肌寒さに目を覚ますと、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてきた。ああ、もう朝か。 昨日の夜はよほど疲れていたのか湯浴みをしたあとは死んだように私は眠りについた。 二度寝するのもいいけどせっかく目が覚めたんだし、昨日のお礼も兼ねて食堂のおばちゃんのお手伝いにでも行こう。 昨夜小松田さんに支給されたくノたまの忍装束を着て、そっと音を立てないよう扉をあける。朝の澄んだ空気が、眠気の残る身体に染み渡った。 食堂の小窓からはすでに煙が上がっていた。 裏口から顔を覗かせると、こちらに気付いたおばちゃんが驚いた様子で包丁を止める。 「おはようございます」 「おはようって、なまえちゃんどうしたの?!まだ起床時間まで随分あるけど……」 「目が覚めちゃったんです。何かお手伝いすることはありませんか?」 「そうねぇ……じゃあ、お漬け物を切るのと食器の準備をお願いしてもいいかしら?」 「わかりました」 「わざわざありがとうね」 「いえ。私、くのたまとして勉強しながらみなさんのお手伝いをするよう学園長先生に頼まれたので。何かあればいつでも言いつけてください」 「まあ、助かるわあ!あ、汚れたらいけないからこれ着ときなさい」 そう言って渡された真っ白な割烹着に袖を通し早速頼まれた仕事に取りかかる。 早く起床時間とやらにならないだろうか。 そわそわと落ち着きなくお盆に食器を並べていると、おばちゃんに苦笑いしながら「あと半刻くらいでみんなくるわよ」と言われた。……そんなにわかりやすかったのかな。だとしたら恥ずかしい。 おばちゃんの言葉通り、半刻ほど経つと学園内のあちこちから子供の声が聞こえてきた。 「やったね私達が一番乗りだ!」 「お!本当だあ!」 「僕もうお腹ぺこぺこ!」 三人の男の子が元気よく挨拶をしながら食堂に入ってきた。 「おはよう乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくん」 『おはようございまーす!』 乱太郎きり丸しんべヱ、それが彼らの名前らしい。みたところ十歳前後くらいか。 喜八郎にもあんな時代があったなあ。あの頃は可愛かったなあ喜八郎。今でも十分可愛いけど、幼い頃の喜八郎の可愛さときたら老若男女問わず町で一番だった。 最近は可愛さのなかに美しさまで兼ね備えてきてる。 長期休暇のたびに見違えるほど美しくなる喜八郎が、いつか私の手の届かない、どこか遠くに行ってしまうのではと心配になるくらいだ。 『じぃー』 「な、なに」 穴が開くんじゃないかと思うくらい六つの目に見つめられ、思わず後ずさってしまった。 「お姉さんは誰ですか?」 「なぁーんか見覚えのある顔だなぁ」 「誰だろうねぇ」 上から順に乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんだ。きっと既視感があるのは喜八郎のせいだろう。 「ああ、まだ紹介してなかったわね。この人は今日からくのたまとしてくの一教室で勉強する綾部なまえちゃんよ」 私が口を開く前に食堂のおばちゃんが全て説明してくれたので私は「まあ、そういうこと」と三人にむかって言った。 「綾部?」 「ってことは、綾部喜八郎先輩のお姉さんですか?」 「そうだよ」 「道理で見覚えがあるわけだ!無気力そうなとことかそっくりっすね!」 きり丸くんにさらっと失礼なことを言われたけど気にしない。無気力そうに見られるのは慣れている。 「あ、私たちの紹介がまだでしたね!私は猪名寺乱太郎です!」 「福富しんべヱです!」 「摂津のきり丸でーす」 「そう、よろしく」 「お姉さんノリ悪いっすねー」 「きりちゃん失礼でしょ!」 「いいよ乱太郎くん。気にしてな……」 気にしてないから、そう言おうと思ったが私の耳は聞き覚えのある足音を拾い、全ての集中力が聴覚に注がれる。 「なまえさん?」 訝しげに私を見上げてくるきり丸くんに「しいっ!」と人差し指を口の前に当てて静かにしてというジェスチャーをすると三人は慌てて両手で口を塞いだ。うん、よろしい。 こそこそと食堂の入り口に隠れて来るべき瞬間を待ち構える。だんだん近づいてくる足音に比例して私の胸の高鳴りもうるさくなる。 「ふわぁ〜」 ふわりと揺れた髪の毛が目に入った瞬間、私は眠たそうに欠伸をする愛おしい弟に「とう!」と勢いよく後ろから抱きついた。 ああ、何ヶ月ぶりだろう。この温もり、この匂い。 「喜八郎!!」 「……姉さま?」 ぱちぱちと長い睫毛に縁取られた大きな瞳をしばたかせ、私の顔を覗き込んでくる喜八郎は最後に見たときより可愛く、そして美しくなっていた。 「だ、誰だこの女性は!?」 ん?ああ、もう一人いたのか。喜八郎と同じ服を着た特徴的な眉毛をした気の強そうな少年が戸惑っているが、私は気にせず喜八郎を抱き締める。 乱太郎くんたちはぽかんと開いた口が塞がってない。 「久しぶり喜八郎。すこし大きくなったね」 「どうして姉さまがここに?」 びっくりさせるために喜八郎には秘密にしていた忍術学園への入学。あまり表情には出てないが、喜八郎のこの顔はけっこう驚いたときのものだ。 「ふふ、私今日からくのたまになるんだ」 「おやまあ」 「おい喜八郎!私にこの状況を説明しろ!」 「滝、この人は僕の姉さまだよ」 「喜八郎、この眉毛は誰?」 「なっ、ま、眉毛!?」 「僕の同室の滝夜叉丸」 滝夜叉丸、 成る程、こいつが喜八郎と同室の幸せ者なのか。 ふつふつと腹の底から湧いてくるどす黒い感情を押さえ、私は冷静を装った。 「夜叉丸くん、喜八郎に手出してないでしょうね」 「私の名前は夜叉丸ではありません!平滝夜叉丸です!そもそもどうして男の私が喜八郎に手を出すんですか!」 どうやら眉毛の本名は平滝夜叉丸というらしい。てっきり滝が名字で夜叉丸が名前なんだと思ってた。 そして滝夜叉丸くんにはそっちの趣味はないらしい。というか、男同士、というもの知らなさそうというより理解してなさそうだ。喜八郎と同い年ということは十三歳か。それなら知らなくても無理はない。 「そう、それならよかった。はじめまして滝夜叉丸くん。喜八郎の姉のなまえです。弟がお世話になってます」 「は、はじめまして」 握手を求めて手を差し出すと面食らった様子で滝夜叉丸くんは私の手を握りかえしてくれた。 「姉さま苦しいー」 「ああ、ごめんね」 喜八郎を解放するとそれまで黙っていたちびっこ三人は『全然テンションが違う!』と声を揃えて叫んだ。 私としたことが久しぶりの喜八郎に取り乱してしまったらしい。 喜八郎に会えた嬉しさのあまりお腹が空いたのか、私の腹の虫は昨日の夜のようにぐうぐうと鳴き出した。 ← → |