むかしむかしの世界では、映画に音はなかったという。日本には映画の場面を言葉で説明する活動弁士というひとたちがいたそうだ。

 もう何年も前に経験したちいさな恋がもしも恋愛映画になるとしたら、その映画に音声は必要ないだろう。活動弁士のせりふも、きっととても少ない。見つめるだけで終わった、無音の恋だった。



 少し茶色みを帯びたセミロングの髪に細身の体、それから校則どおりの膝丈のスカート。そんな少女の後ろ姿を今もはっきりと思い出せるのは、高校時代、毎朝毎朝彼女を見つめていたからだ。名前も学年も知らない彼女を、あのとき僕はいつも目で追っていた。話をしたことはもちろんないし、近寄ったこともない。正面から顔を見たことすらほとんどない。映画になったとしたら、ストーリーなんてものは何もない、同じシーンを壊れたように繰り返すだけの奇妙でつまらない映画にしかならないだろう。現実の恋なんてそんなものだ。フィクションの世界のようなドラマチックな展開はそうそう転がっていない。凪いだ海の波のように静かに打ち寄せて、また引いて、それを延々と繰り返していくだけだ。

 ただこれだけは言える。彼女の存在そのものは、まるで映画の登場人物のようだった。春の風がふわりと彼女の髪とスカートを揺らすその場面は、いままで見たどんな映画やドラマよりもずっとずっと美しく、心に響いた。流行りの女優もアイドルもその凛とした後ろ姿の美しさにはとうてい敵わないと本気で考えた、いや、いまでもまだ考えているほどだ。

 できることなら、誰よりも近いところで彼女を見つめていたかった。あの長い長い坂の通学路だって、彼女と並んで教室まで歩きたかった。おはよう、またね、と挨拶を交わし、好きです、と言っても許されるくらいの仲になりたかった。

 どれだけ後悔や妄想を並べ立てても、彼女に会うことはきっと二度とない。たまたま街なかでかつての同級生と再会してお互い恋に落ちる……なんてストーリーのフィクションは世の中にごまんと溢れているけれど、世の中、映画のようにうまくはいかないものなのだ。だからせめて、ずっと忘れずに心の中にしまっておこう。



 彼女はいまどこで春風に吹かれているのだろう。そんなことを思いながら僕は懐かしい坂道を一歩ずつしっかりと踏みしめて登ってゆく。もうここにはいないとわかっている彼女の後ろ姿を思い浮かべながら。

 まだほんの少し冷たい四月の風が街路樹を揺らして僕を追い越していった。




BGM: 坂道/コブクロ




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