ハレム企画 外伝 | ナノ
=マルコとソフィア=


「ソフィア」


この名はわたしが生まれた時、両親が考えに考え名付けてくれた名前。
この名前がまだ呼ばれていた頃、わたしの家は想像がつかない程、貧しかった。
10代の頃、いや、もっと前からわたしは家のためにと、お金を稼ぎに行った。強制された訳じゃない。自らの意思で。

少しばかり小金持ちの家に使いとして雇われたが、決して楽なものではなかった。
手が荒れ、赤切れが激痛を襲っても。
疲れたからといって休むことが許されなくても。
お腹が空いたからといって、ご主人様の豪勢な食事を目の前にしても。


耐えるしかなかった。
自分の身なりも気にせず、日に焼け黒くなった肌を鏡の前で見ても、手入れなどしている余裕はない。

辛かった。
それはもう辛いと思う気力さえないくらいに。


それでもわたしが生きてこれたのは、《ソフィア》と呼んでくれる愛する両親がいたからだ。
偉大なる女神の名前。
女神なんてわたしには似合わない、名前負け充分なのは承知している。
だけど、ある日父が教えてくれたのだ。


『お前が生まれた時、私には女神が見えた』と…。


その横で母は小さく微笑み、『あなたは私たちのたった一人の、唯一の女神なのよ』、と恥ずかし気もなく言うものだから、わたしの中でこの名は、両親から与えられたこの最高の名はいつか心の底から愛する人に呼んでほしいと、思うようになった。




それから数年後。
その時は訪れた。
わたしの名を呼ぶ愛しい人。
あなたとわたしでは身分の差は歴然としているにも関わらず、彼は受け入れ、そして彼の両親もこのわたしを受け入れてくれた。



「ソフィア」

少しタレ目の眠たげな顔が特徴の彼がわたしを呼ぶ。

「マルコ…」

愛を込めて、わたしは彼の名を呼ぶ。


わたしの腕にある婚約の形の鳥の羽根をモチーフにした腕輪を彼は撫でる。それから二人で微笑み合って、キスをして、また笑う。
僅かなわたしの給料でお揃いのスカーフを買い、腰に巻いた。
彼は「自分のために使えよい。これくらいおれが…」と、店主に支払いをしようとしたわたしを押し退けようとしたが、「恥をかかせないでよ」と、冗談混じりに言った言葉に彼は引き下がった。

安物で、腕輪なんかと比べ物にならない値段のスカーフ。
それでもわたしは満足だった。
意外にも彼も大層気に入り、毎日のようにそれを使ってくれていた。

彼の従業員の方達からは、「若旦那が女とお揃いのものをつける日がくるなんて…」と影で冷やかされた時、彼はそれを知り照れもせず「愛する女はただ一人だよい。これはその証だからな」とはっきりと口にした。
唖然とした従業員は次に晴れやかに笑い、彼の言葉に盛大な拍手を送った。

だけど、わたしは見逃さなかった。
彼の耳が真っ赤に染まっていたことを。
愛されているんだ、と泣きたいくらい幸せだった。
幸せなのに泣けてくるなんて、初めての経験だった。




それだけで充分すぎたのに、
………悲劇は足音も立てず忍び寄っていた。


一通の手紙から始まった悲劇。
一人でそれを読んだとき、逃げられないと心が悟り、本気で死を考えた。
涙は出ない。不思議と。
呆然と立ちすくむわたしの様子を見て、両親は手紙をわたしの手から抜き取り、途端涙を流した。父も母も。


「彼のところに、マルコのところに行きなさい。これを持って…」


と、両親が握りしめてぐちゃぐちゃになった手紙をわたしに手渡し、瞬間わたしは走り出した。
彼の、マルコのところに。



着いた頃には息は切れ、言葉すら発せないわたしを見て驚いた顔を見せたマルコは、次に手に握りしめた手紙を何も言わずゆっくりと、一本、一本、指を労るように手から抜き取り、読んでいた。

涙が一粒、二粒零れ、そんなわたしの手ををマルコは何も言わず掴み、ゆっくりと歩き出した。温かいマルコの手は、いつもと違い力強くて痛いくらいだった。
そしてわたしはこれが現実なんだと、その時理解したのだ。


着いた先は街から少し離れた二人が好きな小高い丘の上。

繋いだ手を離さず、マルコは口を開いた。



「…逃げるか、ここから」

無理なことは二人とも分かっている。
何があっても。
わたし一人なら、と良からぬ考えを抱いていたが、マルコを道連れに、それは受け入れられなかった。
彼には生きていてほしい。
だって、二人で同じ道を歩んだとしても、空の上でまたマルコと巡り会える保証がなかったから。



それならこの今までの幸せな日々を糧にしてわたしは生きる。
だから、マルコに言った。


「名前を下さい」


『ソフィア』は本当に愛した人にしか呼んでほしくない。あの日に誓ったから。
王宮に行くなら、せめてまた新しい名を、愛する、…愛したマルコに名付けてもらうのが、最後のマルコへのわたしなりの愛の形だった。


腕輪ははめたまま、わたしは王宮に行く。
せめてもの、『ソフィア』として、マルコに愛されたわたしの存在意義のために。



わたしは一度死に、生まれ変わった。
マルコがつけてくれた、初めて出会った日に見たあの花の名と共に。




ダリア。
華麗に優雅にわたしは今までのわたしを捨て、あの花のように咲き誇るのだ。
この先の運命が過酷なものだと知りながら。





「…逃げるか、ここから」


小さく震えた声で言ってくれただけで、わたしはマルコの愛を感じられたから。
わたしは敢えて、悲劇の始まりの扉を開くのだった。


*****
「マルコとソフィア」
 (written by ユーキ/スパンコール・ヴァージン!)


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