王都エクバターナの中心、パルスの王宮にある一室。そこは必要最低限の家具と大量の書物、書類にあふれていた。その部屋の端っこに、ぼさぼさ――というよりボロボロな格好をした少女が埋もれるように存在していた。肩までの黒い髪と、ロングコートのような黒茶の羽織りもの、腕に嵌る青い腕章。その腕章にはルシタニア語で"軍師"と書かれている。
彼女はぼさぼさの黒髪を気にすることなく、ひたすら文献を読み漁りながらペンを動かして略奪品の紙に何やら書き込んでいく。そのため込まれた書類や書物に書かれた文字は大陸公路の公用語 パルス語だけでなく、マルヤム語やミスル語など様々にわたり、彼女が今何の苦もなく読んでいるのはシンドゥラ語の文献だった。
黙々と書類を読み進め、静かな部屋にはペンの筆音と文献のページを繰る音だけが響く。そこへ、ノックもなしに仕えるべき王族または上官が現れる。
「おい、アッシュ」
「………」
「アッシュ」
「………」
「アッシュ!」
「うぇ?!あ!はいどうもこんにちは王弟殿下」
上官――ギスカールがいつの間にか目前に立って大声を出してようやく存在に気が付いたアッシュは慌ててペンを置き、書物を抱えて立ち上がる。ギスカールよりも低い位置にある顔にある深紅の瞳は眠そうに彼女の上官を捉える。瞳を向けられた上官はこめかみに血管を浮き上がらせながら怒気を込めて声を発した。
「お前、相変わらずとはいえそろそろ殺したくなるぞ」
「すみませんでしたー。新しく戦術考えたんで、許してください!」
ふざけた口調でそう言うと彼女はガサゴソと書類の山を漁り始め、しばらくして喜びの声を上げる。
「あーあった!はい、どーぞ」
「…少しは整理しろ」
「善処しますー」
ギスカールはこりゃ当分掃除しないな、と内心諦めながら部屋を出た。しかし、あのような勤務態度であっても、ギスカールには彼女を追いだす理由が無い。否、彼女には居てもらわなければならない。このパルス侵攻においてルシタニア側の最大功労者はまぎれもなく彼女であり、時には銀仮面をも唸らせる知略は何としても手元に置いておきたい。それに、
「彼女の戦術は目新しいのだよなぁ…」
受け取った書類に目を通せば、確かに戦術の内容が書かれていて、今までに見たことのない陣形やら武器の設計図が書かれていた。到底自分では考え付かないであろう内容に、思わずため息が出た。これを齢14の娘が成し遂げるのだ、なおさら手放せない。
「舐めた口ぶりは腹立たしいが、頭に関しては替えが利かないから困る」
ギスカールは今日も頭を抱えながら彼女の扱いに悩むのだった。
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もしもシリーズ第一弾、「もしも彼女が、紺の髪ではなかったら」
彼女が紺の髪ではなかったら、ルシタニアから逃げることなく成長し、本編以上に文官の資質を発揮していたと思います。そして王弟殿下に右腕として引っこ抜かれてワーカーホリック。王弟殿下には引っこ抜きの恩は感じていても忠誠心は皆無です。哀れかなギスカール。
多分、オシャレに気を遣うことも、髪を伸ばすことも、恋することもなく、ただ機械のように仕事をし続ける子になっていた…はず。