アラームの音で目覚めると部屋の中はやけに明るかった。昨夜電気を消さずにそのまま眠ってしまったらしい。もったいないことをしたな、と思いながら裕也はアラームを止めて起き上がった。

 昨日はずっと理恵からの返信を待っていたが、結局なんのメールも来ないまま深夜になり、携帯電話を持ったままで眠りに落ちてしまった。理恵はもともと返信が速い方ではないが、こんなにも長い間メールを無視されているのは初めてだ。もちろん精神的にきついものはあるが、とにかく待とうと決めたからだろうか、思ったほど悲しい気持ちにはならなかった。寝ている間に返信が来ていたりしないだろうか、と、なかばダメ元でチェックしてみる。

『新着メール 一件:三浦理恵』

 ――そんな表示が出て一気に目が覚めた。勢いで意味もなく立ち上がってしまい、落ち着け、ともう一度ベッドの端に腰をかける。なぜか少し手が震え始め、落ち着けともう一度自分に言い聞かせて、深呼吸をしてメールを開いた。

『昨日はメール返せなくてごめんなさい。ちょっといっぱいいっぱいになっちゃってた。でも心配してくれて嬉しかったです、ありがとう。今日も学校には行けなさそうなんだけど、大したことないから心配しないでね』

 まだ距離感を測りかねているのだろうか、いつもより絵文字の少ないメールだったが、それでも裕也にとっては充分だった。嬉しかった、の一言が嬉しかった。迷惑なのではないかなどとさんざん尻込みして、彩乃に背中を押されてやっと送ったメールだったが、送って正解だったのだとようやく安心できた。思わず口元が緩み、詰めていた息を吐き出してしまったほどだ。

 何行分かの改行を挟んで、それから、とメールはまだ続いていた。スクロールすると、「それから」の続きが現れる。

『早川には、付き合えないって返事をしました。嫌な思いさせてごめんなさい。早川にはいろいろ言われたけど、それでもこれからも吉岡と一緒にいたいなって、本当に思ってます』

「……うわ、」

 声に出すつもりはなかったのに、心の声が勝手に口から飛び出していた。口元がますますにやけていくのがはっきりわかって、他に見ている人などいないのにとっさに手で覆ってしまう。

 これからも一緒にいたい。直接的に好きと言うことの少ない理恵にしては珍しく直球に近い愛情表現だった。榊が言っていたのはこういうことだったんだな、と今さらながらに思い知る。好きだからこそ言われたいこと、好きだからこそ余計に嬉しく思うことは確かにあるし、自分がそういう言葉をもらえて幸せだからそれでいい、だけではなく、そこから一歩進んで相手が嬉しく思う言葉をお返しに贈ることも大切なのだ。相手にこうしてほしいと求めるだけではだめだ。自分から何かをあげることも始めなければ。

 さて、なんと返そうか。しばらく考えてから心を決め、裕也は慎重にタイピングを始めた。




 教室に入って自分の席に着くと隆彦が近づいてきた。理恵から告白を断ったと聞いたおかげでいくぶん心の余裕はできていたが、三浦に告白したのか、と考えると自然にしかめ面になってしまう。どんな嫌味を言いに来たのかと身構えたが、隆彦は珍しく神妙な表情だった。宣戦布告をしたあの朝のように、威圧するように机に手をつくことも、にやにや顔で裕也の顔を覗き込むことも、していない。

「……なんだよ」
「いや――吉岡に謝ろうと思って」

 予想外の一言にぽかんと口が開いた。そんなキャラだったっけ、こいつ? という疑問が頭の中を駆け巡る。そんな裕也をよそに、隆彦はやはり真剣な顔で軽く頭を下げた。

「ごめん。もう知ってるかもしれないけど、俺、理恵ちゃんに告白して迷惑かけた」
「…………」
「昨日ふられちゃったよ」
「……うん。聞いた」
「そっか。……ほんとは、今でも諦めきれてはないけどさ。でも理恵ちゃんが、お前が好きで一緒にいたいって言ってたから、もう奪おうなんて思ってないよ」
「え……どうしたんだよ、急に」

