「律子さーん」 間延びした声がわたしを呼んだ。放課後の図書室。ここにいるのは決まって彼、野々村くんだけだ。つまりわたしを呼んだのは野々村くん。 「なに?」 「日本史のノート見せてよ」 「ああ、はいはい」 わたしはC組、彼はA組。クラスは違うけれど、選択科目の日本史では同じ教室で勉強している。それでわかったのだが、野々村くんは居眠りしてばかりでノートなんてろくに取っていなかった。前の前の席替えで隣の席になって以来ずっと、野々村くんはわたしのノートを写してばかりいる。 「ちゃんと起きて授業受けないと駄目でしょ」 「めんどくさい。つまんねーし」 「またそんなこと言って。テストの点は良いんだから、真面目にやってたら成績上がるよ?」 どうやら彼は日本史が得意らしく、勉強なんてしていなさそうなのにテストではほとんど満点に近いのだ。他の教科ではわたしの方がずっと良い成績を取っているのに、日本史だけは彼には決して適わない。少し、悔しい。 そのまましばらくわたしたちは何も言わなかった。彼のシャープペンが紙を走る微かな音だけがただ響いていた。 「……野々村くん」 「ん?」 「どうしてわたしなの?」 ふと思いついた疑問を投げかける。ノートとにらめっこしたままだった野々村くんはようやく身体を起こしわたしを見た。 「なにが?」 「だから、ノート。なんでわたしのを見るのかな、って」 「隣じゃん、席」 「いやいや、こないだ席替えして変わったでしょ」 突っ込みを入れると彼は再びノートに目を落とし答えた。まるでノートに向かって話をしているみたい。低い声が少し籠もったように聞こえる。 「だって律子さんのノートがいちばん綺麗だし解りやすいから」 「……それはどうも」 「あと、」 そこで彼は迷ったように言葉を切った。ノートを写し終えたらしく、わたしにありがとうと言いながら返して鞄を持つ。そうしてさっきの続きを口にした。 「ノート借りたらあんたと話せるから。って言ったら怒る?」 じゃあな、とちょっとだけ笑って出ていく。わたしはただただ驚いて立ち尽くしていた。 「……怒るわけ、ないじゃない」 無人の図書室に響いた呟きには、当たり前だけど誰も応えなかった。 ふとノートに目を落とすと黄色の小さな付箋が貼ってあった。 『戸締まりよろしく』 「……やられた」 © 2011-2017 Hotori Aoba All Rights Received. -- ad -- |