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 ある日の昼時、十二の文字が背中に記された隊長羽織を身に纏った男――――喜助は、一人隊舎を出て街を歩く。空っぽであることを訴える腹を押さえながら、今日の昼食は何にしようか、と考える。ひつまぶし、鮭の茶漬けなど魚漬けの日々ときた…今日は肉だろうか。

 そんなことをぼんやり思いながら歩いていると、前方に見覚えのある女性の姿を確認する。あれは間違いない。

「杜屋サーン!」

 おーい、と声をかける。肩を揺らし、ぎこちなくこちらを向いた彼女に、手を振りながら駆け寄っていく。反応が普通ではないことがかなり気にかかるが、近づいた時には、深紫の瞳が映すものは平静だったのでよく分からない。

「こんにちは、浦原隊長」
「どうも。珍しいですね、私服姿だ」
「…今日は非番なので」

 今日の彼女は死覇装を着ていない。栗色の髪は後ろで緩く編んで下げ、藤色の着物は上品で、元々見た目が良い彼女の色香の格を上げている。表情が全く変動しないことを考慮しても、彼女は相当美人だ。現世でいうところの『傾国』だろうか。

――――こんな美人が友人とか、喜多チャンがかなり羨ましいっスね?

 せっかくだし、このままお話ししたい。喜助の下心が誘いをかける。

「お昼ご飯食べました?よければ一緒にどうです?」

 この時間だし、彼女もまだ昼食をとっていないのではなかろうか。そう思って声をかけてみたが、彼女は困ったように視線を下げる。

「今日はちょっと忙しいんです」

 アラ残念。素直にそう言えば、深紫の瞳が揺れる。何かを考えている様子なので、しばらく待ってみると、彼女が口を開いた。

「…次の週末は、暇です」

 なんてことでしょう!

「じゃあボクとお昼ご飯食べに行きましょう!ボクも喜多チャンも世話になっているので、おごらせてください」
「分かりました」

 食いついたボクに気持ち後ずさりつつ、杜屋サンは首を縦に振った。日程などを決めて、さらっと解散する。

――――うーん、これはかなり楽しみっスよ?

 気分が良い状態で昼食を摂り、十二番隊へ戻る。鼻歌を歌いながら廊下を歩いたらひよ里サンに蹴飛ばされたが、そんなことはどうでもいい。

 自分の欲望を具現化する研究と同じくらい楽しみな予定なんて、いつぶりだろうか。




 ついにやって来た、当日の朝。

 ちゃんと前日のうちに喜多チャンと暮らす方の家に帰り、布団で寝て、起きて身支度を整えた。私服を着るのはいつぶりか分からなかったが、喜多チャンがちゃんと手入れをしていてくれたようだ。ボクの妹は気遣いにおいてかなり優秀だ。

 朝食を食べながら、珍しく静かな時間が流れる。いつもは会話ばかりだが、相手が喋らない。そういう雰囲気ではない。

 食後、喜多チャンが一言だけ発する。

「変なことしないでよ」
「しないよ」

 その発言を否定した。これについては真面目にそう思っている。すると、一瞬だけ目を見張って、それから何も言わなくなってしまった妹。こりゃあ今日の予定どころか相手もバレてるっスね。本人から聞かされたのかもしれない。

 行ってきますを言い、ボクは外へ出る。

 行ってらっしゃい、いつもより心なしか覇気の無い声が背中に聞こえた。


 待ち合わせ場所には四半刻ほど早く着いた。これじゃあまるで待ちきれなくて飛び出してきた子供のようである。

 そわそわしながら待つこと少し、約束通り彼女はやってきた。ちょっと早めなのは、彼女の性格上当然なのかもしれない。

「こんにちは」
「こんに、ち…は……」

 何の警戒もせず彼女を見た自分が悪かった。

 十一番隊の荒くれ者を倒すだけの戦闘力を持っているにもかかわらず細い体躯、艶やかな栗色の髪、白く透けるような絹肌。端正な顔にあるパーツはどれも形が整っており、何よりも目を引くのは深紫色の瞳。今日は髪を横に纏め、若苗色の着物という格好をしている。髪を纏めているものは地味な紐であったが、派手でない装飾がかえって彼女の美しさを引き立たせて、つまりとんでもない。

――――こんな美人に迫られたら、そりゃあ国も傾くってモンですよね…

 襲い来る美麗の衝撃に沈黙すること数秒。ぱちくりと驚きに瞬く瞳を見て、正気に返った。

「アア、ドーモ。…えっと、ちょっと早いですけど、どうします?」
「………今日の、お昼ご飯を決めましょう」
「はい」

 二人で飲食店街へと向かう。会話はぽつぽつ、途切れつつも続いた。お茶は苦めのもの、お酒は熱燗が好み。なかなか渋い味覚をお持ちの彼女は、とある定食屋の前で立ち止まる。そして、

「………馬刺」
「へ?」
「馬刺定食にしましょう」

こちらを向いてそう言った。バサシ?

「馬の生肉です」

 馬の生肉。生肉…?

「面白そうっスね、そうしましょう」

 そう返事はしたものの、縁が無かったのでどんなものか想像がつかない。生肉というのだから赤いのだろうが…刺身のようなものだろうか。実はとんでもないものか、と思ったりもしたが、杜屋サンが無表情なりに嬉々としていることが分かったので、これも好物か、と記憶する。

 定食屋の暖簾をくぐり、引き戸を開ける。

「おう、由布子ちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは。馬刺し定食を二つ」
「あいよ」

 ここは馴染みの店らしい。杜屋サンの顔を見るなり、職人気質の気難しそうな雰囲気を纏った大将が頬を緩めた。

「今日は喜多ちゃんによく似た人と一緒かい」
「喜多のお兄さんです」
「あ、ドモ」

 喜助です、と挨拶をすれば、よく似た顔だなァと笑う大将。お茶は自分で淹れる仕組みらしく、水出しの緑茶を各々注いでから、彼女が選んだ席に座った。

「よく来るんスか?」
「はい。美味しいし安いしで、四番隊に配属されてからずっと通っているんです」
「もしかして喜多チャンも」
「ええ」
「…いつも、妹と仲良くしてくれてありがとうございます。喜多チャン、あなたといる時やあなたについて話す時はいい笑顔ですもん」

 そう言ってボクはずらしていた視線を彼女へ戻す。

「私も、喜多と一緒にいるのは、とても楽しいです」

 見えるのは相も変らぬ無表情――――のはずが、深紫の瞳は輝き、こちらの目を引いて離さない。そして何より、口元にうっすらと笑みを刷いて、つまり、微笑を浮かべている。

「………」

 天女と間違えるほど造形整った、それでいていつになく人間らしいその表情にくぎ付けになったのはボクだけではないはずだ。大将も、彼女を注視している様子が分かる。

「浦原隊長?」

 心臓が早鐘を打つ。耳の奥でドクドクと音がして、装った表情が崩れそうになるのを必死の思いで保ち、何とか返事をする。

「…喜多チャンはいい友達を持ったなァ、としみじみしまして」
「はあ」

 きょとんとした様子の彼女に苦笑する。それからしばらく、馬刺とやらが来るまで、ボクは何も言えなくなってしまった。

「馬刺定食…!」
「これは…!」

 初めての馬刺は――――正直、緊張で味がよく分からなかった。だが、不味いとは思わなかったので、またいつか食べに来ようと思う。

 叶うなら、その時はまた彼女とがいい。




今日は思い出の馬刺定食―昼