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 目をさます。冷たく湿った土の匂いを嗅ぎ、ここが地下であることを理解する。暗闇に目が慣れてきた時、補強用の木材が見えた。広くない、狭い地下はどうやら急ぎで作ったらしい、荷物は何もないし木材も新しい上に組み方が少々雑だ。てか、私の地元の大工さんたちは絶対にこんな仕事はしない。

「違うや、今王都だ」

とても焦っているせいか、気を失ったせいか、記憶が混濁しているらしい。自分の居る場所を再認識して、ティンベルは己自身の様子を見る。

――ひどい怪我は特にない。

 首が少し痛いのと、頭がぼんやりする程度。両手両足が拘束されているので歩けるかの確認は取れないが、幸いなことにまだ健康体のようだ。深呼吸を2回、意識してしっかりと行う。そうして、一人呟いた。

「どうしたものかなぁ」

 ダリューン様と買い物をしていたら誰かにつけられて、彼と離れた瞬間で後ろから殴られた。思いの外、敵は近くにいたらしい。相手が身代金目的なら、今回の落ち度は自分が買い物に出たからだな、と軽率な行動を反省したが、それも家に帰れなければ後の祭りすぎる。なんとか脱出を考えなくてはならない。

『ティンベル!!』

 意識が飛びかけた状態で聞こえた叫び。あの時返事ができれば今の状態はなかっただろうと思う。膝を抱えて座り直す。そしてふと、胸の内にしまっていた言葉を取り出す。

「昔は、ティーって呼んでくれてたのにな」

 昔、まだそれこそ本当に子供だった頃は、よく城下で一緒に遊んだりしたものだ。父が望んでいた辺境の地の領主になるまではいつものように、今の家に住んでからは数年に一度王都に行った時。会った時は必ず、小さい頃からの呼び名で呼んでくれていた。だが、今回はずっとティンベルと呼ばれている。

ーー大人になったからかな、それとも…

 自分が認めたくない想像がよぎって、膝に額をつける。……しかし、ありえない話ではないのだ。もう互いに結婚相手がいてもおかしくない年齢だし、私は微妙に嫁ぎ遅れ気味だ。父は互いに望んでいる相手と一緒になればいいと言って私に無理やり結婚を勧めたりしないが、内心すごく心配しているだろう。

「私は…」

 心の声が漏れ出そうになった時、人の足音を聞いて黙る。暗闇とはいえとうに慣れた目は音源のある方を注意深く見ることで映像として脳に流れ込んでくるが、すこしわかりにくい。金属がこすれる音もするので、どうやら帯剣を許される身分もしくは旅人らしく、身なりが綺麗なので身分があるのだと理解する。

「手荒な扱いをしたことを謝罪する、ティンベル殿」
「名前を名乗りなさい。謝罪はそれからです」

 貴族の令嬢らしく少し偉そうにそう言うと、闇の中から声の主が現れる。……どうやら、旅人らしい。顔つきと言葉の発音が西側の国のよう。マルヤムよりも西――そう、ルシタニアやその向こう側の国々の人の顔立ちだ。その彼は座り込む私を見下ろす姿勢を変えず返答する。

「名乗るほどの名を持っておりません。ですが、貴女の身柄は安全であることは保証します」
「何故?」

『………貴女ほどの女性は、あのような偽りの王に仕える人間より、未来の正統なる王に嫁ぐべきだ』

――パルス語ではない……

 この響きはどちらかというと西側の言葉のように思う。地元に旅してきたマルヤム人から聞いたものとは響き方が違うようなので、マルヤム語ではなさそうだ。どうやら私の予測は当たったようだ。だが、当たっただけで状況は何一つ改善しない。

「…………今なんと?」
「貴女を嫁にと望む高貴な方がおられるのです。ですが、彼は訳あって貴女のお父上に話を通せないので、こうやって手荒な手段に走ったということになります」
「そんな人に私が身体を許すとでも?」
「貴女が本当にパルス人なら、喜んでそうすることになる相手です」

