『ありえない』
『わかってるって……でも、』
『でも、じゃないから。ほんっとありえないでしょ、あんた』
『……すいません』

 いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。裕也が彩乃とそんな会話を交わしたのはもうおよそ一年も前のことになる。そして、そこまで非難されることになったきっかけは、再び裕也の前に立ちはだかっていた。
 ――要するに、問題は恋人である理恵の誕生日なのである。昨年はおめでとうとメールをしただけでプレゼントなど思いつきもしなかったため、彩乃を呆れさせてしまった。彩乃によると、あんなかわいい彼女がいるのにプレゼントもあげないなんてありえない、理恵が許したとしてもあたしが許さない、らしい。
 プレゼントをあげたくないわけではない、むしろ彼女が喜んでくれるならどんなものでもあげたいくらいだ。しかし、恋愛経験の少ない裕也に、恋人への誕生日プレゼントを選ぶというのはかなりの難題だった。

「吉岡、あんた今年はどうなの」
「……三浦の誕生日?」
「そう。わかってんじゃない、だったら当然準備はしてるでしょ?」
「あー、それは……」
「……いい加減にしないと怒るわよ」
「おい、ちょ、待てって! 今年はちゃんとプレゼントするつもりだから!」
「そうなの?」

 ……拍子抜けするくらい唐突に彩乃の殺気が消えた。そして、次に彩乃の周りに漂い始めたのは好奇心に満ちたオーラ。

「で? 何あげるのよ」
「いや……それは決めてないけど」
「あー、やっぱ吉岡にはハードル高いのねー」
「……はい、すいません……」

 先程の般若のような威圧感から一転、恋バナ大好きな女子高生を体現したかのような興味津々の笑みを浮かべる彩乃。こいつもいつもこんな感じだったらそれほど怖くないのに、と裕也は内心ため息をついた。もっとも、恋愛の話で盛り上がっているときの女子のテンションも、裕也にとっては十分怖いものなのだが。

「つーかさ、女子へのプレゼントって何あげればいいんだよ」
「うーん……人によるからねぇ。まあ、だいたいはアクセサリーかな。あ、指輪とかどう?」
「ゆ、指輪!?」
「あんたならそういう反応してくれると思ってたわー」
「……うるさい」
「ごめんごめん。で、どうする? 一緒に買いに行ってあげようか?」

 小首を傾げて尋ねる彩乃。口調が上から目線であることを除けばかなりかわいい域に入るのにもったいない、と裕也はかなり失礼なことを考えた。もしも今ここで心を読まれたら、きっと半殺しの目に合っていただろうな、とも。

「あー、そうしてくれるとすげー助かるけど……いいか?」
「愛しの理恵のためですからねー」
「相変わらず三浦には優しいな、榊は」
「だって理恵だもん。あんたより理恵のこと好きな自信あるしね」
「……ふーん」
「あ、俺の方が理恵のこと好きなのに、とか思った?」

 彩乃の言葉はよく切れるナイフのように、いとも簡単に心を切り取った。あまりにぴたりと言い当てられて必要以上に焦ってしまう。

「お、思ってない!」
「その動揺っぷりが怪しいけど……まあいいか。で、いつ行くの?」
「俺は榊が暇なときでいいけど、いつがいいんだ?」
「うーん、じゃあ土曜日で。場所とかはあたしに任せて」
「じゃあよろしく。……ありがとう」
「はーい」

 にこり、と彩乃が笑う。やはりこんなときに頼りになるのは彩乃だな、と裕也は素直に感服した。なんだかんだでいい友人だと思う。ただ、自分の方が理恵を好いているという発言だけは撤回してもらいたいが。





「裕也」

 駅前の雑踏の中、優しい声が自分の名前を呼んだ。振り返って想い人を視界にとらえ、思わず破顔する。

「……久しぶり」
「ほんと、久しぶり。元気にしてた?」
「ああ。そっちは?」
「大丈夫。ありがと」

 変わらない笑顔に安心する。お互い別々の大学に通うようになってからもう何回か逢っているが、いつもそうだ。逢えないときは不安が募る一方だが、ひとたび理恵を目にするとそんなくだらない心配は飛んでいく。彼女が目の前にいて、昔と同じように笑っていることにたまらない安堵をおぼえるのだ。

「今日、どこ行くの?」
「俺の家」
「あ、そうなんだ」
「そうだ、あとで榊も来るから」
「え、彩乃も!」

 とたんに瞳を輝かせる理恵を見て、なんだか複雑な気分になった。もちろん彩乃が恋のライバルというわけではないのだから気にする必要はないのだが、自分に対する態度と彩乃に対するそれにかなりの差がある気がしてならない。女子に妬くなんて、と我ながら馬鹿馬鹿しく思うのも事実なのだが。

「……嬉しそうだな」
「だって彩乃だもん。楽しみだなー」

 いつか彩乃の口から聞いたセリフを、奇しくも理恵が再び口にする。偶然にしても出来すぎだ、となんとなく悔しくなった。そして、理恵はそんな裕也の心中をしっかり見透していたらしい。

