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「#甘々」のBL小説を読む
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 中学3年生、学校の夏期講習後にイタリア語を教わるようになった。代わりに、彼女が授業の復習の際に理解できないところを教えていた。

 彼女は頭がいい。遠い異国で母国語ではない言語で授業を受けているのにテスト結果は中の上とそこそこ好成績であり、正しく努力をしてきちんと結果に反映させている優等生だと思った。

「今の我に世なく神なくほとけなし運命するどき斧ふるひ来よ」

 彼女が呟くように読み上げた一句。聞けば、有名歌人の関連人物が詠んだ句だという。何故、彼女はそれに反応したのだろうか。

「この人の状況は良く知らないけれど…苦しい時に、好きな人に救ってもらいたかったのかなって思ったの」

 実際、歌人が詠んだ意味とは合っているのかも分からないし、僕には生憎それを理解する感性が無かった。ただ、彼女が遠くを見るような目線でそれを眺めていることだけが印象に残る。

「でも、だめよね。苦しい時、崖っぷちの時、最後に自分を救うのは、自分だもの」

 そうでしょう?――――そう言って、彼女は笑った。



 あれから、必死に記憶を掘り起こし始めた。

 宮間柚乃、同い年の日系イタリア人とあるが実は本名は別にあるし、日系ではなかったはずだ。本名は思い出せない。セミロングの髪で、ユニとよく似た顔つきだが痣は無い。
 僕は彼女と友人をしていた。同時に、ふたりぼっちのイタリア語講座の生徒と教師だった。さらに、ふたりぼっちの復習タイムにおける教師と生徒だった。学生から社会人になった後は上司と部下で、僕の手が届かない仕事は大抵彼女が済ませてくれていた。書類のミスを直してくれるのも、一向に片付かない研究室を整頓してくれるのも、正直かなり助かっていたようだ。

 穴抜けになっている記憶の中、何とかそこまで思い出したところで、未来の僕は全く彼女自身について知らないのだと気づいた。自分の使命に必死になって、彼女自身を見ることが無かったらしい。酷い奴だと思う。

 情報が足りない。何か、何か重大な要素があって、未来の僕はそれを見ていたはずなのに。

 彼女の持ち物は何だっただろうか。イヤホン、CD、音楽再生プレーヤー、万年筆、氷河属性のリング、ハンドガン、腕時計。

「――――腕時計、腕時計…」

 ふと、川平不動産へ逃げ込んだシーンが浮かぶ。

『あの…時計、すみません。壊しちゃって』

 川平のおじさんに、彼女が声をかける。

『ああ、大丈夫大丈夫。効力は変わらないから。それに想定使用年数はもうとっくに過ぎていて、本当は途中で修繕に行く予定だったんだけど、君は丁寧に使ってくれるからいいかなって放っておいたんだ。だから、君は何も悪くないよ。もう必要もなくなったろう?』

 そう、確か、時計の形をした別の何かだった。何かの効力があったらしいのだが、その効力は、その頃には必要なくなっていたらしい。

『じゃあね、運命の子』

 運命、何の運命だろうか。あの場にいた運命に翻弄された人と言えば、ユニが筆頭だろう。彼女の炎によって復活したアルコバレーノ達も、死を覆されたという意味では運命に振り回されている。マーレリングに魅入られた白蘭サンも、もしかしたら翻弄した側のはずがされた側だったのかもしれない。
 未来の僕は何も彼女に聞かなかったのだろうか。いや、聞いてないから何も分からないのだろう。たとえ彼女の部分の記憶だけが朧げになっているにしても、もう少しヒントがあったっていいように思う。

 ……川平のおじさん、彼はヒントになってくれるだろうか。



 放課後、並盛町の不動産屋――――川平不動産の戸を叩く。
 ハルさんの話だとまだおばあちゃんが存命で、もしかしたらおばあちゃんの方が出てきてしまうかもしれない。おじさんは不在かもしれない。だとしたらどうしよう、と思ったところで、引き戸が開かれる。

「あ…!えっと、"川平のおじさん"」
「ん〜、久々に呼ばれたなあ」

 和服、ラーメン、丸眼鏡。

「歓迎歓迎。いや、本当に嬉しいんだって」

 記憶と同じ風貌をした"川平のおじさん"は、そう言って胡散臭い笑顔を見せた。…胡散臭いとか言ってはいけない。
 案内された応接セットのソファに座り、差し出されたお茶に口をつける。

「さて、何の用かな?」

 川平のおじさんはラーメンを啜りながら聞いてくる。僕は乾いた唇を湿らせて、言葉を発した。

「十年後、あなたは宮間柚乃という女の子に腕時計を渡していますよね」
「うん、そうだね」
「あれは一体なんですか?――――運命の子とは、どういうことですか?」

 川平のおじさんは眼鏡の奥の目を細くする。それが喜びからもたらされるものだったことに驚く。

「…ふふ、いやあ…よくぞ聞いてくれたって感じかな。あの時計はね、アルコバレーノ殺し対策だよ。君も十年後はそれを発生させる側だったから、もうわかるよね」

 アルコバレーノ殺し――――ノントゥリニセッテのことか。……アルコバレーノと関係がある?彼女が?どういうことだ?
 ラーメンを食べ進める箸を止め、丼をテーブルに置いた。ただ、手は箸と丼から離れない。 

「あの子はずるいから、奥義を発動して皆に記憶を与えた後、つまり十年前の人間が知ることのできないところで重要なことをやったんだよね。君が唯一の目撃者だったけど、君はその記憶をもらっていない。もらえないようにあの子が狙ってやった節すらある。…だが、君は自力で"こういう女の子がいた"と思い出した。君は凄い」
「?」
「僕はあの子を気に入っているんだ。そして、あの子に良くしてくれる君も。だから、君にヒントをあげよう」

 スッ、と額に箸を向けられる。何をと思う前に記憶が流れ込んでくる。

 僕の知らない、未来の僕が経験した別れと後悔。

 一通りを見せられて、あまりにも想定外の内容に言葉を失う。

「じゃ、よろしく頼むよ」

 そのように言われ、僕は川平不動産から追い出された。




「――――よかったね、運命の子」

 入江正一という中学生を追い出して、ひとりソファに座りなおす。

「君はまだ、存在できるね」

 ずずっ、と伸びきってしまったラーメンを食べながら、川平は微笑んだ。



するどき斧の猶予