北方の山岳地帯、森の中。
「ははあ、こういうことですか」
嬉しそうな顔で紺の髪の娘が納得ということを告げた。
先ほど言われた仕込みは、ついさっき商人から買った黒い布地のローブに身を包むことだった。確かに、イシュラーナは何年かヴァフリーズから剣術を教わり、それを身につけている。それはヴァフリーズを伯父に持つダリューンとて同じこと。つまり、混乱させた敵の中にダリューン到来という恐怖宣告をし、見た目そっくり(?)なイシュラーナを投入すれば敵の戦意はそがれるとみたのだ。
イシュラーナは義理の従兄には全くかなわないことを自覚していたが、動きだけならどうにかなると、その策に乗った。その時、アルスラーンが内心でイシュラーナとて(少なくともアルスラーンより)強いから役割的には良いと思ったのは秘密だ。
「即席、黒衣の女騎士ですね!」
従兄のような黒い布地のローブに身を包んだイシュラーナは、従兄の目の前でくるりと回って見せた。フードに隠されないポニーテールと黒い布地がふわりと舞う。
「さすが俺の義従妹。よく似合うぞ」
「ありがとうございます、兄さん。シャブラングも褒めてくれるの?嬉しいわ」
義従兄にベタ褒めされ、義従兄の愛馬にまで気に入られた。おかげでイシュラーナは戦闘前だというのににやけ顔だ。一方、イシュラーナの愛馬、ヴィルミナはひどく不機嫌そうにいつものローブをくわえてこちらを見ている。その様子を見たダリューンは、よしよしとヴィルミナを撫でる。
「そう怒るな、ヴィルミナ。今だけだ」
そういうダリューンの顔はにやけきっていて、それを見てヴィルミナは何を思ったか。次の瞬間には、頭を横に振ってイシュラーナのいつものローブでダリューンを引っ叩いた。
「うごっ!」
「ひゃあああ兄さん!」
ダメでしょ!とイシュラーナが慌ててローブをヴィルミナから奪い取る。攻撃を食らったダリューンは吹っ飛んだ先、草木に埋もれている。
「何事だ?!」
アルスラーンとナルサス、それにエラムが慌ててすっ飛んできてダリューンを起こす。黒衣の騎士であり、この五人で最強の人間が吹っ飛ぶなど、ただ事ではない――普段なら。
「俺の色のローブが似合うとベタ褒めしたらヴィルミナに殴られた…」
アルスラーン以下2人が硬直する。わけがわからなかったのだろうか、とその様子を見たイシュラーナは真顔で、真剣に、かつ丁寧に二度目の説明を行う。
「私がダリューン兄さんと同じ色のローブを着たのを見て、兄さんとシャブラングが褒めてくれたんです。ですが、ヴィルミナはそれを気に入らなかったようで、とりあえず兄さんを殴った次第です」
再度沈黙の時が起こる。しばらくの時間を費やしたのち、
「「「――っ!!!」」」
笑い声が弾けた。
「え?!何で笑うんですか?!」
「いや、これを笑わずしてどうしろというのだ、イシュラーナよ」
「すまんダリューン――面白い」
「すみません、つい…」
ナルサスがダリューンを見て再度笑い、エラムは口を押さえて必死に笑いを止めようとするが一向に止まらない。そして、何故か殿下はヴィルミナを撫でる。もちろん笑いながら。笑い事じゃないぞ、とダリューンがむくれ、それを見たイシュラーナは、
――兄さんが子供みたいだ…!
何故かこちらはにやけた。そうしてしばらく経ったのち、笑い声は収まった。
「いやあ、面白かった。これほど笑ったのは久々だ」
殿下が収まらないにやけを顔に残しながら楽しそうな声音で言った。それを満足そうに見たナルサスは、顔を上げて空を見る。そして、
「日が暮れるな。ではそろそろ、持ち場につこう。頼むぞ」
その声を合図に、皆が持ち場へと向かった。
アルスラーンはナルサスの声で緩んだ顔を一気に引き締め、イサラに背を向ける形で歩き始める。しばらくしないうちに、
「アルスラーン様」
名前を呼ばれ振り返る。イサラの信じるような、しかし心配を混じらせた表情がそこにあった。
「どうか、ご無事で」
「――ああ。イサラも、気をつけて」
頑張ろう、と思った。支えてくれる彼女のために、絶対にケガすらなくこの場を乗り切り、カーラーンから少しでも情報を引き出せるように。それが、私たちの生き残る方法だと信じて。