「あ」

 スマートフォンのカレンダーを眺めていた友人が、ふと声をあげる。

「なにー?」
「今日、三月一日だ」
「……誰か誕生日だっけ」
「ちがうよー。高校卒業して一年だな、って」
「ああ、なるほどね」

 わたしも真似をして、自分のスマートフォンのカレンダーに目をやる。三月一日。何の予定もないただの木曜日なのに、一年前を思い起こすだけで、少しだけ特別な日に見えてくるから不思議だ。

「一年前の今頃、何してたんだろうね」
「もう一時前だから……式は終わってるかな」
「教室で写真とか撮ってる頃かなあ」
「ああ、それくらいかもね。寄せ書きとか」
「そうそう、懐かしいねー寄せ書き。卒アル、今でもたまに見ちゃう」
「わかるわかる。なんかね、浸っちゃうよね」

 地元を離れてもうすぐ一年が過ぎる。この友人とは高校からの付き合いだ。大学は違うけれど、隣の県同士だからこうしてたまに予定を合わせて会っている。
 でも、こうして高校時代の思い出を語り合うのはずいぶんと久しぶりだ。お昼どきのスターバックスの喧騒が少し遠ざかり、代わりに毎日ばかな話に興じていた、あの日々がよみがえってくる。

「不思議だよね。あたしたち、あの頃となんにも変わってない気がするのに、変わってるんだよね」

 しみじみとつぶやいた友人の言葉がすうっと胸に染みて、ふいに切なくなる。ほんとうに、何も変わってない気がする。明日の朝、起きてみたら実家のベッドの中にいて、リビングではお母さんがお弁当と朝ごはんを用意していて、微妙なデザインの制服に袖を通し、七時四十二分の急行に乗り、最寄り駅から八分の道のりをあのおんぼろ校舎に向かって歩いていく――なんてことになったとしても、わたしはきっとなんの違和感も抱かない。一年前は当たり前のようにやっていたルーティンワークをきちんとこなして授業を受けるだろう。校門のそばに立っている生徒指導の先生に挨拶をして門をくぐる。下駄箱で靴を履き替え、階段を上って教室へ。鞄を机に置くのもそこそこに友達に話しかけ、朝のホームルームの鐘が鳴るまでしゃべり続ける。特別感なんて欠片もないただの朝の始まりなのに、どうしてだろう、戻りたくて仕方がない。戻りたい、と思うのは、もうわたしたちみんなが変わってしまったことのなによりの証拠なのだろう、きっと。

「みんな、元気かなあ」

 つぶやくと、クラスメイトや部活の仲間、もう今となってはどんなきっかけで知り合ったのかもわからないそのほかの友人たちの顔が浮かぶ。それは卒業アルバムに載っているすまし顔の写真なんかじゃなくて、くだらない話に花を咲かせて大笑いしている顔、ふざけて繋いだ手の感触、授業中に眺めた横顔や後ろ姿、そんなありふれた光景ばかりだ。もしもわたしがカメラマンとしてあの日々を、自分の周りの人たちを被写体に選ぶのなら、どのシーンも表情もただの日常だと見過ごして写真なんて撮らないだろう。でも今ならわかる。そんな日々こそ写真に、日記に、とどめておくべきものだったのだ。二度と戻れないのはどんな日でも同じだけれど、ありふれていすぎていたからこそ何も覚えていないから、文化祭だとか体育祭だとか、そんな特別な思い出の残る日よりもずっと戻りようがない気がする。

「……戻りたいね」
「うん……」

 友人の言葉にゆっくりとうなずく。今となっては電車で三時間の距離、そしてもっともっと遠い時間という距離に隔てられてしまった、あの空間、あの時間に戻りたい。きっとわたしはこのまま一生こんな想いを抱き続けるのだろう。この先に待ち受ける日々がどんなに楽しくても、あの日々はわたしの胸の中にずっと輝き続ける宝物になる。

「あ、そういえばさ――」

 友人が話を変え、わたしも相槌を打ってそれを追いかける。けれど、今のたった二分やそこらの短い時間にあふれ出した想いはまだ消えなかった。じわりとにじんだ涙をさりげなく拭い、わたしはまた、あの日々を抱いて歩いてゆく。ときどき振り返ることもあるけれど、前へ。







季節外れですが、最近よく高校の頃のことを思い出すので書いてみました。わたしの高校生活を振り返ったときの想いをほとんどそのままに書いてます。





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