エナメルバッグを床に放り出し、隆彦はベッドに倒れ込んだ。電車の中でじわじわと募っていた苛立ちはまだ残っている。悔しさも、もどかしさも、嫉妬も全部。

 裕也は理恵が好きで、理恵も裕也が好き。そんなことはとっくにわかっていたつもりだった。それなのに理恵を今も想ってしまう。理恵を困らせるだけだとはわかっているのに。いっそ諦められたらどんなに楽だろう。それでも、もしかしたら、などと淡い期待を抱いてしまうのだ。ふたりの間に、自分が入り込む隙間があるように思えてしまって。

(馬鹿だよな、俺も)

 ふたりの間の隙間が見える気がするからこそ、理恵が欲しい。二人の仲を壊してでも手に入れたい。――揺れる電車の中で浮かんだその感情は、今も消えずに残っている。壊してやりたい、だなんて、最低にも程がある。だが、この感情が最低だなんてことは理恵を好きになったときからわかりきっていた。それでも消し去ることはできないのだ、このどろどろと粘っこいスライムのような感情は。

 スライムの正体を探し当てるのは簡単だ。裕也がうらやましい。それがすべての根っこだった。そして、そこから芽生えたのはさらに毒のある感情だった。――客観的に見ると裕也は自分より劣っている、ということを隆彦は知っている。出会って数日も経たないうちに察していた。そして、自分の方が理恵にふさわしいということを、ずっと考えていた。

(……これじゃだめだ)

 こんな汚れた心を見せたら、理恵が自分を愛してくれるわけがないのに。


 携帯電話の振動音が沈黙を裂いた。体を起こし、届いたばかりのメールを開く。

「……理恵ちゃん」

 思わず、その送り主の名前をつぶやいた。今の今まで想っていたまさにその人の名前が、画面に表示されている。

『今日は話聞いてくれてありがとう』

 ただのありふれた一文だが、たまらなく嬉しい。嬉しい、などという言葉では言い表せないほど。これほど汚く歪んだ恋心でも、彼女を想う気持ちはホンモノだったということなのだろう。

『いえいえ』

 それだけ送信しようとして、思い留まった。いつもは絶対に訊かない――訊こうと思えない質問を加える。

『ところでさ、理恵ちゃんって吉岡とどこまでいったの?』
『ちょっと、なに言ってるの。そんなこと言うわけないでしょー』

 最後に照れたような顔文字がついていた。その意味を深く考えないように意識しながら、隆彦は慎重に返信を打ち始める。突然の質問を冗談だと軽く受け流してもらえるように、言葉を選んで。

『ごめんごめん。別に深い意味とかはないから気にしないで』

 ――本当は海ほど深い意味があるんだけどな、とぼんやり思いながら送信ボタンを押す。大きな嘘を乗せたメールが理恵の元へと旅立っていく。

『なんなの、もう』

 理恵の返事は焦ったような笑顔の顔文字付きだった。そのあとにもう一文。

『でも真面目な話、特に何もないよ。手繋いですらないし、デートとかもしたことないし、一緒に帰ることもそんなに多くないし』

 その文字列を見て――自分の中のリミッターが切れた気がした。
 ただひたすらに悔しかった。心の奥底から悔しさと怒りがふつふつと湧き上がってきているのがわかった。自分が心から想っている少女の恋人というポジションを勝ち取っているくせに、彼女を幸せにしようという努力すらしていない裕也に。そしてそれでもなお裕也と理恵が恋人同士の関係にあるという事実に。

「……くそっ」

 苛立ちをひとりきりの空間に吐き出し、手にしていた携帯電話をマットレスに叩きつける。

(俺が理恵ちゃんの彼氏だったら――)

 もう何度繰り返したかわからない「もしも」をまた頭の中で唱えた。ただし、今までよりもずっとずっと強く。もしも自分が裕也のポジションを奪うことができたなら、彼女を幸せにできるよう全力を尽くすだろうに。その気持ちがどんどん膨らんでゆく。膨らんで膨らんで――

 何かに突き動かされるように隆彦はもう一度携帯電話を手に取った。電話帳のページを開き理恵の電話番号を呼び出す。何度かの呼び出し音ののちに、がちゃり、と電話をとる音がした。

『もしもし? どうしたの、いきなり』
「理恵ちゃん」

 名前を呼ぶと少し声が震えた。しかしそのまま言葉を飲み込むことはできなかった。

「なんで吉岡と付き合ってんの? そこまでほっとかれて、なんで我慢できんの?」
『え、』
「俺だったら、理恵ちゃんのこともっと大事にする。一緒に帰るしデートもするし、寂しい思いとか不安な思いなんてさせない。理恵ちゃんのこと幸せにできる」
『え、ちょっと、どういうこと……』

 戸惑ったような理恵の問いかけには答えず、ずっと心に秘めていた台詞を隆彦は吐き出した。

「俺と付き合う気、ない?」





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