「あとは、合流だけですね」
地下室側の隠し扉から表へ出たイシュラーナは、誰にも見られないうちに物陰へ隠れる。フードを被りなおして、足早に合流ポイントへと進む。
「…?」
どこかで物が壊れる鈍い音がする。耳を澄ませその音の大きい方、音源を目指して走り出す。するとしばらくしないうちに、2人の剣士が戦っているのを見出した。
――あれは、
「兄さん!」
イシュラーナは全力で加速するとフードを被ったまま、ダリューンと銀仮面の間に割り入るように脇からパルス製の剣を突き出す。銀仮面は後退してそれを避け、距離を取る。
「兄さん、援護します」
「頼む」
敵が増えた銀仮面は、二人の顔ー1人はフード姿だがーを見て何を思ったのか、一つ問いかけをした。
「痴れ者二人、名を聞いておこうか」
「ダリューン」
「イシュラーナ」
銀仮面の時が止まる。そして再び動き出した時、イシュラーナはゾッとした。足がすくむほどの憎悪と怒りが伝わってきたからだ。
「こいつは傑作だ、あのヴァフリーズの甥と義娘か…――くはははははは、ダリューン、イシュラーナ!教えてやろう!」
先ほどとは打って変わり、狂気に包まれた銀仮面は、この従兄妹達にとって衝撃的な内容を狂った笑いと共に叫んだ。
「貴様らのヴァフリーズを殺したのはこの俺だ!!アンドラゴラスの飼い犬めが、それにふさわしい報いを受けたわ!!」
「!!」
イシュラーナの動きが止まる。フードの中で目を見張り、全身が凍ったように動かなくなった。そこを見計らって銀仮面は距離を詰め、イシュラーナを蹴飛ばす。何も反応できず、力の加わるままに木箱や樽が山積みにされているところへ背中から突っ込む。
「っ!」
「イサラ!」
頭がぶつかったらしい、脳が揺れるような感覚とともに吐き気がこみ上げる。しかしそれよりも意識がブラックアウトする方が先だったらしい、視界から光と音が消えた。
「――…、……イサラ!」
「!」
イシュラーナは目を開けた。ダリューンの心配そうな顔が見えた。
「――にいさん、」
痛む頭を押さえながら体を起こすと、そこはもうすでに王都の外、森の中だった。ナルサスは手頃な岩に座ってなにやら考えている。
「…ナルサスさんも」
ナルサスがぴく、と反応してこちらを向いた。私と目が合うと、その顔に笑みが浮かぶ。兄さんに関しては嬉しそうな顔をしている。
「気がついたようだな」
「外傷は無い。何か変な感じはするか?」
「いえ…」
「ならば問題なさそうだ」
よいしょ、と座り直す。
「銀仮面?は、どうなりましたか」
「取り逃がした」
ナルサスが立ち上がり、拠点の方へ歩き始める。イシュラーナも立ち上がり、それに続こうとしたが、それはダリューンに呼び止められることによって阻止される。
「イサラ。何に悩んでる」
「恐ろしく単刀直入ですね」
真剣な眼差しで問われた内容に思わず苦笑する。しかし、義従兄は誤魔化される気は無いらしい。
――一人で抱え込むのも、もう疲れたしな…
アトロパテネ前、どこかで聞いたことのある単語を含みつつそう思ったイシュラーナは諦めて口を開く。
「私は一つ、重大な過ちを犯してしまいました」
一度区切り、息を吸う。
「私は――火攻めを予測できたかもしれなかったのです。あの日、アズライールの足には油が付いていました。しかも、ルシタニア産の油が」
「何故気付いた?」
無意識に震え始める。俯いたせいか言葉がのどにつかえてうまく出てこない。自分の左腕を右手で握りながら、ようやっとの思いで声を出す。
「匂いがパルス産の油とは違うんです。 ――それに気づいた私は誰かにその情報を知らせようと思いました。しかし、父さんにも兄さんにも伝え損ねてしまいました。周辺の事情を知らぬ人に言っても逆に詰問される可能性がありましたし、アンドラゴラス王が素直に聞き入れてくれるとは思えませんでしたので、他の人に言うことは無理でした。結局、誰にも言えないままあんな惨事に…!」
「お前は悪くない!あの状況で言う方が無理だ。アンドラゴラス王に言えば首が飛んでいたかもしれんし、兵士に言おうと疑念を抱かれるだけだ。だから、黙っているしかないのも仕方のないことだ、だからもう自分を責めるな」
すかさずダリューンがそう言うと、イシュラーナはバッと顔を上げた。赤い目が潤み、目尻から涙の粒がポロポロと溢れ始める。表情が物語るのは、後悔だった。
「こ、怖かった!私のせいでみんな死んでしまうんじゃないかって!
実際、たくさんの兵士が死んだ。私が仮に生き延びても、父さんも兄さんも、殿下も向こう側に行ってしまってたら、ここに居続ける意味なんて、生きている意味なんてない…ひとりぼっちは、嫌だ!」
そう大声で言うと、イシュラーナは思いっきり、逞しい義理の従兄に抱きついて、叫ぶように泣いた。それはヴァフリーズの腕の中で泣いた日以来であり、ダリューンが初めて見るイシュラーナの泣く姿だった。優しく肩を抱いてやるが、その細さ、頼りなさに驚いた。いくら賢く大人びていても、彼女は14歳で、自分より一回り子供だということを思い出す。
「…心配をかけた、イシュラーナ。…俺も殿下も生きている。安心してくれ。――本当に、お前が生きていて良かった」
イシュラーナの腕の力が強まる。ダリューンはただ、抱きしめて紺の髪をもつ頭を撫で続けることしかできなかった。
「ナルサス。――もう出てきていいぞ」
「悪いな。盗み聞きは良くないのだが、どうしても気になって」
「最近様子がおかしかったからな…」
イシュラーナが泣き疲れて眠ってしまったのを見て、ダリューンはナルサスに声をかける。彼は木陰から姿を現すと、ハンカチを取り出しては彼女の涙を拭う。
「なあダリューン」
「何だ」
「イシュラーナはルシタニア人なのか」
「元、だ。今はルシタニア系パルス人と言ったところか」
「そうか…」
ナルサスはイシュラーナのローブをめくり、彼女の忘れ物を手に取る。銀の細剣、緑の弓のデザインはよく見るとこの時代のものとも言えない。かなり古い時代――それこそ英雄カイ・ホスローの時代なのでは無いかというくらいには古いように見える。
「…私はルシタニアについて詳しいわけではない。だが、イシュラーナはどうやら、噂に聞くルシタニアとはかけ離れた生活をしていたように思える。彼女から、イアルダボード教の話は聞いたか?」
「いや。無宗教と言っていた。イシュラーナは会った当時からずっと今と変わらない綺麗な、王都で使うようなパルス語をしゃべっていた。訛りなんてものは一つもない。スラングまで解している」
「………彼女がただの一般人でないのは間違いないな。――まあいい、今は殿下の臣下でお前の義従妹だ。それで充分。とりあえず戻ろう」
「そうだな、戻ろう」
ダリューンは眠るイシュラーナを背負い、ナルサスは彼女の武装を持って、三人揃って拠点へ帰投した。