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「入江君」
「宮間さん、お疲れ」
「お疲れ様」

 ジワジワとセミの鳴き声が響く教室。夏期講習の終わった教室で、私たちは講習とは関係のない教本を開く。

「Si prega di aprire la pagina 45 del libro di testo oggi.」
「えっと、教科書の45ページを開くんだね?」
「そう」

 入江君の手元にあるのはイタリア語の教本。私がネイティブスピーカーであることから、教えてほしいと頼まれたのは少し前の話だ。 

「つらくないの?……イタリア語、受験では使わないでしょう?」
「そうだけど、僕がやってみたいと思ったから」

 そう、なら、いいのだけれど。
 でも、ちょっと前と雰囲気が違うのは、聞いてはいけないかしら。

 喉まで出かかった言葉を飲み込み、私は私で夏期講習のテキストを開く。入江君は自分で教本を読み進め、分からないことを私に聞いてくるスタイルで学習している。私も、夏期講習の復習をしながら、分からないところを彼に聞くのだ。

「そこ、"Il suo sogno è un musicsta." が正解」
「ん…ああ、なるほど」
「ねえ、国語ってなんでこんなに難しいの?小説を読んだって感じ方は人それぞれなんだから正しい答えなんて出ないと思うんだけれど」
「それ、イタリア語でも苦手だった?」
「No, sono stato in grado di risolverlo.」
「えっと……なら、日本語のニュアンス、が理解しにくいんだと思う。でも、これは慣れるしかない」
「そう…難しい」

 日本語は複雑だ。一つの感情を説明する言葉が数多で、しかも絶妙に違う。愛している、恋い慕っている、思慕する…小説を読めばさらにたくさんの表現が出てくるから本当に難しい。

 夕方、入江君は塾に行くからと帰っていった。私は学校と寮を行き来するだけの簡単な生活なので、図書室でまたノートを開くことにした。最近は、イタリア語が書かれることは少なくなってきたが、まだ躍る。

 人のいない図書室は静かだ。私がシャーペンをノートに擦り付ける音だけが響いて、少し退屈――――そう思った時、景色が変わる。


『…………』


 私は空港に立っていた。一年前、イタリアから引っ越してきたときにはじめて日本の大地を踏んだ、あの空港。
 視線の先に二人立っている。
 一人は私だ。今よりも少し身長が伸びている。髪も伸びて、ハーフアップにしている。
 もう一人は入江君。彼がキャリーバッグを持ち、リュックを背負っているから、空港に用事があるのは彼なのだ。

 ああ、彼は海外の大学へ進学するのだ。可能性としては英語圏、イタリア語圏か。私は日本から出る気がないし、実際身軽な格好でいるから、おそらく見送りだ。
 だけど、どうしてこんなにも嫌な気持ちがするのだろうか。これは、寂しさではない。嫌悪でもない。何だろう、悪い予感というのが近いかもしれない。

 また景色が変わる。

 これは、なんというか、秘密基地のような場所。白い制服を着た人、黒い制服を着た人が歩き回っている。自分の身体を見ると、白い制服を着ている。
 そんなところに不釣り合いな和服を着た誰かが寄ってきて、私を真っ暗な部屋へ引き入れる。そして告げる。

『この先はまだ、見えてはいけない』

 さもなくば、君が危ない。




 次に目を開けた時、視界には机と教科書が見えた。時間は二時間ほど進んでいて、もうそろそろ寮へと戻らないと夕食を食べ損ねる時間だった。
 慌ててカバンに荷物を詰めながら、"見た"内容を思い出す。

 最初の景色。入江君は、海外の大学に進学する。イタリア語は、もしかしたらそのために学び始めたのかもしれない。――――なら、ちゃんと教えてあげないといけない。今まで手を抜いていたわけではないし、彼はきちんとできるようになってきているけれど、それ以上にきっちりと仕上げてあげるべきだ。ここは中高一貫校だから、高校二年の終わりまでに、完成を目指そう。そこまで彼が私を必要としたらば、だけれども。
 次の景色。私は、何故か制服だらけの謎の場所にいた。その先は見てはいけないらしい。見ると、危ないらしい。どうしてかは分からないけれど。
 でも、あの制服は、どこかで見た覚えがある。否、見ている。

 私の定めの日に、あの制服を着ている人が何人かいた。
 私は、おそらくあそこで運命を待つことになる。

「……もしかして、就職先なのかなあ」

 もっとオフィス感満載の、都会みたいなところにいるんだと思っていたんだけど。

 まあいいか。私はこの内容について考えることを止めた。定められた日まではまだあるのだ。私は彼のイタリア語を完璧にして、私が学びたいことを学んで、時々遊んで、そこに至るまでの日々を楽しんでやるんだ。


まばたきの猶予