 何を言っているのやら。女は常に、愛する男に振り向いて欲しくて美しくなる努力をするというのに。
しかし、パルス人なら…そこは引っかかるところだ。

「さて、貴女にはこれから移動してもらわねばならない」
「どこへ」
「最低でも王都の外だ」

ーーそんな、

 王都の外に出されたらもう手詰まりだ。どこに行くかも分からない。相手は私のことを知っている。だから、間違いなく自分の家の方など通るわけがない。

 逃げなければならない。
 そう思ったがあいにく両手足を縄でくくられている上、解ける気配もない。転がったり這い回ったりすることはできるが、それで移動できるなら人類は手足など作らなかっただろう。
 だが、この際、手だけでも解放されれば何でも出来る気がする。這い回るにしてもどのみち手だけは扉を開けたりなどで必要になる。賭けるならそこかもしれない。

「おとなしくしていてください。女人に危害は与えたくないので」
「…そんな気遣いができるならせめて手の縄を外していただけないかしら」
「手?足ではないのか」

 手です、とティンベルは気丈な笑みを相手に向ける。

「女とは常に自分の姿を整えたいものです。どんなときであろうと、美しい姿を見てもらうために。髪を整えるとき、あなたは足を使うのですか?」
「我慢しろ」
「嫌ですわ。私、おとなしくしませんわよ?」
「………」
「搬送中に喚かれたら困るのでは?」
「………チッ、仕方ない」

 しぶしぶといった様子で手の縄が切られ、私は解放された手で髪の毛に触れる。そのとき初めて、自分がストールをなくしていること、実は落ち着きを失い注意力が下がっていることに気づいた。



 地下牢から外に出され、数時間ぶりの外の空気を吸う。空を見れば、雲に隠れつつもきれいな星が私を迎えてくれる。これでのんびりお茶でも飲めれば最高なのだが、あいにく私は口に布を巻かれ、名も知らぬ先ほどの男に担がれていた。

「荷馬車で移動します。とにかくおとなしくしていただければ危害は加えません」

 そう言って私は暗い荷馬車の中、荷物に紛れて座らされる。縄を出してきたので文句を言ったが結局両手を再び拘束され、麻袋にしゃがんだ体制で入れられてしまった。

「王都を出るまで辛抱してください。では、また後で」

 そう言って衣擦れの音とともに人が離れていく。荷馬車の揺れが伝わる中、真っ暗かつ閉所に1人。私は内心であかんべをしながら、いよいよ本格的に不安に襲われるようになった。

ーーやっぱりまた手に縄が…

 足も拘束されているので、私は実質何もすることができない。どうしよう。心は焦るばかりだ。暴れるにも斬られない保証はない。条件を守れば危害を加えないというあたり、私が死んでも代わりはいくらでもいるのだろう。そうでなければ、こんな方法で私をさらうことなどないのだ。

ーー私が死んでも、代わりはいくらでもある………

 何故だろう。普段なら気にも留めない言葉が引っかかる。しかも気になるとかではなく、確実に心を蝕むかのように。正直疲れているし、眠たい私もいるのに、別の部分では不安で暴れ狂う何かがある。落ち着こうと目を閉じてもそれは不安をあおるばかりだ。

ーー何故?

 ああ、

『ダリューンには、私はいなくてもいい存在かもしれないから』

 ティーと呼んでくれなくなった。どこか、緊張を感じさせる態度もそう。昔のように手を取ってみたりしてみたが、どうも変な感じはぬぐえない。果たしてそこにあるのは、私に対して何を考えた結果なのだろうか。私は嫌われているのだろうか。邪魔になってしまっただろうか。だとしたら、私はこの一週間、彼に面倒を負わせたことになる。

ーー来なければよかったのかもしれない

 自分の想い人に迷惑をかけ、さらに現在進行形で多くの人に迷惑をかけ、そして未来形で自分の両親や家のみんなに心配をかける。私の行動でこんなにも迷惑をかけるなら、私は地元でひっそりといつものように過ごしていた方がよかったのかもしれない。

