Project | ナノ
全てが失われようとも、
 まだ未来が残っている




そこは、港のすぐ近くに在る。

船を降りてから、赤毛の男は足早に、真っ先にそこへと向かった。幾年前からかは忘れたが、ここではいつだって、そうしてきた。迎える景色は、"あの日"以前に返ったかのごとくに整然と、そこかしこに人の手の温かみが感じられる元の村に戻っているように彼には思えた。

そのうち見えてきたのは、小さな小さな酒場だった。





「よっ、セシル!」
「……シャンクス?」

軽い挨拶に、セシルが振り向く。彼女の瞳は三日月となって喜びを伝えている。昼間だからだろうか化粧っけは無く、至って自然に弧を描いた眉はなだらかな形をとって、男に向けて歓迎の意を表しているのだ。彼は、とりわけセシルの笑顔を好いていた。この微笑みを見ると、決して楽とはいえぬ航海の中、目に見えぬ澱となって身体に溜まっていた疲労が解けていくのを感じるのだ。

「いらっしゃい。"いつも"のでいい?」
「ああ」

心得た仕草で彼女が棚から取り出したのは、彼の好きな酒だ。彼も、ただ笑顔のまま酒が注がれるのを待っている。昨日の今日で、また飲みに来ましたといった風情だが、彼らの邂逅は実に――。

「2年ぶりだな」
「そうだったかしら」

2つのグラスに同じ酒が注がれた。底に近い部分を合わせて軽く鳴らすだけの乾杯のあと、二人は琥珀色の液体を干す。

「2年だなんて嘘みたい。私には一瞬だったわ」
「おれには長かったさ。……なァ、驚いたよ。ほとんど元通りじゃねェか」
「"ここ"以外はね」

女は笑う。確かに村の復興ぶりを見るにつけ、この酒場の掘っ立て小屋加減は大層なものだ。寄せ集めのバラックと言ってもよさそうな中で、今二人は杯を交わしている。2年前と、さして変わらぬ粗末な場所で。





彼女の酒場を訪う者は、いなくなった。

理由は複合的なものだ。最低限生きていくための田畑さえ壊された村の将来を悲観して、よそへ出ていく者が後を絶たないこと。貧しさが加速し、娯楽に費やす金など無きに等しいこと。そもそも、酒などという嗜好品の流通が途絶え気味であるということ。だが、セシルにとって、今はそんなことはどうでもよいのだ。他に、やるべきことが山ほどあるのだから。

「よいしょっと」

彼女は今日も、放置されている近所の焼け跡に行き、整地に精を出している。残った少ない男たちは、商売や畑やらの元手を得ようと、裕福な他の島に出稼ぎに行ってしまっているのだ。自然と働き手は彼女のような女たちしか居らぬようになった。ただ、今日は幾ばくかの男手がある。

「セシルー、これはどこに持ってきゃあいいんだ?」
「それは埋め立て場所までお願い。後でまとめて焼くわ」
「んー、了解」

のんきな声だが、普通の男なら3人がかりでも持ち上げることすら難しそうな焦げた角材の束を担いで、ルゥは歩いていった。その大きな背中にセシルは「ありがとう」と感謝を投げる。振り向いた彼は、サングラスで目元は見えないが、口元は確かに笑っていた。

「セシル、あとはおれたちがやっておく。少し休んだらどうだ?」

シャツとパンツという軽装で近づいてきた男に、セシルは笑顔を見せる。

「ありがとうシャンクス。でも、日があるうちにもう少しやっておきたいの。それに、あなたたちにばかり働かせたら悪いわ。せっかく陸にいるのに」
「こんなの、時化ん時に比べたら全然大したことねェんだよ。……ああ」
「どうかした?」
「あー、そういえば腹減ったなー。メシ食いてェなー。セシルの作ったメシなんかいいなー」
「……分かった。作るわ」

苦笑しつつ、仮ごしらえの炊事場に歩いていったセシルの背中を見て、シャンクスは一つ息を吐く。

「アンタ、相変わらず演技はヘタだな」

くわえ煙草のベックマンに指摘され、シャンクスは笑いながら肩をすくめた。

「それでも騙されてくれるんだ。いーい女じゃねェか」
「ああ、大したもんだ」

 ――ここに残るわ

進退を問うなり、静かに宣言した女の顔は、煤だらけだというのにシャンクスにはとびきり美しく見えた。特上級の化粧も敵わないものを心に纏った女は、そうして村に居続けることを選んだのだ。そして、7日の滞在のあと、彼は海に出た。彼の居るべき場所へと。





「悪かったな。ここに居られなかった」
「あなたが海にいることが、私の助けにもなるのよ」
「ああ、知ってる」

訪れる沈黙は柔らかく、空いた月日を端から埋めていく。液体が喉を通る音すら響いてしまうような静けさは、彼の船内では滅多にないものだった。彼が妙に渇きを覚えるのは、このしじまのせいなのだろうか?

「今度はさ、ひと月は居られるんだ。後でうちの大工を寄越すからな」
「うちよりも他の……」
「酒を飲めるところは、村のみんなにも必要だ。違うか?」

人は徐々に増えてきているようだった。港に降ろされる荷の量から容易に分かる。遠くに聞こえる子供たちの声が、彼女たちの努力が実を結びつつあることを如実に表していた。

「おれたち全員が入れなきゃ、宴もできないだろ? ま、外で飲んでも構わないんだがな」
「あなたの"お酒への"愛に敬意を表して、ご厚意ありがたく受け取らせてもらうわ。お代はその宴ということね。盛大にやらなきゃね」
「セシル」
「なァに?」

いつしか空いたグラスから離れていた男の手が、カウンターに置かれていたセシルの手と重ねられる。女は特に拒む素振りも見せない。二つの手は体温を溶け合わせていく。

「"酒"への愛だけじゃない」
「分かってるわ」
「じゃあ話は早いな」

セシルは近づいてきた唇をかわし、手を引っ込め、ふ、と笑った。

「私は、ずっと、ここに居るわ」
「分かってるさ」
「じゃあ話は早いわね?」

女の挑発的な瞳に、彼は笑う。女は笑っている。少し傾きかけた日がみすぼらしくも温かな店の中を舐めていった。


When all else is lost, the future still remains(×Shanks)

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エネル企画nuovo mondoへ提出
小鳩さん、素敵な企画をありがとうございました

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