ハレム企画 外伝 | ナノ
=ローとアイリス=


目の前で開いた扉から、女達の忍び笑いと囁きが波となり一気に押し寄せてきて、アイリスの歩みは止まった。この波にのみ込まれれば、呼吸が難しくなることを知っていたから、自己防衛の本能が彼女の足を釘づけたのだ。

彼女の姿を見た幾人かの寵姫達は顔をそらし、また幾人かは意地の悪い微笑みを浮かべる。中でも気の強そうな女が一人、口元に笑みをたたえ、彼女に歩み寄ってきた。先頃、異国からハレムに献上された、身分卑しからぬ黒髪の女だ。アイリスも、彼女の顔は知っていた。

「あら、アイリス様。何故いらっしゃらなかったのですか?」
「えっ?」
「私、"皆様に"招待状をお出ししましたのに」

ねえ、皆様。黒髪の女が得意げに懐から出したのは、精緻な透かし彫りの入った凝ったカード。アイリスが見ることができた限りでは、そこには今日の日付と茶会への招待の文句が幾行か、藍色のインクで書きつけられている。見た事はない。その理由が推察できたため、いたたまれなくなって瞳を伏せたアイリスの口には、自然と謝罪の言葉がのぼった。

「ごめんなさい。きっと、行き違いだと思います」
「いいえ、いいんですのよ。正妃様ですもの、お忙しいのでしょう? 私たちの事など構ってらっしゃるお暇などないことは、よく存じ上げておりますわ」
「そんなことは……」

彼女らは知っているのだ。王からの寵愛を後ろ盾に、全てを恣にしてもいいはずの正妃アイリスは、しかしその優しさ故に、誰と戦うこともしようとしないことを。

「ああ、お忙しいアイリス様を、これ以上お引きとめしては失礼ですわね。ではご機嫌よう」

女達の衣擦れと、さざめきは、アイリスを独り残して遠ざかっていった。遮るもののない強烈な陽射しが窓から射し込み、佇む彼女の真珠色の肌を無遠慮に焼いていく。アイリスは、そうして、しばらく動けはしなかった。





「どうした」
「あ……」

自分の腕に抱いた"妻"が、いつまで経っても砂男の魔法にかかっていないことに、王は気づいていた。

「何でもありません。少し、寝苦しくて」
「……あおいでやる」
「ロー様、そのような」

脇机に伸ばした彼の手をとどめるべく半身を起こしかけたアイリスに笑いかけ、王は彼女を片腕で制する。そして大きな扇子を手に取り、少し彼女から身を離すや、適度な速さで扇を上下に動かし始めたのだ。大国の主、崇めるべき存在に、召使と同じようなことをさせてしまっている申し訳なさと、愛する"夫"に大事にされる嬉しさがない交ぜになって、彼女の表情を複雑なものとしている。王は、彼女のこの困ったような笑い顔を見ることが、最近多いと思い当たる。

「あの、もう充分ですから」
「いいから、黙って目を閉じていろ」

言葉こそ素っ気無いが、込められた感情は優しい。分かっているからこそアイリスは無理やり微笑んで、彼に素直に従い目を閉じた。

「他に何かしてほしいことはあるか?」
「……いいえ」
「本当にお前は欲がないな。たまには世界でも望んでみろ」
「私の"世界"は、もう満たされておりますもの」

真に無欲な女の、いつも零れるばかりの愛を伝えてくる瞳が閉じられていることで、王には彼女の薄い皮膚にいつしか目立つようになった隈がよく見えた。いくら身体を休めさせても、そこには確かに絶え間なく彼女を襲うのだろう心労が表れている。

なにせ、彼の諜報係は優秀だ。王にも、彼女の身に起こっていることは伝わっていた。だが、「ハレムで何か困ったことはないか」と聞いたところで、彼女はこう言うだけだ。「つつがなく過ごしております」と。

何より他の者たちに惑わされる自分たちの仲ではないと信じているからこそ、彼はただ、腕にアイリスを抱いて眠る。誰と身体を交えたとしても、決して彼女以外の女と共に朝を迎えずに。ただひたすら、愛情という名の水を与え続ければ、花は枯れないと信じて。

そうして、いつまで微風を送り続けたことだろう。いつしか無二の花から漏れる吐息が、一定のリズムをとり始めたことに彼は気付く。眠りを妨げぬように、そっと隣に滑り込み、王は彼女を両手に抱いた。もとより細いが、一層軽やかになった花が何処か不安で、自然と二の腕への力はこもっていった。二人きりでいられる夜明けまでの短い間は、片時も離さぬとの決意を込めて。


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「ローとアイリス」(written by まり緒)


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