訳もなく泣きたくなるときがある。いつ来るかはよくわかっていない。二日続けてやって来たり、一ヶ月以上もご無沙汰していたり、ほんとうにばらばらなのだ。その発作が来ると、胸がぎゅうっと締め付けられるような、もう息は出来ないんじゃないかと錯覚してしまうような、そんな感覚が決まってわたしを襲う。

 それがたまたま今日だった。場所は図書室、時は放課後。やる気のない図書委員がひとりいるだけだったけれど、ああ来たな、と感じたときにはほぼ無意識に図書室の奥へと移動していた。泣き顔は極力見られたくないから。とは言ってもこんなところで何もないのに泣いている女なんて怪しいだろうし、泣く気なんてさらさらないのだけれど。

 ああ、心臓が、痛い。苦しい。脈を打つ心臓の上に手のひらを当てる。呼吸が荒くなってきた。マズい。泣きたくないのに、泣きそうだ。

「ん。」

 突然耳に入った低い声と、目の前には購買で売られているミルクティーの缶。

「……え?」
「さっきまでカウンターの近くにいたのに、消えたから気になって探してた。そしたら、あんた泣きそうな顔してたから」
「……そっか。これ、貰っていいの?」
「いい。オレ、それ嫌いだし」
「ありがとう」

 プルタブを開けると、プシュッ、と聞き慣れた音がした。缶に口をつける。甘い。

 いつのまにか胸の痛みはすっかり消えていて、わたしは驚いてミルクティーをくれたその人を初めて真正面から見つめた。人工的な茶色の髪をした男の子が、気だるそうにこっちを見ている。

「あんた、病気?」
「さあ」
「変な奴だな」
「そうかもね」
「自覚してんのかよ」
「まあね」

 淡々と進む会話。なんだか不思議と喋りやすい。この人、誰なんだろう。

「C組の、ナントカ律子さん、だっけ」
「……相原律子、だけど」
「あ、それ。相原さん。オレのこと知ってる?」
「ごめん、知らない」
「即答かよ」

 苦笑する彼。そうして、ちょっとだけ微笑みながら名前を教えてくれた。野々村海斗、と。

「野々村くん……あ、A組の陸上部のルーキーか。お噂はかねがね」
「そんな立派なもんじゃない。ちょっと他人より足が速いだけだって」
「嘘だあ。超速いんでしょ、うちのクラスの陸上部員が噂してたよ?」
「そういうあんたは室長なんだろ。すごいじゃんか」
「そう? 普通だよ」
「ふーん、そんなもんなのか」

 納得したように呟く。それから、野々村くんは目を逸らした。頬杖をついて素っ気なく言う。

「でもさ。みんなをまとめんの、大変だろ。あんた、すごいよ」
「……え」
「頑張りすぎんな。あと、ストレス溜めるなよ」
「う、うん」

 ここ、そろそろ閉めるから。そう言い残して野々村くんは図書室の鍵を手の中で鳴らした。

 頑張りすぎない。ストレス溜めない。

 心の中で復唱して、ミルクティーを飲み干して、立ち上がった。

 ここにいるときにまたあの痛みがやって来たら、彼はそのときもミルクティーを奢ってくれるのかな。それなら悪くないかも、なんて。頑張りすぎるなと教えてくれた野々村くんといれば、どこか安心させてくれる言葉を聞けば、それだけで痛みは引いてしまうような気がする。たぶん。




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