斉藤くんの恐ろしい一面を見てしまった。
一見優しそうというか、あまり積極的ではなさそうだったのにまさかあんな挑発的な一面を持っているとは、新手の詐欺だ。
斉藤くんの冗談とは思えない言葉が脳内でこだまし、せっかく髪の毛を少しだけ切り頭が軽くなったのに重たい気持ちで町を歩く羽目になった。
……そういえば家の塩がなくなりかけてたっけ。よし、塩だけ買って早く帰ろう。さっさと帰れば万が一利吉さんがいたとしても見つかる危険性はゼロじゃないか。私ってばまじ天才。自分の才能に惚れ惚れするわ。
「……なまえ?」
さっきまでとは一転し、軽い足取りで歩いていると誰かに名前を呼ばれた。辺りを見回してみるが、見知った姿はない。……気のせいだったかな?そう思っていると、私より髪の長い色白の華奢な人と目がぱちりとあった。
「……仙子ちゃん?」
視線があったのは、男の人だったのに、私の口から出たのは生まれて初めてできた同年代の女友達の名前だった。しかし、あの人は間違いなく仙子ちゃんだ。
彼女かどうか確かめたくて近寄って顔をよく見てみると、それは確信に変わった。
「仙子ちゃんだよね!?」
「あ、ああ」
「やっぱり!会いたかったよー!」
感動の再会とは、まさしくこのことを言うのだろう。辞書にのせてもらいたいくらいだ。
感極まった私は公共の場ということも忘れて仙子ちゃんに熱い抱擁をした。……あれ?意外と胸がない?あ、男装をしているからかな?ん?なんで仙子ちゃんは男の人の格好を?
「ねえ仙子ちゃん、って、顔赤いけど大丈夫?」
「心配ない」
「そう?ならよかった。あ!なんで男装してるの?」
「これは……あれだ、修行なんだ」
「修行?」
「ああ。私は将来一流の忍者を目指しているからな。男の姿にもなれるようにしなくてはいけない」
「へ〜。だから口調も男みたいなんだね!」
「そういうことだ」
ようやく辻褄があいスッキリした。
それにしても、あの美少女がこうも美男子になるとは。もともと涼しげな目元な上に鼻は筋が通っていて、端正で中性的な顔立ちはしていたけど、変装って凄い。
「男装してても仙子ちゃんは素敵だね。本当に男の人みたい」
「当然だ。それにしても、よく私だとわかったな」
……あれ?仙子ちゃんってこんなに高慢な喋り方だっけ?ああ、そういう男の人を演じているのかもしれない。きっとそうだ。
「だって、仙子ちゃんみたいな美人な人、滅多にいないし」
「……ふむ、それもそうか。ああ、今の私は仙子ではない。この姿の時は【仙蔵】と呼んでくれ」
「仙蔵……ちゃん?」
「なんでそうなる。呼び捨てで構わない」
「が、頑張るよ」
仙蔵、仙蔵……仙蔵かあ。なんか、男の人の名前を呼び捨てにするのって慣れないんだよなあ。いぶ鬼やしぶ鬼、ふぶ鬼は例外だけど。
「さて、まずは茶屋にでもいくか」
「え?」
「折角会ったんだ。こんな機会、逃すわけにはいかないだろう?」
「お、おお……そうだね!」
前より積極的な仙子ちゃん……じゃなくて仙蔵に自然な動作で手を繋がれ妙に恥ずかしい気持ちになった。何照れてるんだ私。【仙蔵】は男装をした仙子ちゃん。
でも、絡められた指は意外と骨ばっていて同じ女の子のなのにどうしても異性のように思えてならない。
悶々としているうちに茶屋に着いたようで仙子ちゃ……仙蔵は店員さんにお茶を頼み腰掛けたが、私が人一人分の間を空けると、仙……蔵はむっと眉間に皺を寄せ私の真横に隙間なく、座ってきた。
「何故間を空ける」
「だ、だって恥ずかしい!」
「何でだ」
「せ、仙子ちゃんじゃないから……」
「慣れれば気にならなくなる。というわけだから、早く慣れろ」
「む、無茶だ……」
軽く絶望的な気持ちになっているとお団子が運ばれてきたのでむしゃくしゃした私はやけ食いをした。
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「ぐぅふっ……気持ち悪い」
