その後、男性陣と分けられファランギースとともに浴場に連れて行かれたイシュラーナは久々のお風呂を楽しんだ。そして、準備してもらった着替え――女物の服に着替える。
「いつぶりだろう…アトロパテネ以来かしら」
久々の女性らしい服装だ。いつものズボンではない、令嬢に似つかわしいワンピース姿である。久々に髪も下ろしてみたが、少々長くなった気がする。
「イシュラーナはいつもきっちりした格好をしておるから、新鮮じゃな」
ファランギースに手招きされ、傍に行くと椅子に座らされる。そしてイシュラーナの髪に櫛を通し始める。
「綺麗な色じゃ」
「ありがとうございます。――なんだかくすぐったいです」
鏡に映るイシュラーナは、いつもとは違う、どこか恥ずかしそうに、されどキラキラしたお嬢さんらしい笑顔だった。いつものような大人っぽさが消え、年齢相応の顔をしているので、こんな顔もできるのだとファランギースは驚いてしまう。
「こんな経験はしたことがないか?」
「いえ…養子となって以来、一度だけ兄さんが私の髪を結んでくれたことがあります。その時は四苦八苦しながら綺麗に髪を結んでくれました」
「それはよかったのう」
かの武人は本当にこの娘に弱いの、とファランギースは内心呟く。だがこうして髪を梳いてやったりしたいと思う自分もきっとこの娘に弱い、と自嘲するあたり、完全に彼女もイシュラーナには甘いところがあるだろう。
「さて、こんなもんかの」
「ありがとうございます。ああ、いつもより気分がいいです」
そう言ってくるりと回って見せたイシュラーナ。本当に気分がいいらしい。ならば。
「イシュラーナ」
「何でしょう、ファランギースさん」
気分がいいのは彼女もそうだった。どこから持ってきたのか、香油などの手入れキットを片手に、イシュラーナの肩に手を乗せる。
「ちと身体ごと貸してくれまいか」
「…えっと、どうぞ?」
しばらく後。
「こんなにもなるのか、私…」
イシュラーナは信じられないものを見る目で鏡に映る自分をまじまじと眺める。髪に香油をぬり、うっすらと化粧をしただけで全く見違えるくらい変化が起こるとは、女性の知恵はすごい。その後ろでファランギースさんがキラキラした笑顔を見せているので、彼女も満足したところがあるのだろう。
「さて、行くかの」
「どこにですか?」
「男どものところじゃよ」
そう言って、彼女は艶やかに微笑んだ。
「遅いな、イサラもファランギース殿も」
湯浴みを終え、待機のために案内された部屋にいる男5人の中の1人であるダリューン、すなわち俺は呟いた。すると隣に座るギーヴがチッチッチ、と指を振ってくるので何事とそちらを見れば、やけにキラキラした笑顔がこちらを見ていて。
「女の支度は長いもんさ。だから気長に待つのが男の仕事だ」
「いや、それはわかるが何かあったら問題だろう」
「心配いらないさ」
ギーヴが即答するので思わず苛立ちを表情に表してしまった。どうにもこいつにはムカつく瞬間がある。剣や弓の腕前も良く、頭だって回転は速い。なのにこの相性の悪い気質が俺の中でのギーヴの評価をガッタガッタ下げまくっている。どうにも胡散臭い。
「まあ落ち着けダリューン。久々にゆっくりできるんだ、彼女らとてのんびり風呂には入りたいだろう」
ナルサスが笑顔でフォローを入れてくるので、消化不良ではあるが気持ちを落ち着ける。隣に座っていた殿下がははっ、と笑い、こちらを見る。
「ダリューンはイサラに関しては昔から過保護だものな」
「う………そうでしょうか?」
「信じているからこそ自由にさせているのだろうが、ふとした拍子に発動している。まあそのお陰で助かることも多いのだが」
「うっ…ですがやはりイサラは妹のようなものですし、女ですから心配するところは心配します」
だめだ、喋れば喋るほど追い詰められているような気がする。どうしたものかと困っていると、今度はナルサスがクスクス笑う。
「騎士の中の騎士、ダリューンでも可愛い妹には首ったけか」
意外な弱点かもしれないな、と殿下はまた笑う。そんな時、ギーヴが可愛い妹君が来ましたぜ、と入り口を指差すので、バッとそちらを向く。そして目を見張った。
久々に見るイサラの髪を下ろした姿。髪は香油などで手入れされたのだろう、つややかで紺の色もいつになくしっとりした色合い。化粧をしているのか、白い肌はいつも以上に整っている。着ている服もあって令嬢に似つかわしい姿だった。
「イサラ、よく似合っているぞ」
「ありがとうございます、兄さん。少々恥ずかしいですが…たまにはいいでしょう」
エラムやナルサスもほう、と感嘆する中、イサラは赤い瞳でちらりと殿下を見る。その殿下はというと、
「見違えた。やっぱりイサラはかわいいね」
いつものように微笑む。だが先ほどまでフリーズしていたのを知っているし、さらに耳元が赤いのが横目に見えた。思わずにやけそうになるがポーカーフェイスを保つ。
よかったなあ、イサラ。殿下はちゃんとお前のことが大好きだぞ。
イサラは想像外の反応だったのか、恥ずかしそうにファランギースの陰に隠れるが、彼女はそれを許さない。いいぞ、もっとやれ。
そんな微笑ましいムードの中、ギーヴが妹を見て言った。
「意外だ」
「なんですか」
イサラの目が据わる。先ほどまでの乙女チックな雰囲気は霧散し、俺の中ではギーヴに対する不満がまた上がった。
「今まで武人としてしか見たことがなかったからな。年齢相応の顔を初めて見た気がする」
「中身はいつでも14歳です。年明けには15歳ですけど」
イサラがふてくされる。ああ、可愛い。
「ふてくされてくれるなよ、悪かった」
「いいですもーん。兄さんに褒めてもらえれば満足ですもーん」
――なんだこのかわいい妹は!!
そう一人内心にて悶え喜んでいると、この話題の間にやってきたホディールが何故かイサラを睨みつけている。何かまずいことをしただろうか。久々の宴という場所なのだ、少しはきちんとした格好をすべきだろう。それに、イサラは女であることを捨てたわけではなく、女騎士として男物に近い格好をしているのだ。たまにはこれくらいしないと、女であることを妹は本気で忘れそう…という不安はある。実際、化粧とかはからっきしなのだし。心配にもなる。
「ダリューン、頬が緩み切っているぞ」
「う、うるさい!!」
面白いものを見るような表情でこちらを突いてくるナルサスに反論しつつ、何とか緩み切った表情を戻さんと努力する。しかし、殿下とエラムがこちらを見て苦笑するのを見てそれもむなしく散った。
結局、ホディールによって宴席へ連れていかれるまで、頬のゆるみは治ることがなかった。