『今朝咲きました』 たった一文と、色鮮やかな写真。送り主のアドレスは登録していないから、送信元の欄に表示されているのは単なる英数字の羅列でしかない。それでも、これが迷惑メールの類ではないということはすぐにわかる。 (……なかなか未練がましいな、あたしも) すぐにわかるのは、そのアドレスがかつて嫌というほど見ていたものだからだ。電話帳からはとっくに消去したが相手はそうしていないらしく、別れて半年は経ったのに、ときどき思い出したようにメールが届く。 添付ファイルは一輪の桜の花の写真で、画面の真ん中にひとつだけくっきりとピントの合った白に近い薄紅色の花が写っている。背景はすっきりと晴れた気持ちのいい青空だ。 写真の好きな人だった。ごつい一眼レフを首から下げ、三脚と最低限の着替えだけをリュックサックに詰めて、よくふらりと旅に出ていた。たとえ恋人であっても、写真を撮っているときに邪魔をされると本気で怒った。それに疲れて別れを切り出した。別れたいと言うと、彼は静かに目を見据えて、わかったと頷いた。あっけない終わりだった。 それでも、今も覚えている。彼がシャッターを切るときの真剣な表情も、うまく撮れたときに見せた子供のような笑顔も。自分がそんな彼を確かに愛していたことも。綺麗に撮れただろと写真を見せてくれた彼と一緒に喜んだことも。 彼が今でも写真を送ってくれるのは、だからかもしれない。 『綺麗だね』 それだけ打って、送信ボタンを押しかけて、思い留まった。サンダルを履いて部屋を出る。向かう先は近くの公園。街灯に照らされた桜に焦点を合わせる。この街の桜はもう満開だ。彼は北の方にいるのだろうか。そんなことを考えながらゆっくりとボタンを押す。かしゃ、と間抜けなシャッター音が響いた。 『夜だからわかりにくいかもしれないけど、こちらはもう満開です』 画像が重いからだろうか、なかなか消えてくれない送信中の文字をしばらく見つめて、携帯を閉じた。返信は期待しない。次に彼からのメールが届くのは、きっとひまわりの咲く季節になるだろう。彼が好きだった、だから自分も好きになった、あの花が咲く季節はまだ遠い。 © 2011-2017 Hotori Aoba All Rights Received. -- ad -- |