 やたらと穏やかな、そして真摯な口調にますます戸惑いを覚える。いや、もう理恵に手を出すことがないのならそれは裕也にとってはいいことなのだが。それにしてもどうしたんだ、と考えていたらあからさまに怪訝な表情をしてしまっていたらしく、そんなに不思議なのかよ、と隆彦は少し笑った。そして、冗談っぽいトーンをほのかに帯びた口調に切り替えて言う。

「悟っちゃったんだよなー、俺。悔しいけどさ、やっぱお前らは一緒にいた方がいいんだってわかっちゃって。その方が理恵ちゃんも幸せなんだろうなって思ったから、もうやめる」
「……そっか」

 そんなことを隆彦に言われる日が来るとは思ってもみなかった。あれほど自分の方が理恵を幸せにできると豪語していた隆彦が「悟っちゃう」くらい、自分と理恵は幸せなカップルに見えているのだろうか。呼び方はいまだに名字だし、デートもしていないし、手も繋いでいないし、世間で言う「幸せなカップル」像にはほど遠い自分たちなのに。理恵と付き合っていていいのだという自信などまだまだ持てていないのに。

 それでも、今の裕也は少しだけ隆彦の言葉を信じられた。これからも一緒にいたいという理恵の言葉を思い出したら少しだけ自信が湧いてきた。周りのペースなんて気にしなくていい。お互いの声を聴き合ってゆっくりやっていこう。そう思えるようになった。

(……ある意味、こいつには感謝するべきなのかもな。ちょっとだけ)

 自分で言うのもおかしな話だが、なんだかこの一件のおかげでずいぶんと精神的に成長できた気がする。つい数日前まで本気で警戒し敵だとすら思っていた相手だけに、そんなことを考える自分がやけにおかしく思えた。

「なに黙り込んでんだよ」
「なんでもない」

 肩のあたりを軽くはたいてくる隆彦の手を反射的に払いのける。が、不思議と嫌な感じはしなかった。理恵の件が解決したとたんこんなことを思うようになるだなんて我ながらわかりやすすぎて笑えるが、――もしかするともしかしたら、普通の友達に近づけるのかもしれない。隆彦にされたことはとても忘れられるものではないし、嫉妬しやすく過去を引きずってしまうことも多い性格の自分のことだ、他の友達とまったく同じようにとはいかないだろう。それでも、これから時間をかけていけば、今までに比べれば少しは仲良くなれるかもしれない。ほんのりとそんな予感がした。




 翌日、理恵はようやく学校に出てきた。登校するなり何人かのクラスメイトに大丈夫かと話しかけられていたので裕也はすっかり挨拶のタイミングを逃してしまったが、ふと目が合った瞬間に理恵がこっそり微笑みかけてくれたのでとりあえず心は満たされた。

 それから特に話をするわけでもないままごく普通の一日が終わり、いつものように部活の練習を終えてから携帯電話をチェックすると、いつもはない理恵からのメールが届いていた。

『よかったら部活終わってから一緒に帰りませんか? 教室にいるから、もし大丈夫だったら連絡ください』

(……!)

 驚いて息を呑む。今まで裕也が部活の日には理恵はたいてい彩乃と一緒に先に帰っていたし、裕也の方もいつもチームメイトと一緒に帰っていたからだ。そもそも理恵が一緒に帰ろうと誘ってきたこと自体も珍しい。珍しいというか、初めてだ。あれだけいろいろなことがあったのに今日は一言も会話ができなかったから、なにか話し足りないことでも残っていたのだろうか。とにかく断る理由はない。

