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 朝。
 起き上がって朝食を食べて、身支度を整える。
 こちらの制服は不思議だ。男の水兵が着ていた軍服を女子生徒の制服にしてしまうのだから。袖に腕を通し、タイを結び、スカートを履く。セミロングの髪は櫛を通して、そのままにする。
 服装に問題がないことを確認し、カバンを持って寮の外へ出た。

 見慣れない景色の中、事前に頭に入れておいたルートを進む。

 というのも、先日イタリアから日本へと引っ越してきたばかりなのだ。家族は誰一人いない、たった一人の引っ越し。中学生にして初の、しかも海外での寮生活となる。
 不思議と寂しさは無かった。こうなることを知っていたし、こうするよう母が願ったから。そうすれば、私が残された短い生を幸せに生きることができると、母が見てしまったから。袖を濡らして、それでも笑顔で見送ってくれた母。ちゃんと、笑えているだろうか。妹は、ピイピイ泣いていた。無事に泣き止んでくれただろうか。いつか、母の教えを守って、ちゃんと笑えるようになるだろうか。


 目的地は並盛近辺、某有名私立中学。
 同じ制服を着た女子生徒、同じ学校の男子生徒が構内へと立ち入っていく。私も同じように歩いては構内へ入り、事前に指示された通り職員室へと向かった。
 職員室の戸を叩き、名を名乗る。そうすれば、担任が寄ってきて、いろいろと案内をしてくれた。ちょっと早口だったので聞き取りが大変だったが、復唱してみたら問題ないと言われたのできちんと理解はできていたらしい。

「転入生を紹介する。入ってきたまえ」

 場所は変わって廊下。指示に従い、教室の引き戸を開ける。真新しい上履きがワックスでつややかに光る床を踏みしめる。
 ざわめく教室を一瞥して、黒板の前へ立つ。私はジャッポーネに近い色合いをしているし、偽装の名前だってジャッポーネなのだから、そこまで騒ぐほどの違いではない…と思っていたのだが、やはり、郷に入っては郷に従えを地で行くにはまだ時間がかかるようだ。

「宮間柚乃です。どうぞよろしく」

 頭を下げ、日本式の挨拶をしてみる。ほどほどに拍手をもらい、座れと指示された座席に着く。

 授業はそこそこ楽しかった。日本語はそれなりに嗜んでいたが、いざネイティブスピーカーの日本語を聞いていると難しいところがちらほら現れる。分からない言葉は授業の内容共々ノートに書き記し、余裕があるときに日伊辞典をひいて確かめる。イタリア語と日本語が混在するノートが仕上がっていくが、貸す予定はないので問題ない…と思う。

 休憩時間は物珍しい日系イタリア人(そういう設定にした)に声をかけに来る人の応対をしながら昼食をとり、また授業に勤しむ。放課後は貴重な日本語学習タイムになるので光の速さで教室から立ち去る。寮生活なので図書室で閉室ギリギリまで自習してもよいし、寮に戻って自室で勉強するもよしで、なかなかにいい環境だった。
 まあ、そんな生活をしていれば、友人は多くなかった。いや、この時点ではまだ一人もいなかった。私の生活スタイルが問題だったことは認めるが、誰も私を色眼鏡抜きで見てくれなかったのでしょうがない。

 そんなある日、ちょっと違う出来事が起きた。

「………ない」

 イヤホンを落とした。リスニングの練習に使うために構内に持ち込んだ、イタリアから持ってきたイヤホン。

 誰もいない放課後の教室でカバンをひっくり返す。教科書、ノート、筆箱がゴトゴトと音を立てて転がり出てくるが、目的のものは見つからない。
 困った。勉強するには別のイヤホンを購入すればいいだけの話だ。だが、そのイヤホンは手放したくないのだ。
 メイドインイタリアなイヤホン。母が買ってくれたイヤホン。この世界でたった一つの、私が大切にしたいイヤホン。

 どうしよう。母が買ってくれた大切なもの。もしかしたらもう二度とない希少品だというのに、私はそれを。

 思わず唇をかむ。涙がにじみそうになるのをこらえて、つらい時ほど笑うという教えを思い出す。でも、笑えない。笑って手放せるものじゃないのに――――

「宮間…さん?」

 突然名前を呼ばれ、声がした方に顔を向ける。誰だろう、同じ学年の生徒だろうか。いや、しかし、そんなことよりも。

「このイヤホン、宮間さんのだよね?」

 そういって差し出されたのはまさに探していたイヤホンだった。驚きに言葉を失いかけて、なんとか一言ひねり出す。

「どうして?」
「廊下で拾ったんだ。これ、イタリアでは有名なメーカーのイヤホンだったから…この学校だと、宮間さんしかいないかと思って」

 そう、そうなの。良くわかってくれた、よく届けてくれた。
 大事なものを手渡されて、軽く握る。思わず安堵で顔が緩む。お礼を言わなければならない。

「Grazie ――――ありがとう。…とても、探していたから」
「良かった!」

 そう言って笑っている相手は、眼鏡をかけた優しい雰囲気の男子生徒。確かクラスメイトだが、その……名前が分からない。

「そのメーカー、僕の好きなバンドもよく使ってるんだ。あ、BLOOD+PEPPERって言ってね、」

 やばい、語り出した。名前を聞かないといけないのに。というか凄いつらつら語る…音楽オタクなのか…。

「今度新しいCDが出るから楽しみで――――ってごめん!つい語ってしまった…」
「好きなものについて話したいのは誰だって同じ。…えっと、ごめんなさい、お名前を聞いてもいいかしら」
「僕?入江正一だよ」

 イリエ…入江君。よし、覚えた。

「入江君、B+Pについては、私もよく知ってる。ベーシストの技巧的な演奏がとても気に入っているから」 
「本当かい?!」

 あれこれと語りだす。私を舐めないでほしい。私だって、実は部屋にCDを溜め込み、イヤホンやヘッドホンにお金をかけてみたりする音楽オタクの端くれにいるのだ。…このイヤホンだって、母が買ってくれたからなくせないという理由に加え、中学生が持つにはちょっと高価だからなくせないというのもあるのだ。本当に、感謝の念しかない。

 かれこれ小一時間互いに語り通す。教室は西日が傾いてオレンジ色に染まりつつあった。

「あ…そろそろ帰らないと」
「ごめんなさい、私が長々と語ってしまったから」
「いやあそれを言ったら僕だって…」

 二人で同じことを言ってしまったのが面白くて、思わず笑う。入江君も楽しそうに笑っている。ああ、良かった。今日はとても楽しかった。 

「これからもいろいろ語りに来てもいいかい?」
「……うん」

 楽しみに待ってるね。そう言えば、別に私が語りに来てくれたって良いのだと言われた。

「ふふ、そうかも」

 定めの日を迎えるまで、まだ年月があるのだ。そこに至るまでの過程で、趣味について語れる友人を持ったって、いいのかもしれない。


明滅する心臓