『おねえさま、起きて。これからお出かけでしょう?』
「――――……いや、その言葉はそのまま返したいわ妹よ…」
泣いて泣いて、ひどい顔で迎えた朝は、奇妙な文言から始めてしまった。
化粧をいつもより少しだけ濃いめにして、鏡の前で笑う。いつも通りだ。
支給されたパンツスーツはちょうど良い。パンプスはかかと低めで、ストラップ付なので走ることも問題ない。
集合地点は並盛神社。交通費くらい自分で出せという白蘭の脅しにも屈せず、若きボンゴレたちは要求以上のものを見せて無事チョイス会場へと到着した。
そこからの白蘭は性急に事を運ぶ。バトル参加者のチョイス、ルールはターゲット方式、ターゲットは入江君かデイジー、そしてターゲットは死ぬ気の炎を灯し続けなければならないということまで。
そして、最後に景品――――トゥリニセッテを設定して、彼は言った。
「もし勝ったら、ボンゴレリングと、そこの柚乃チャンを貰おうか」
……背中を嫌な汗が伝う。彼は分かって言っているのだろうか。いや、この言い方だと、彼はまるで、私がトゥリニセッテの一環と言っているようにもとれる。多分、関係があるとは踏んだが、どう関わっているか分からないというところだろう、おそらく…いやそうあってほしい。
だめだよそんなの、とボンゴレが言ってくれる。
「私は構いません。この勝負が有効である限り」
「宮間さん!」
入江君が本当に焦っている。想定外だったのだろう。私も驚いているのだから、当たり前か。
「早く始めてください。入江君が死ぬわ」
一応、時間稼ぎの保険は掛けた。あとは、朝の夢が、妹の声が真実となることを信じるしかない。
チョイスが終わった。結論から言うと、ボンゴレは負けた。
視界から色が抜けていく。
入江君が倒れている。カメラ越しに、彼から液体が流れて止まらない様子がわかる。流れ出るものの色は、ぬらりと赤い。そこだけが、赤いことだけが分かって、私は。
「柚乃」
カメラモニタが視界から強制的に外れる。頬が痛い、叩かれたらしい。
引っ叩かれて自分が放心状態だったことを知る。叩いた人間はリボーンさんで、小さい手が少し赤くなっているのが見えた。
「……す、すみません」
「行くぞ。乗せてけ」
彼に言われるがまま、入江君のもとへ走り出す。
『――――話は、11年前に遡るんだ…』
無線から聞こえる、入江君の過去。
偶然助けたランボさんのボヴィーノファミリーによってもたらされた10年バズーカに被弾したこと。自分の欲でパラレルワールドを何度も往復していたこと。
彼の下にたどり着く。リボーンさんが肩から飛び降り、入江君の応急処置を始める。何もできない私は、リボーンさんに言われるまま、入江君の右手を両手で包むように握りしめる。冷たい――――彼の手も、私の手も。
彼は話し続けた。
3回目のトラベルでは世界が崩壊していたこと。何をどう変化させて再試行しても、世界は一人の男に支配されていたこと。その男、白蘭にマーレリング保持者、それも大空特有の能力を開花させてしまったこと。10年前から、彼の能力による悪事は始まっていたこと。
正直、納得するところはあった。
お母様、私、ユニが"私たち姉妹それぞれの運命の日"を認識したのは私の渡日前、だいたい11年前だ。母は何度も予知を繰り返して、『私の特異性』に気付いて、ユニの運命を知って、最適解として私は日本に行くことになった。
入江君の大学時代についても言及があった。何かがある、あったと思っていたが、それがまさかスパイになることだとは思いもしなかった。極度の緊張状態で5年間も生きてきていたとは、かなり消耗するに違いない。労力を想像して寒気がする。
そして、この戦いの意味――――入江正一という一人の男の半生をかけた使命のすべてが明かされたとき、ボンゴレ側のメンバーは初めて事の重大さを飲み込む。
ボンゴレが青ざめる。自分たちが選ばれた人間で、選ばれた時代で戦ったにもかかわらず。
「なのに…負けちゃった…」
「そ、君たちの負け♪」
白蘭や真6弔花が近づいてくる。王者の余裕を滲ませる彼らは、まったく疲弊していない。
彼らを認識した入江君がもぞもぞと動き出す。
