――そういえばさあ、九組に転校生来るらしいで。関東の方からやって。

 そんな話をお弁当の時間に友達から聞いたことを、ふと思い出した。

「見学に来ました、一年の結城です。よろしくお願いします」

 戸口できちんとお辞儀をする女の子は、どうやらその噂の転校生らしい。この学校では耳慣れないイントネーションは明らかに関東方面のものだった。姫先輩が視線を上げてほほえみ、優しく言う。

「あ、結城さん? 先生から聞いてます。ゆっくりしてってな」
「はい、ありがとうございます」

 神野先輩が黙って引きずってきたパイプ椅子に、律儀にお礼を言ってから結城さんが腰かける。それを見届けた神野先輩は原稿に向かってペンを握り、姫先輩も部長の原稿のチェックに戻った。

 エアコンの、ごおおっ、といううなり声が低く静かに響いている。神野先輩のペンが鋭く走る音も聞こえてきた。姫先輩の赤ペンが紙上を滑るかすかな音も、今日はやけにくっきりと聞こえる。

 静かだ。こわいくらい。

「あの、姫先輩。今日、ほかの先輩たちは……」
「えっとなあ、修は欠席で部長は塾。杏奈は補習か追試やったかな。今日はおしゃべり勢がおらんから静かやわー」
「そうですね」

 ちらりと結城さんの方に目をやると、過去の部誌を真剣な表情で読んでいた。五月号。私の作品が初めて載ったものだ。静かなせいだろうか、自分の心臓の音が大きく聞こえる。

 自分の創ったものを、目の前で他人に読まれる。これほど緊張することはない。あらためてパソコンに向かってみても、集中力は風に吹かれてどこかにふわふわと飛んで行ってしまっていた。

 ……気分転換でもしようかな。

「すいません、姫先輩。ちょっと購買行ってきます」
「はーい、いってらっしゃーい」





 購買でココアを買って、少し遠回りしてから部室に戻ることにした。グラウンドから聞こえる野球部のかけ声に、青春やなあ、としみじみ思う。……うん、次の作品には野球部を登場させてもいいかも。礼儀正しいスポーツマンで、ちょっと頑固だけど優しい男の子。名前は、どうしようかな。かっこいい名前にしたいな。ゆるゆる歩きながら考えていると、いつのまにか部室の前だった。

「ただいま戻りましたー」
「あ、沙織ちゃんおかえり」

 姫先輩につづいて、まだ部誌を読んでいた結城さんも、目を上げて軽くうなずいてくれる。私も彼女に笑いかけて、パソコンにもう一度向かった。さっき浮かんだ野球少年の姿を脳内に思い描き、メモ帳を立ち上げて打ち込む。うん、やっぱり書くのは楽しい。今なら書ける気がする。

 頭の中に浮かび始めたストーリーのしっぽを逃がさないように、私はタイピングを始める。かちゃかちゃ、かちゃかちゃ、キーボードが小気味いい音を立てる。波に乗ったサーファーはきっと、今の私のような気持ちなんだろう。頬をかすめる潮風のような心地よさを感じながら、頭の中の世界を創り上げていく。

 やがて波が終わったちょうどそのとき、小さな音を立てて結城さんがパイプ椅子から立ち上がった。

「あの、すみません。用事があるので、そろそろ……」
「あ、どうぞどうぞー。今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ。お邪魔しました、ありがとうございました」

 またきちんと頭を下げて、結城さんが床に置いた鞄を持つ。これありがとうございました、と姫先輩に部誌を返し、神野先輩と私に会釈して、結城さんは静かにドアを閉めて出ていった。

「はー、めっちゃ見られたー! 緊張しましたー」
「ああ、沙織ちゃんはまだ慣れてないしな、作品読まれるの」
「しかもあんな間近ですよ」
「そうそう! 緊張するのもしょうがないよなあ。……でさ。結城さん、入ってくれるかな?」
「入ってほしいですねー。いい子っぽかったですし」

 そんな会話を姫先輩と交わしながら何気なくパイプ椅子に視線をやり、はっとした。水色のカバーをつけたスマートフォン。きっとこれは、

「このスマホ、結城さんのですよね?」
「……あ」
「私、ちょっと探してきます」

 部室のドアを開け、とりあえず昇降口に向かって走る。しばらく行くと間もなく、探しているまさにその人物がこちらに近づいてきているのに気づいた。手を振ってスピードを落とす。

「これ、忘れ物」
「あ、私のスマホ……! ごめんね、今取りに行くところだったの。ありがとう」
「ううん、全然。よかった、気づいて」

 スマートフォンを手渡し、じゃあこれでと踵を返そうとすると、突然呼び止められた。

「え、なに?」
「……部活、楽しい?」

 探るように私を見つめるブラウンの瞳。疑ってるわけじゃないけど、まだ迷いがあるような、そんな視線だった。けれど、私の返事には迷いがない。

「楽しいよ。すごく」

 頭の中にぱらぱらと散らばった言葉を精一杯かき集め、指のすきまからこぼれ落ちたかけらも残さないように拾い上げて、続ける。

「先輩たちとしゃべったり、お菓子食べたりできるし。書くのも、楽しいよ。なんか……自分の考えとる世界を、目に見える形にできるってところが」
「……沙織ちゃんの小説、私、いいなって思った。ほかの先輩たちの作品も、全部よかった。だけどね、なんていうんだろ、つらくならないのかなって思って」
「え?」
「ほかの人がうますぎて、みたいな。思わない?」

 今度も迷わなかった。

「思わへんよ。だって先輩たち、すごいもん」
「……そっか。ありがと」

 私帰るね、と結城さんがつぶやく。そうやね、と私も返す。

「じゃあ、また」
「うん。ばいばい」

 手を振って去っていく彼女の足取りは軽かった。そういえば下の名前聞いてなかったな、と、その背中を見てふと思い出した。





 翌日、部室には先輩たち全員に加えて、結城さんもやってきていた。全員揃ったから、と、姫先輩がみんなの前に立つ。その隣には結城さん。

「えっと、みんなに発表。一年生の結城ほのかちゃんが、うちに入ってくれるそうです」
「結城ほのかです。よろしくお願いします」

 相変わらずきちんと挨拶をして頭を下げた彼女に、大きな拍手が降り注ぐ。

「よし、じゃあ今日は歓迎パーティやな。こっちの自己紹介もしやなあかんし」
「そうですね、部長。じゃあ修、悪いけどジュースとお菓子買ってきて」
「ちょ、姫、ひどくない?」
「ええやん、修やしー。なあなあ、ほのちゃんって呼んでいい?」
「あ、はいっ」
「……黒川、僕チョコパイが食べたい。エンゼルパイじゃなくてチョコパイ」
「あーもう、わかったわかった」

 あきらめたように修先輩が席を立つ。昨日とは違いすぎる部室のようすに、結城さん――ほのかちゃんはその様子に目を白黒させているけれど、まあ、すぐに慣れるかな。

「ほのかちゃん、よろしく」
「うん、よろしく」

 ふたりで照れたように笑いあう。ほのかちゃんの隣に座ると、さらさらのロングヘアからふわりと甘い香りがただよってきた。何のシャンプー使ってるのかな。よし、今度訊いてみよう。





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