ハレム企画 未来の物語 | ナノ
=星月夜の鎮魂歌(レクイエム)=


 ――俺、あいつ、見たぞ。"ハレム"で


第三王子のごく何気ない、無邪気極まる一言が核となり、いずれ王宮全てを巻き込んだ嵐を起こすとは、誰が予想しただろうか。少なくとも、ある種の覚悟を持って「姦通」という大罪を犯したのであろう当人だけは、これを一つの未来の結末として思い浮かべていたのだろうか? 全てが終わった今となっては、誰にも分からぬことである。





その男が"罪"を白状したのは、水責めを一度行った日から数えて一日目の翌朝のことであった。

あまりに呆気ない成り行きに、ペンギンの肩の力は少々抜けた。だが、たった一度の水責めに屈したからといって男の心根が格別弱いというわけでもない。この刑はそれほどに人体に苦痛を与えるものなのだから。

石の床に血液混じりの吐瀉物を撒き散らす男を侮蔑の眼差しで見下しつつ、この刑を男に科したときの主の声を、ペンギンは思い出していた。砂の地では黄金よりも貴重である水を、「"あいつ"が心行くまで与えよ」と眉一つ動かさず命じたときの彼の表情を。

ただ、いつもなら水責めについては「趣味があまりよろしくない刑ですが」と王を諌める彼も、この男には生温い刑なのではないかと考えている。世の何にもまして崇めるべき王に、手酷いかたちで裏切りという名の刻印を刻みつけた不逞の輩どもには、自身が知る限りのありとあらゆる責め苦を負わせてやりたいと思うのは、彼自身の忠誠心の深さ故だろう。だが、今はこれきりにしておかねばならない。あとは刑場での"お楽しみ"であるのだから。今はひとまず自白さえ引き出せればよい。

「処刑までは生かしておけ」と獄吏たちに命じ、ペンギンは牢を出た。濁った灰色の目を血走らせ、汚物で口元を汚しながら自らの罪状をぺらぺら喋った貴族の男に彼は多少なりともうんざりしていたのだが、同じ夜に罪を問うた女に思考が移るにつれ、自然、背筋に寒気が走る。女は拷問を受ける前に自分の罪を認めた。それ自体はよい。彼に悪寒をおぼえさせたものは、女の表情だった。

女は、笑っていた。

彼にとっては謎以外の何ものでもない笑みの余韻をどうにか振り払うべく、やや大げさに身を震わせるとペンギンは歩き出した。これから"余興"の準備が始まる。もう一つの王の命令は、その時まで考えないでおこうと彼が思うのも当然だろう。影ではライバルの失脚を嘲笑っているハレムの女たちですら、刑場でいかなることが行われるのか聞いたら十中八九卒倒ものに違いない。拷問の類には慣れているペンギンですら、女の処刑のことを思うと気が重い。自らの母のことを思うと、なおさらだ。

我が母が涙ながらに懇願しても、王が命令を覆すことはなかった。罪を減ずることもなかった。こうなれば、おそらく誰が言っても聞き入れはしまい。彼の怒りの理由が解るだけに、ペンギンには何も言えはしなかった。笑みさえ浮かべた王の穏やかな声は、今も彼の耳に残って、離れない。

 ――まず腹の子を殺してから、女を殺せ

かつて正妃だった女、ダリアは、生きたまま全てを見ることになるだろう。一族全ての者の死を。そして、腹の赤子の死を。





街は常より賑々しく、少々浮き立った空気を孕んでいた。とある"催し"が行われる日はいつもこうなのだ。物見高く迷信深い街人たちは、既に連れ立ってその場所に向かっている。だがごくごくまっとうな現実を生きる彼には、「処刑された者の血はゲンがいい」などという噂は妄言の類としか思えず、いつもと同じように店で仕事に励んでいるのだった。

「若旦那は行かないんですか?」

年若い従業員が彼に笑いかけてくる。そういう彼もあまり興味はなさそうだったが、一種のイベントが街に与えるエネルギーは思いのほか大きいものなのだ。関係なくても話題ぐらいには上らせる程度には。特に今回の処刑は一般の人間には馴染みの薄い"ハレム"が関係しているだけあって女たちの姦しいことといったらこの上ない。王に対して不貞を働いた女が首を刎ねられるらしいとか、姦通は重大な罪だけあって一族郎党皆殺しだとか、その程度の情報は、彼も買い物に来た常連客から聞かされていた。聞きたくもなかったのだが。

「行かねえよい。あんな趣味の悪い見せモン」
「ですよね」

どこか安堵した表情で肩をすくめると、従業員は帽子の入った箱を抱えられるだけ抱えて倉庫へ行った。こんな日は処刑と、それに伴うお祭り騒ぎが終わるまで店は空いているものだ。彼は木目調の机に背中を預け一息ついた。脇机には、透かし彫りの入った精巧な封筒が置いてあるのが見える。今朝、彼が父親から渡されたものだった。中身は見ていないが。

彼と、彼の愛した人が辿った経緯を知る両親は、彼の気持ちを慮りつつもたまに見合いの話を持ち込んでくる。少しでも彼の心を和ますような相手が現れれば、との優しい願いは彼も痛いほど解っていた。だが彼は、いつも決まってこう言うのだった。「店は、甥に継がせるよい」と。

暗に結婚はしないと、独りで生きるのだと言い切る息子の幸せを、まだ両親は諦めてはいない。苦笑しつつ、しかし思いやりには感謝して、彼は封すら切らずに封筒を引き出しに仕舞った。そして眺める。右手薬指の指輪を。一枚の鳥の羽を模した指輪は、彼女に贈った腕輪と対になるものだ。彼はそれを外そうとはしない。彼女が遠くに離れた今ですら、一度たりとて身から離したことなどないのだ。

二度と出られない籠に囚われても、心だけはいつも、空に。

誓いは今も胸にある。鈍く輝く銀に一度口づけ、彼は窓の外を眺めた。彼女も今頃この空を眺めているだろうかと他愛もないことを思いながら。そんな店の静寂が、慌てふためきつつ飛び込んできた従業員によって最悪のかたちで破られるまでは、おそらく大して時間はかからないのだろう。

強すぎる砂漠の陽光のもと、街の一角で大きな声が上がった。これから、最も残酷な見世物が始まる。



そうして花は地に伏して
   真の闇に眠るのみ



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「星月夜の鎮魂歌(レクイエム)」
  (written by まり緒)


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