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 馬で逃げながら、私は考える。



 私たちにとって、ホディールは敵となった。自己の保身のためにルシタニアとパルスを天秤にかけ、殿下をうまく利用しようとした。

 奴隷たちにとって、ホディールは良き主人であった。言われるがまま働けば衣食住を保証してくれる。生きるために考える必要がなく、楽な道のりを行くことができるのだから、その生活を一度良しと思えばもう抜け出す必要などない。


 私たちにとって、正確には過去のナルサスさんや殿下にとって、奴隷を開放することが正義だった。

 奴隷たちにとって、奴隷は良き主人の下で使われることが正義だった。


 だからこうなった。ナルサスさんも、殿下も。
 
 勝てば正しい教え、負ければ異端の教え。
 私の出身地の人たちはそうやって宗教で権力を握り、まとまったという話を書物で読んだことがある。しかし、そうやって国はできても、人の想いまでは変わらない。だからたくさんの人を異端審問にかけて殺した。そうやって正しい教えを信じる人を多数派にしていった。私のいた村も、それで回っていた。
 先ほどのこともそれが適用されると考えていい。私たちが勝った。しかし、私たちは正義になるには人も権力もなさ過ぎた。それに、奴隷たちの考えまでは変えられない。権力がないから異端審問ーー処罰をすることはできない。だから、多数派、処罰されない奴隷たちは主人ではない私たちに牙を剥いた。


「いつの時代も、繰り返すことは同じなのかもしれない」

 そうだから、人は太陽のような正義を求めるのだろうか。


 私には、わからない。
 




 追手から逃げ、ようやく今晩の野営地を確保したアルスラーン一行は、疲れを癒すべく早々に寝床を整えて目を閉じた。火の番となったエラムは朝食の下ごしらえをしようと支度を始めたが、背後から近づく気配を感じた。その気配の方ーー横から白く細い手が伸び、火に薪木を継ぎ足す。

「エラムくん、手伝います」

 髪留めを解いた長い髪を隠す様にフードを被ったイシュラーナだった。赤い瞳がゆらゆらと揺らめく光に照らされ、そんな幻想的な輝きに見とれ…ていることに気がつき、慌てて返事を返す。

「イシュラーナ様、寝てて構いませんから」
「目が冴えているんです」
「じゃあ私も…よいしょ」
「殿下!?」「アルスラーン様ったら」

 イシュラーナとは反対側で起き上がったアルスラーンに対し、エラムはため息をついた。何のために火の番がいると思っているのやら、と。しかしそれを言っても意味をなさないと判断し、朝食の下ごしらえを続ける。隣でイシュラーナが手を伸ばして生地を手に取ろうとしたのだけは弾いた。彼女がすごいふてくされているような気がしたが、気に留めていては負けだ、エラム。

「冷えるな」
「冬はもうすぐそこまで来ていますからね」
「…」

 殿下の一言に反応して、彼女が薪を増やし始めた。このまま火を焚いていてもらおう。

「いつみてもうまいものだなぁ」
「慣れておりますから」

 だって、奴隷仲間のうちで交代でやっているうちに身に付いた、唯一の技術だ。ナルサスに認められ、うれしくて技量を上げたかけがえのないものーー自分のやりたいことなのだ。

 そう二人に伝えれば、イシュラーナ様は何か思うところがあるのか物に耽る表情になり、殿下は何か気付いたようだった。

「技術があれば、奴隷は自由になっても生きていける……か?」
「本気で全国の奴隷解放をお考えで?」
「だめか?」

 ダメとは言いませんけど、という言葉が喉の奥まで出かかった時、

「その参考になりそうな村の話があります」

イシュラーナ様が口を開く。彼女の方を向くと、火に照らされているはずの赤い瞳は先ほどの煌きではなく、暗い闇を湛えたように深い赤色をしていた。表情もどこか固い彼女は、ゆっくりと語り始める。

「その村は農作業や奴隷になること以外で生活する特殊な場所でした。村の者は皆、最低二か国の文字の読み書きができましたし、商人が得意な複雑な計算もしてのけることができます。そして、生活の食料や物資は全て村の外に依存しましたが、それで普通の生活ができました。…なぜだと思います?」

 信じられない話を聞いた気がして、殿下の顔を見る。すると殿下もこちらを見ていて、信じられないという顔をしている。

「消費しかしないということか…」
「ですがその費用はどこから来るのでしょう?」

 作業の手を止めて考えていると、難しかったですかね、と彼女は苦笑いして、空を見上げた。それにつられ、顔を上にあげる。暗い中にキラキラと光る砂を撒き散らしたような夜空はとても美しい。

「北の空に浮かぶは七曜の星、南の空に浮かぶは老人星…」
「「?」」

 唐突に聞いたことのない言葉を聞いて横を向く。すると彼女は星には名前があるのよ、と言った。

「昔読んだ遠い東の国の書物に載っていた内容です。ちなみに書物が手掛かりと言えます」
「知識か!」

 反対側で殿下が控えめに、しかしそれなりに大きい声を出す。彼女は苦笑交じりに頷く。

「はい。………その村は、知識で生計を立てていたんです。村の全ての子供に知識をたたき込み、素質があるとわかれば難易度の高いものや学者になる以外には必要のない知識まで、全て。――賢ければ、大きな都市に出ることでいい職につけます。自力で商売だってできますしね。そうやって稼いだ外の地域の金を使って生活しながら常に新しい知識を書物や口伝いに吸収し、それを外の世界で使うことでさらに外貨を手に入れる。その村はそれで生き残りました」

 一呼吸。

「私が何を言いたいか、わかりますか」

 そう言って、彼女は深い赤色の瞳をこちらに向ける。背筋が凍るような錯覚を得て、思わず黙る。

「……税を、教育に使う」

 そんなことなど微塵も感じなかったらしい殿下の答えに彼女は頷いた。その目は深い赤色から、光に煌く赤色に戻っていた。先ほどまでの違和感が嘘のように。

「国の教育がしっかりすれば、奴隷は自立することを覚えるでしょう。また、その国の正義は教育された内容になります。その正義というものが、また難しいのですけれど」
「なるほど…」

 殿下が考えだし、イシュラーナ様は満足そうに微笑んでから欠伸を一つした。そして、おやすみなさいの一言を言って寝床に戻り、それから動かなくなった。
 

正義とそれを決める要因


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