「23本は食べ過ぎだろう」
「だって、仙蔵がどんどん注文するから……。椀子そばじゃないのに……」
「食べてるなまえの姿が可愛いのがいけないんだ」
「……だいぶ無理のある言い訳だね」
「言い訳なんかじゃない。本心さ」
ざわ……。
この歯が浮くような台詞……で、デジャヴだ。でもでも、仙蔵はあくまで男装をした仙子ちゃんなんだ。男の人にではなく、女の子に可愛いと言われたんだ。女の子の可愛いほどあてにならないものはない。たとえそれが本心だとしても世のおなごたちはみんなことあるごとに可愛いと言っている。つまり、彼女たちにとって可愛いは挨拶に等しい。挨拶はされたら返すのが礼儀だ。
「せ仙蔵は、格好いいよ!」
「?どうした急に」
「言葉のキャッチボールは大切だからね!」
「私にはお前のボールがただの暴投にしか思えない」
「じゃあ……美人だね!」
「いきなり褒めちぎりだして一体どうしたんだ。……ああ、そういうことか」
納得したように「そうかそうか」と繰り返し呟く仙蔵はどこか嬉しそうだ。
今の会話の流れで何がそんなに嬉しかったのかはわからないが、まあいい。
上機嫌な仙蔵の艶やかな黒髪はは歩く度に馬の尻尾のようにゆらゆらと楽しそうに揺れていた。
……ちょっと触ってみたいかも。
絹のように柔らかそうな黒髪に触れたくなり、気づかれないようそっと手を伸ばす。
「そうだ」
「アベッ!」
何かを思い出したのか、そう言って仙蔵は勢いよくこちらを振り向いた。その反動で一つに結われた長い髪が、鞭のようにしなりバシン!と音を立てて私の顔を殴打した。い、痛い……。髪にこんな殺傷性があったとは知らなかった。でも、いい匂いだったな。さすが男装しててももとは女性なだけはある。
「なまえにこれをやろうと思っていたのにすっかり忘れてた」
懐から取り出されたのは香り袋だったらしく、ふわりと優しい香りが鼻孔を掠める。甘い、けど鼻につかない良い香りだ。
「白檀の粉が入っている」
「びゃくだん?」
「ああ。香木の一種でな。甘く爽やかな香りが特徴だ」
「確かに。私、この匂い好きだなあ」
「それはよかった。いつも持ち歩いているといい」
「え!くれるの!?」
「やると言っただろう。ひょっとして、もらってくれないのか?」
「も、もらう!でも、高いんじゃ……」
「そんなに値の張るものじゃない」
「本当?じゃあ、遠慮なくいただくね。ありがとう」
手のひらに収まる大きさのそれは、小さな花の刺繍が施されていて私には勿体無い可愛さだ。
そういえば、今は【仙蔵】だけど、この前もこうして仙子ちゃんに簪を貰った。……私、貰ってばかりじゃん。
周り(主にドクタマ)からよくケチケチ言われるが、貰ってばかりで何も思わないほど図太い神経はしていないつもりだ。
「仙子ちゃん、じゃなくて仙蔵は、何か欲しいものとかない?」
「何かくれるのか?」
「……私に買えるものなら」
「無理しなくていいんだぞ。それに、私は欲しいものは自分の手で手に入れたいんだ」
「そっか……」
「ものではないが、一つ頼んでもいいか?」
「いいよ!寧ろいくらでも!」
「また、こうして一緒にでかけたい」
「……それ、この前も言ってなかった?そんなのでいいの?」
「いいんだ。あ、それからその香り袋をいつも持ち歩いてくれればそれでいい」
簡単すぎて、本当にそんなことでいいのだろうかと思ったが多分そう訊いたところで返ってくる答えは「いいんだ」だろうから、私はわかったと頷いた。
「じゃあ、私はこの後用があるから帰る。くれぐれも、知らない奴に声をかけられてもついていくなよ」
「わ、わかってるよ!」
「そうか。安心した。じゃあな」
ふ、と優しく笑い私の頭を撫で仙子ちゃんは、仙蔵はあっという間にいなくなった。
なんだか、仙子ちゃん別人だったなあ。
貰った香り袋を懐にしまい、少し不思議な気持ちで私は塩を買って町をでた。