「ごめん、俺ちょっと教室寄ってくるから先に帰ってて」

 大急ぎで着替えと荷物の準備を済ませ、近くにいたチームメイトにそう声をかけ、理恵に今から行くと返事をして、裕也は真っ先に部室を飛び出した。




 二人だけで帰路につくのは初めてで、嬉しいとは思うものの気恥ずかしさもやはり残っていた。なんとなくどきどきしながら、少しだけ理恵と距離を置いて歩き始める。彩乃も入れて三人で帰るときは饒舌な理恵も二人きりだと静かだった。何か話をした方がいいのだろうか、いや話したくないなら無理に話さなくても……としばらく頭の中で議論を重ね、裕也は結局口を開くことにした。

「あ、あのさ」
「なに?」
「なんか……言い足りないこととか、気になることとかある? こないだのことで……」

 探るように理恵の横顔をうかがう。うーん、と少し困ったように唸り、しばらく黙りこんだのちに理恵はぼそりと言った。

「今はそんなに気になってないけど……休んでる間、吉岡はあたしと一緒にいて幸せなのかなって、ずっと考えてた」
「……え」

 どういうこと、と聞き返す前に、理恵が説明を重ねる。

「早川に『自分なら幸せにできる』って言われて、あたしと吉岡ってそんなに外から見たら幸せじゃなさそうなのかなって思ってたの。……あたしは吉岡と一緒にいて幸せだけど、吉岡はどうなのかなって。もしかしたら、吉岡があんまり幸せじゃないから周りにそう見られてるんじゃないかって思っちゃって……吉岡と一緒にいちゃだめなのかな、とか、」
「――そんなことない」

 無意識に、裕也は理恵の言葉をさえぎっていた。不意打ちのように声を上げてしまったせいで理恵が目を丸くしているのがわかったが、構わず続ける。

「俺は三浦と一緒にいられて楽しいと思ってるし、幸せだとも思ってるし、」

 そこまで言って恥ずかしくなったが、腹をくくって最後まで言い切ることにした。

「……三浦と、一緒にいたいとも思ってる」

 こんなことをこの俺が言うだなんて、と意識すると急に顔が赤くなってきた。世間の恋人同士からしたらぬるい台詞なのかもしれないが、裕也にとっては相当な勇気が必要な台詞なのだ。恥ずかしすぎて理恵の顔を直視できない。

「……ほんとに?」

 が、少し弾んだ理恵の声が聞こえてきて、反射的に理恵の横顔に目をやってしまう。――とてもとても嬉しそうな、満面の笑みを彼女は浮かべていた。心なしか、頬が少し赤く染まっている気がする。

「嬉しい。すっごく。ありがと」
「……それはよかった」
「吉岡こういう話題苦手だし、そんなこと言ってくれるなんて思ってなかったんだもん」
「俺も自分がこんなこと言うようになるとは思ってなかった」
「ふふ、そうだよね。……ね、吉岡、耳真っ赤だよ」
「……そこは触れないでもらえるとありがたいんだけど……」
「触れちゃうー」

 いたずらっぽくそう言いながら理恵はさりげなく裕也との距離を一歩縮めた。手が触れそうなくらいの距離。こんなに近くで歩いたこと今まであったっけ、などと考えると余計に顔に熱が集まる。それに気づいたのか、理恵はまたくすりと笑った。そして前を向き、つぶやくように言う。

「ありがとうね」
「こちらこそ」

 何が、とは聞かずに素直にそう返すと、理恵はやわらかい笑みを浮かべた。そして、今度は裕也の顔を覗き込むように見上げて言う。

「これからもよろしく」
「うん。よろしく」

 そう返すと理恵は嬉しそうにうなずいた。

 気がつくともう高校の最寄り駅は目の前だった。普段とまったく同じ道のりだったのに、今日はやけに短かったような気がする。まだまだ着かなくてよかったのにな、などと考えながら、そしてできればずっと理恵が自分のことだけを見てくれますようにと願いながら、裕也は理恵と並んで改札をくぐった。








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