「やめなさい、入江君」
「…でも、」
冷たい手を握りしめる。
「やめないなら、凍らせるわよ」
リングはマモンチェーン付きとはいえ、右手にはめてある。私の怒りを認識したのか、入江君は起き上がろうと動くのを止める。
「運命は変わらない。だから運命なのよ」
「――――宮間さん、それは、」
諦めろと言うのか、そう顔を歪ませる彼に、違うと首を横に振る。
「言ったでしょう、あなたがアメリカに行く前に。『何があっても、それがたとえ受け入れ難くとも、最後まであきらめないで』って」
「だから僕はあきらめない…!」
「そうやってこのまま死ぬのはあきらめるのと同じよ。それに、『最後まで』って言ったじゃない」
顔をあげ、視線を白蘭に固定する。入江君が力を込めた。
「まだ、この話には続きがある。最後じゃない」
「面白いこと言うねえ柚乃チャン。具体的に、何がどう最後じゃないのか説明してほしいな」
離して、と一度入江君に視線を戻す。彼は手を離し、私は立ち上がる。
妹の気配はまだ遠い。さて、私は時間をどれくらい稼げるだろうか。
「このトゥリニセッテは、そもそも景品のごとく扱ってよいものではない」
ボンゴレ側からも、ミルフィオーレ側からも視線を浴びながら、言葉を続ける。
「アルコバレーノのおしゃぶり、ジッリョネロファミリーのマーレリング、ボンゴレファミリーのボンゴレリング――――これらの原石こそがこの世界を創造した礎、究極権力の鍵。これらを所有する理由は各人の希望ではなく、各人の運命。運命は、人の希望で渡すことも貰うこともできない」
これは、あくまでも私の解釈だ。きっと、これから来る妹は私とは違う言葉でこれを説明するだろう。
「だから本当なら、このやり取り自体が無効。白蘭、運命には、トゥリニセッテには敬意を払いなさい」
言葉選びが下手なことは本当に損だ。もっと時間を引き延ばせただろうに、結局端的に終わってしまう。
白蘭が笑いだす。
「それが理由だって?笑わせてくれるね!そもそも柚乃チャン、君は一般人だ。なのにどうしてそんなことを知っているのかな?」
「入江君の研究資料を片っ端から読ませてもらいました」
「それだけでこの説明がつくとは思えない。それに、」
視線が変わる。――――そう、何時ぞやの、彼に見つかったときの視線に切り替わった。
「君は一体何だ?正チャンにガールフレンドなんて他のどの世界線にもいなかったし、そもそも氷河属性なんて使える人間はいない。そして――――痣はないけど、ユニにそっくりだよね」
冷や汗が気持ち悪い。思わず後ずさったのはもう生理現象だと思う。
「さあ、こっちにおいで。僕たちの勝利なんだから、何を言ったって君にはこっちに来てもらう」
ああ、どうしよう。未だ妹の気配は近くなれども遠い。もう少し時間を稼いでやらねばならない。しかし、何を言ったらいいか分からない、そんなときに入江君の声が割り込む。
「待ってください!約束なら僕らにもあったはずだ…」
大学時代の入江君と白蘭の約束の話。そしてその時の約束を叶えろと告げる。
「僕はチョイスの再戦を希望する!!」
「悪いけど、そんな話覚えてないなあ」
あえなく却下される。
「ミルフィオーレのボスとして正式にお断り♪――――さあ、柚乃チャン、おいで」
だが、もう充分だった。私ははっきりと拒絶する。
「この勝負が有効である限り、私はそちらに向かいます。ですが、もう有効ではなさそうなので行きません」
「その通りです、おねえさま」
緊張で詰めた息を吐き出す。リボーンさんのおしゃぶりが輝く。
「私は反対です。――――白蘭、ミルフィオーレのブラックスペルのボスである私にも、決定権の半分はあるはずです」
――――ああ、
白蘭達を横目に、思いのままに駆け寄ると、あちらもパタパタと駆け寄ってきて、お互い抱きしめあう。
一族の帽子、マント、そしてお母様と同じおしゃぶり。これらがしっくりくるほど、私の知らぬ間に大きくなってしまって。
「おねえさま、私、ちゃんと起きましたからね?」
「朝言い返したの怒ってるね、ごめんね…」
感動すべき妹との再会は、なんだか愉快な会話で始まってしまった。