しばらく離れよう。そう言ったのはわたしからだった。わかった。とトモヤも言って、そこで電話は切れた。その短い通話から一ヶ月、まだ彼とは連絡を取っていない。いや、取れないというのが正しかった。

 ふう、とため息をついて携帯電話を開く。あれからこの手のひらサイズの機械を見る回数も減った。普通に付き合っていられたときは暇なときに何気なく見ていたトモヤからのメールも、特に理由はないけれどしばらく見ていない。

 あの日電話を切ってすぐ、彼からのメールが届いたことを思い出す。

『絶対また連絡する。このまま別れたいなんて思ってないから』

 ありがとう、わたしもです。それだけを返信すると、彼からのメールは途切れた。それ以来、トモヤ専用の受信トレイに新しくメールが届くことも、着信履歴の件数が増えることもなくなった。

 待つことがひどく怖かった。待って、待って、それでも連絡が来なかったらどうしよう。そんなことを絶えず思っていた。彼だけがわたしのすべてだったわけでもないのに、どうしてだろう、いつの間にかそうなりつつあったようだ。自分がひどくからっぽな人間に思えた。できれば気付きたくなかった事実が目の前に横たわって、じっとわたしを見つめている。

 たまらなくなってひとつの番号を呼び出し、はい、と応えた電話の向こうに涙をこらえて逢いたいと告げた。


「間違ってるだろ。逢いたいって言う相手」
「……いいの」

 頑ななわたしの返事に困ったように微笑むのは幼なじみのコウキ。逢ったのは久々だ。なんだか懐かしいな、と思いながらグラスをあおる。

「ねえねえ、あの男の人かっこよくない?」
「ほんと。いいなあ、彼女がうらやましい」

 少し離れたところに座る、大学生くらいの女の子ふたりのそんな会話が聞こえたのだろうか。コウキはまた困ったように笑った。

 異性の幼なじみというのは不思議な関係だ。お互いは相手のことなど微塵も異性として意識していないのに、何も知らない周りには相思相愛の仲だと勘違いされる。そんな野次馬にももう慣れたし気にしないふりをしているけれど、いまだに否定しようとする本能は働く。コウキはわたしのそんな葛藤を知っていた。……トモヤとは違って。

「俺とふたりっきりでいたら、またトモヤに浮気だって誤解されるだろ」
「……浮気じゃ、ないのに」
「他人から見たら恋人同士みたいに見えてるぞ、きっと」
「わかってるけど、コウキに逢いたかったんだもん」
「…………」

 聞こえなかったふりをしたコウキが、大きな手でグラスを持ち上げる。からん、と氷が音を立てた。

「ごめんな、俺のせいで」
「ううん」
「でもナツキにも非はあるよ」
「……うん」

 知っていた、そんなこと。けれど、わたしの中にコウキと逢わないという選択肢は存在しなかった。トモヤをどれだけ嫉妬させ怒らせても、わたしはそれは無理だと言い張り続けた。どちらも折れることはできなくて、ついに溜まりに溜まったそれが爆発した。そして空白の一ヶ月がある。

「……コウキ」
「ん?」
「わたし、トモヤに依存してるのかな」

 吐き出した黒い塊が、行き場もなくゆらりと漂う。コウキの表情は困り顔から真剣なものに変わっていた。

「そういうの嫌うもんな、ナツキは」
「……近すぎると、失うのが怖くなるから」

 コウキは黙ってわたしの頭に数秒だけ手のひらをのせた。トモヤがときどきしてくれるのと同じ仕草なのに、トモヤとは違う感覚。

「逢いたいんだろ。電話もメールもしたいんだろ。だったら自分から連絡すればいいんじゃないか?」
「わかってるよ。でも……」

 勇気が出ないから、と繋ぐと、コウキは微笑んだ。あの困ったような笑みだった。

「諦めてるんだな」
「……ちょっとだけ」
「大丈夫だって。あいつは絶対戻ってきてくれるよ」
「でも、期待しすぎるとそうじゃなかったときのダメージが大きいでしょ。だからもうあてにしないの。万が一のときに備えて」
「……昔からそうだよな、お前って」
「そうかもね」

 しばらくの沈黙があって、コウキが口を開いた。

「ナツキ。トモヤのこと、まだ好き?」
「好きだよ。当たり前じゃない」

 間髪を入れず答えたわたしを見て、コウキは笑った。

「トモヤもお前と同じだよ。ナツキのことが好きで逢いたいのに、勇気が出なくて連絡してこないだけだ」
「ほんとに?」
「ほんとに。大丈夫、きっといつかは元通りになれるからさ。だから今は、お互い勇気を持てるようになるのを待つときだよ」

 コウキの言葉はまるで魔法のようだった。わたしの吐き出した黒い塊は優しい言葉に包まれてしゅわしゅわと小さくなり、わたしの胸の中に流れ込んでおとなしくなる。くたびれていた心が、少しだけあたたかくなった気がした。コウキはいつだってそうだ。わたしの苦しい気持ちも汚い心も表に出せない涙も、全部まとめて包み込んでくれる。

「ありがとう、コウキ。……勇気、もらえた」
「早いな!」

 コウキの突っ込みに、わたしたちは笑い合った。なんだか久しぶりに心から笑えた気がした。


 家に帰って、ベッドに潜り込もうとしたとき、ふと思いついて携帯電話を開いてみた。メールの問い合わせをしてみる。新着メールゼロ件、の文字が浮かび上がった。けれど、不思議とわたしは焦らなかった。

 わたしはメールの作成画面を立ち上げる。迷いなく文字を打ち込む。

『あいたい』

 しばらくそれを見つめて、心を決めて送信ボタンを押した。トモヤに宛てた、トモヤだけに宛てたわたしの想い。

 トモヤを大切だと思う気持ちとコウキを大切だと思う気持ちは、天秤にかけてもきっと釣り合ったままだ。いつかはどちらかの皿が重さに沈むかもしれない。もしかしたら天秤にかけるまでもないほどの差ができるかもしれない。わたしが恐れているようにトモヤさえいればあとはどうでもいいと思うようになるかもしれないし、その逆だってあり得る。

 けれど、今のわたしはトモヤだけを想っている。逢いたいと強く願っている。それでいい。今はトモヤだけを想ってもいいときだ。じっと待つときだ。それがわかった今は、もう怖くない。

 ふいに携帯電話が震えた。同時に鳴り響いた着信メロディはトモヤ専用のもの。

 わたしはゆっくりと携帯電話を開く。新着メール一件、の表示を見つめ、深く息を吸い込んでボタンを押した。



ゆめがたりへ提出
from 夏川 蛍

お題「君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」






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