ーー私の想いなんて、封じてしまえばよかったのかもしれない

 そこまで考えて目を閉じた時、急に荷馬車が止まる。あまりにも急だったので身体が荷台の上でずれ、頭をぶつける。さするにも両手が拘束されているのでさすれない、痛い時間を一人過ごしている間に、夜にしては周囲がうるさくなってきたことがわかる。遠くの方で怒号と金属がこすれ合う音、指揮官と思しき人間の声が聞こえる。すごく怒っているようだ。……なんだかダリューンの声に似ているような、そう思った自分に嫌気を感じたその時、私の耳は確かに捉えた。

「ティー!!!」

うっすらと聞こえたその呼び名で嫌気やもやもやなどすべて吹っ切れた。必死にもがき、手首の縄を懸命に解きにかかる。肌と縄がこすれて痛かったが、そんなことはもうどうでも良かった。
 しばらく無駄にガサガサとやっていたが、幼少期、何故かダリューンに教わった縄の結び方と解き方を思い出す。

『ティー、今日面白いこと習ったんだ。きっと役に立つから覚えておいてくれよ!』
『何を教えてくれるの?』
『縄で拘束されたときの脱出方法!』
『………私、そんな体験死ぬまでしないと思う』
『真顔で言うなよ!役に立つかもしれないしさ!それに、』

 記憶を頼りに縄をいじる。そして面白いように解けたそれに、思わず笑みがこぼれる。

『ティー、じっとしてると変なこと考えて、不安でいっぱいになって、絶対俺が助けに行くまでに泣くだろ?』

 口の布を外し、私は呟く。

「泣かんわ!ーーしょうもないことは山ほどあったけどなぁ」

 久々に自由になった口は訛りの入ったパルス語をこぼした。そして息を吸い、

「ダリューン!!ここ!!」

令嬢らしからぬ大声を暗闇の向こうに向けて放った。さすればすぐに外の騒ぎはこちらにむくようになり、一層怒号が強く――否、何故か悲鳴に変わった。阿鼻叫喚だ。そうしてすぐに荷馬車の覆いが引き裂かれる音がして、誰かが荷馬車に乗り込む。どたどた寄ってきた誰かは荒々しく私の入った麻袋を開封すると、私の胸ぐらをつかむ。

「お前…!余計なことしやがって!!!せっかく黙っていれば失敗などしなかったのに、パルスの野郎どもが感付きやがったじゃねぇか!!」

 恐怖で目をつむっていたが、声だけでもわかる。先ほどの男だ。さっきまでの落ち着きはなくなり、どうやら本性らしい暴力的な態度になっている。目を開ければ血走った眼でこちらを射殺せそうなほどの顔が間近に見えた。そして同時に、月明かりを背に受けた、荒々しい怒りに燃えつつも冷静さを保つ、琥珀色の瞳を持つ男も。

「その手を今すぐ離せ、罪人」

 その声に暴力男――罪人は私に剣を突き付け、盾にしようと試みた。試みたのだが、そんな間も許されることなく彼は意識を刈り取られた。私は物理的な距離が縮まった一瞬で彼のゴツゴツした手に掴まれてそのまま引っ張られて、鍛え上げた腕に包まれた。

「ティー、」

 温かい。心臓の音が聞こえて落ち着く。

「良かった」

 足に巻かれた縄が切られる。解放感を得るとともに、鼓膜を震わせるその一声で保っていた何かが切れた。

「ーーっ!!」

 縋り付くように腕を回して、先ほどまでの嫌気や後悔やはしたなさは全部忘れて、思いのままに泣きじゃくる。

 もう迷惑だとかそんなことは思いもせず、ただ助けに来てくれた彼に抱き付いて、安堵の涙を流し続けた。しばらくそうして、私は深い闇に吸い込まれるように意識を飛ばした。


六日目:彼女は考える


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