「あ、裕也」
「ん?」
「彩乃も好きだけど、裕也のことも好きだから安心してね」
「……うん」

 不意討ちの告白に、動揺した裕也は黙り込むしかなかった。理恵はおかしそうに笑いながら歩き出した裕也の手に自分の手を滑り込ませる。せめてもの仕返しとばかりに、裕也はしっかりと手を繋ぎ直した。






 部屋の鍵を開け、理恵を招き入れる。お邪魔します、と挨拶をした理恵が物珍しそうにあたりを見回しながら入ってきた。

「きれいだね、この部屋」
「まあ、片付けたから」

 理恵を座らせ飲み物をすすめる。しばらくお互いの近況を報告しあい、会話が一段落したところで、理恵が話を切り出した。

「彩乃、いつ来るの?」
「ああ……もうすぐ、かな」

 今しかない、と覚悟を決める。デスクの引き出しを開け、小さな箱を取り出した。これこそが理恵を家に呼んだ最大の理由なのだ。

「あのさ……これ」
「え?」
「誕生日プレゼント。……気に入ってもらえるかどうか、自信ないけど」
「開けてもいい?」
「うん」

 直視する勇気が出ず、裕也は包みを解く理恵の手つきを視界の端だけでとらえていた。やがて理恵があらわになった箱の蓋に手をかけ、そっとそれを取る。

「え……これ、あたしに?」
「……他に誰がいるんだよ」
「いないけど、でも、なんか信じらんない。――嬉しすぎて」
「……そうか」

 中身はピンクゴールドの指輪だ。シンプルだが上品なデザインが理恵に似合うと一目見てわかり、すぐに買うことを決めたものである。

「ほんとに嬉しい。ありがとう」
「どういたしまして。……誕生日おめでとう」
「ありがとう。これ、裕也が選んでくれたの?」
「まあな」
「すっごいあたしの好みだからびっくりした。センスいいね、裕也」
「そんなことないけど……理恵に合いそうだなって思って買っただけだし」
「そっか。あ、つけてみていい?」
「ん、どうぞ」

 理恵が指輪をつまみ上げ、丁寧に右の薬指に嵌める。思った通り、いや思っていたよりずっと、それは理恵によく似合っていた。

「すごい、ぴったり。……サイズ、なんで知ってたの?」
「榊が教えてくれた。一方的に」
「一方的?」
「いや……プレゼント選ぶの榊に手伝ってもらったんだけど、指輪にしろって言われてさ」
「ああ、彩乃ならあたしのサイズ知ってるしね。よくふたりでアクセサリーとか買いに行ってたもん」
「だから知ってたのか、あいつ。……でも、指輪とかあいつの前で買うの、なんか嫌でさ。だから、榊と別れた後ひとりで買った」

 だからさ、と裕也は続けた。相変わらず目を合わせることはできないから、右薬指の指輪に視線をやりながら。

「あとでもうひとつあげるけど、それは榊と俺から。で……これは俺だけから、榊には秘密のプレゼント」
「秘密?」
「できれば、あいつには言わないでほしい。からかわれると面倒だし」

 言い終わってから理恵は嫌なのではないかと気付き、慌てて彼女の表情をうかがう。拒否されるかと思ったが、理恵はやはり微笑んでいた。それも、本当に嬉しそうに、優しく慈しむような目で指輪を見つめながら。

「わかった。……なんかいいね、秘密のプレゼントって」
「そうか?」
「うん、あたしそういうの結構好きだし。でもさ、」

 こんなこと言ったら失礼だけど、と前置きをして理恵は続ける。

「まさか裕也がプレゼントくれるなんて思ってなかったな」
「……だろうな」
「だから余計に嬉しい。あたしはお祝いしてくれる気持ちだけで十分だけど」
「そうか? 気持ちだけっていうのも、彼氏としてどうなんだって話だろ」
「そんなことない。――こんなに大事な人にちょっとでも自分のことを想ってもらえるなんて、それだけですっごく幸せだもん。モノじゃないけど、プレゼントみたいなものじゃない?」
「……っ」

 返す言葉も見つからないくらい、心が喜びで満たされてゆく。確かに幸せだ。人に想われるのも、人を想うのも。彼女の論理からすれば、きっとこんな平凡でも幸せな日々のすべては、理恵からの贈り物なのだろう。

「……理恵、ありがとう」
「え、何が?」
「いや、別に」

 手を伸ばし、テーブルの向こうの理恵の右手に光るピンクゴールドを撫でる。その手が裕也の指を包み込んだ。

「大事にするね。毎日つける」
「……よかった」

 珍しく甘いふたりの空気を、不意に鳴り響いたチャイムが切り裂いた。手と手が離れ、少し気まずそうに視線を逸らした裕也が立ち上がる。ドアの覗き穴から外を見て、理恵を振り返って声をかけた。

「榊だ」
「やったー!」

 理恵がはしゃぎつつも指輪を外し、箱に入れてきちんとバッグに入れたのを見届けて、裕也は鍵を開ける。

 彩乃は約束通りバースデーケーキを持ってきただろうか。理恵の好きな苺のショートケーキだったらいいな、と彩乃を招き入れながらぼんやり考えた。なにしろ今日はせっかくの理恵の誕生日なのだから。




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