められない程一瞬で

ならばせめて背中を見送りたいのに、それは互いにとって得策ではなかった。

さよならのキスだったのか、ただの悪戯だったのか、愛情表現だったのか皆目わからない。

ゆっくりとブレーキから足を離しながらハンドルを握りなおす掌に滲む汗の意味も

解る術を、なまえはひとつも持ちえない。


















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